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殆ど何の参考にもならないトウが立った再就職活動の話・後編
当ブログ「ソーシャル一代女の生き様と仕事とサムシング」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/machikoma/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
※非常に今更すぎて恐縮なのですが前編はこちらです。
- 上京をめざすに至る理由
地元文化に枯渇を感じるサブカル中高生だったので、社会人になってからぼちぼちと東京に出向くようになったのですが、年に1〜2度行けたら...の筈が気づけば多い年で5回になる始末。周囲から移住の提案を受けていたものの、地元の友達と離れるのが寂しいだの転職失敗だのを繰り返すうち、やはりたまに顔出すレアキャラでいたほうがオイシイんじゃないかというヨコシマさが足を留め早くも15年以上。気付けばとんがった友達はみんな上京してしまい、そうでない人も既に縁遠く。いつしかレアキャラだった筈が「比較的しょっちゅう会える人」になりプライオリティ下げられまくりの憂き目に。(笑)
加えて自らを取り巻く就業環境が生きる道に陰を。北海道の最低賃金...今でこそ719円まで上がりましたが、当時はまだ678円。業種に関わらず給与相場の低さはご想像に難くないでしょう。加えて求人の少なさもシャレになりません。web系ですら今や週5日フルタイムで総支給18万でもよい方...賞与はもちろん昇給もナシが当たり前。まさに「働いたら負け」...泥の小舟を乗り換えている間に北海道全体が絶望の泥舟に。あああああ〜(註:個人の感想です)
交通費込みの時給を飲み込みそのまま派遣を続けていてもよかったのですが、当面結婚できそうな見通しがないので母親まで養わねばならない(仮にしてたとしても援助せねばなりません)と考えるとやはり厳しい...そして何より交通費込みの時給は飲み込めない。やはりまた正社員として働きたい(できればついでに賞与も)と考えると、未知数とは言え少しでも可能性のありそうな東京へ...と至るのです。
母とは結果的に一緒に暮らした年月が長くなりすぎて、これから暫く寂しい思いをさせてしまう事には本当に悩んだのですけども、これからまだ長いであろう自分の人生を考えるとぬるま湯に浸かって共倒れる訳にはいかないのです。
- 今回の珍事・珍企業集
就職活動に入ると必ずおかしな企業に出くわすものですよね...え、ないですか?
北海道は分煙されていない会社が多かったので、まず事務所に入って臭いがあると質疑応答で必ず確認を取ります。だいたい分煙する予定はない旨の回答があり、後にお祈りと共に履歴書が返却されたりされなかったり。あと社会保険・雇用保険・厚生年金の加入の有無も確認しますが、そこそこの規模と思われる企業で「これから社保に加入する予定なので、それまでの間は自分で保険と年金を支払って欲しい」という説明をされた事もありましたが、だいたいそういう体質の企業はいつまで経っても加入しないものなので(実際の体験談)、余計な苦労を背負い込むよりはご辞退される事をおすすめします。
あとはお祈りを送ってよこした1ヶ月後改めて面接に呼びつけ、来週から来てください〜なんていう会社もおすすめしません(実際の体験談)。毎回面接に漕ぎ着けられたところでなかなか採用にならないので、スーツとか髪型とメイクが悪いんじゃないかとか言われるんですが、それ以前に行ってみたら会社がとんでもなくてむしろこちらからお断り...という例も。募集要項と説明された内容が違う事も至って普通なので、飲めない場合は食い下がる勢いでとことん擦り合わせたほうがよいと思います。就職も結婚も同じ土俵です。
今回はなんと同じ企業から採用通知と不採用通知がほぼ同時に届くという一件が。当方のミスで〜とお詫びがあったものの、試しに採用通知に添付されていたpdfを開いてみたら、きっちり自分の名前と給与金額が載ったパーソナルな雇用条件でどう考えても間違いようのないもの。Facebook上の友人限定で晒したところ「条件が充分に黒い」というご指摘を頂き、やはり縁がなくてよかったなあというところに落ち着きましたが。しかし何故そこまで条件を決めたのに内定取り消しになったのか...一瞬聞いてみようかとも思ったんですが、あほらしくなって辞めました。とにかくもう前進あるのみ。終わったものに時間を裂くなど無駄の極みというものです。あと今回特徴的だったのは、不採用のメールを送らない企業が実に多かった事。前回の失業時はどれだけ遅くなっても必ず連絡あったんですけどね。今回社員として縁がなくても、今後どこかのタイミングでひょっこり繋がる可能性もあるものです。従来のユーザーだったり今後ユーザーになる事もあるのに、そこまで想定してないんでしょうね...世間は狭いですよ。またwebデザイナーの募集でも、詳細を伺うと6割は総務と雑務みたいな例もあり、その場合は担当外業務(と自分が考える仕事)に時間を奪われ、本来の自分の業務(と思っている内容)に手が付けられず残業もできないため「定時で帰るけどデスマーチ」という本末転倒が発生する例があります(実際の体験談)。いろいろと後悔しないよう面接や事前問い合わせの時点で納得が行くまで摺り合わせる事が重要です。
- 活動する程にかさむコストの狭間で
これまではだいたい雇用保険を受け取りきったタイミングか、遅くとも最後の認定日までには次が決まっていたものなのですが、今回は拠点を移すと決めた上に年齢的な問題もあって殊の外長引きました。そして上京する度にかさんで行くコスト...せめて貯金でもあればよかったのですが、なぜか転職した先がすぐ縮小や倒産という例が連続したためいっこうに貯められず、いつだったか母の還暦祝いのために新薬の治験に参加してまで貯めたお金(笑)を切り崩した時は泣くに泣けなかったものでした。
