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実生活アフィリエイト【一次選考通過作品】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
実生活アフィリエイト【一次選考通過作品】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
「昼ごはんどこにする?」
「山岸で定食は?」
「またかよ。今週三回目じゃん。どうせ焼き魚だろ?」
「いい読みだねえ。健康診断近いからさ」
オフィスでの楽しみといえば、やはりランチだと断言できる。張り詰めていた心が、上質な食事にありつくことでいとも簡単に解放されるのだ。
窓からは乱立する雑居ビルばかりが見える。空はおろか緑も見ることができない。都心はどこもこんな情景しか望めないのだろうと諦めている。景色で楽しめないのなら人間で目を潤せばいいと、男性社員の間で人気ナンバーワンの桐谷栞に視線を移す。課長の前で何事かを熱心に話していた。
「おまえはどこも引っかからなかったんだっけ?」
同僚の石谷が、入社当時に比べるとずいぶん増量してしまった体で言う。
「なにが?」
「健康診断」
「ああ、今のところ大丈夫だね。視力はちょっと落ちてきた」
「すげえな。経年劣化だけかよ」
「経年劣化? どこの言葉?」
桐谷が課長との話を終え、自席に戻ろうとこちらへ歩いてきた。魅惑的な体のラインは、まるで中年同じのようだと思いつつも、それでもうっとりと眺めてしまう。
「あなたの暮らしを二十四時間サポートします。小出総合警備保障」
桐谷が通りがかりにそう言った。
「あれ、今のって」
僕は素っ頓狂な声を出した。この頃流行っている実生活アフィリエイトのはずだ。すると同僚の石谷が課内に響くくらいの声で言った。
「あらゆる外敵を鉄壁ブロック。あなたに最上の安心を。FWLトータルディフェンス」
「おいおいなんだよいきなり」
「ん? ああアフィリエイト初めてさ、桐谷のライバル会社だからついつい」
「おまえもやってんの?」
「いい金になるよ。とにかく決まり文句を口にすれば一レシーバーにつき二十円。でもって桐谷みたいにライバル会社の決まり文句を打ち消すように呟けば倍の四十円」
得意げに話す石谷に、僕は口を開けたまま呆けたように頷いた。ずいぶんと周辺にも変革の波が訪れているらしい。
初めはパソコンのインターネット上で流行したのがアフィリエイトだ。多くの場合は、商品を紹介したり、それによってバナー広告がクリックされたり、さらにはその商品がオンラインで購入されたりと、貢献した段階によってそれぞれ報酬がもらえるのが主流だった。それがここ数年、爆発的な勢いで実生活アフィリエイトというものが席巻しだしたのだ。
コマーシャルでよく聞