それでも不思議と収入が途切れる事はなく、突然きょこさんからお声掛けをいただきPR業務のお手伝いが発生したり、昨年の前半はフリーランスの友人が短期の案件を振ってくれて、冬から春にかけて住み込みで手伝わせてもらったり、また短期派遣やアイティメディアさんにも助けて頂いたりで、そういう仕事のスタイルが軌道に乗れば個人事業主で生きていくのもありかなとか考えた事もあったのですが、実際そこまで及ぶ実力ではありませんでした。
そうして各方面からの支援があったにも関わらず、なかなか再就職の見通しが経たない苛立ちや周囲からのプレッシャーで八方が塞がり、いつしか半ば本気で保険金が下りる形で誰にも迷惑をかけずに自殺できないか...と考えるまでに。仕事もダンナもなくこの年でパラサイト...ましてやキャリアの割にスキルがそれ程もないとなるとこれはもう生きる屍ではないかと。クスリを貰えばいっときでも楽になれたかもですが、理性が没入状態から何度も正気に戻してくれました。あとは所謂引き寄せ法が随分と功を奏したのですが、その話は今回割愛します。この状況下にリスク度外視で前だけに意識を向けるのは実に大変でした。
そしていよいよ面接の資金調整が難しくなり、ひとまずバイトでも札幌で仕事しなくてはという状況に。登録型派遣を始めようと考えたものの、高収入のコールセンターは必ず平日の日中1週間程の研修参加が必須。PRの仕事を断ってしまうと上京への足がかりが一切なくなってしまう...いずれ上京するつもりでいても、一旦就職してしまうと(不満があっても)それでよくなってしまう性格故、もうこれ以上タイミングを後ろにやるわけには...というか後ろはもうない。とにかく手っ取り早くできるバイトはないものか...と思ったらありましたよマネキンが。早速試食販売に出向いた隣町のスーパーで某社の有名ソフトクッキーを1日120個程売って、やっぱ全然売れないよなーノルマなくてよかったーと思っていたら、実はそれが驚異的な数字だったらしく(笑)以後継続的に仕事を頂くようになりました。なるほど昔取った杵柄。
以前から実力伴わないしもうキャリア捨てちゃっていいやと他の職種に応募すると「これだけのキャリアをお持ちの方にお越し頂いても」とか「続けられたほうがいいんじゃないですか?」などと勿体付けられて不採用となり、結局息切れして何も吸収できないままweb仕事を続けてしまっている事に疑問を覚えていたのですが、そんなある日蜘蛛の糸のような一報が。まーwebじゃないし未経験だし、ダメもとで連絡してみてダメならもう札幌で働くわ...とばかりに連絡を取ったのですが、その結果がこうして西葛西のガストでブログを書いている次第なのだから、人生というのはわからないものです。オフィスで行う筈の面接は様々な都合で喫茶店に変更となり、履歴書を提出したタイミングで既に採用と...思えば普通面接でする筈のやりとりは事前にFacebookメッセージで完了しておりました。その夜は先輩子さんを交え、しゃぶしゃぶに舌鼓を打ちながら今後の業務についてミーティング。ホテルに着いても狐につままれたような状態になってました。
- 参考にならないなりの総括
とにかくチャネルが多い方がよかろうと複数の求人サイトに登録し、ハローワークでも難しいよと言われながらも東京の企業の紹介状を出してもらったり、何でもいいからとにかく数打って当てようと毎日必死だったのですが、結局普段の人脈の延長で決まりました。とはいえ別にFacebookを使っていたから仕事が決まったとかではありません。できないなりにも日々の努力や感謝の積み重ねが縁を動かす原動力になったのだと思います...とは言えまだまだ感謝は足りない自覚が。
また試しに住所を友人宅の区まで記入し、以後は必要があればお知らせします〜としてみたところ、以後ぼちぼちと書類が通るように。なんだかなあ...以前お声掛けを頂いて応募した企業で書類が通らなかった際、裏ルートで「札幌と九州とロスの人は交通費が掛かるから申し訳ない」という理由を伺った事があったのですが、所詮おまえら住所なのかと思うとたまったものではありません。住所で振り落とした中に天賦の才能があったかもなのに、て自分の事ではなく。(笑)
そして新しい事を始めるのに自分でリミットを決めてはいけない事も実感しました。また会社が即戦力を求めるあまり、人を育てるという肝心なプロセスを放棄しているケースが多い中、どんなボンクラが入ってきても諦めずに育てようとしてくれる人やそんな姿勢の会社もまだまだあって、そういうタイプの企業に拾って頂けた事を嬉しく存じます。今後は自分の下にも後輩が入る訳ですが、そんな姿勢を受け継いでゆくゆく自分が去った後も脈々と受け継がれるようにするのも業務の一環と考えています。企業は人なり。
引っ越しまであまり時間がなかった上に、ばたばたと定期借家に住んでしまったために、最近まで経済状況がガタガタだったのですが、いろんな形で支援して頂いた関係各位に於かれましてはこれから順次いろんな形でお礼を...もう若干の間長い目で見ていただきたく!とこの場を借りて申し上げます。ところで先日先出のマネキン会社から入電が...今後暫く東京なんで〜と伝えてあったにも関わらず。しかも「東京にもオフィスあるので、もし都合のよい時があれば〜」て、なにその転んでもただでは起きない感。まあ何にせよオファーを頂けるのは有り難い事ですねえ。
そういえば証明写真。もう焼き増し期限も過ぎたし年数いっぱいフルに使ったし、元が残念とは言えそれなりに一瞬も一生も美しくしておきたい身としては、次は資生堂フォトスタジオで撮っておこうかなあとか。縁と運の流れには抗えないので常に有事に備えるのです。さて、仕事が軌道に乗ったら次は男だな!(と何かにつけ発言する事により、自己の意識を向けさせるリハビリ中)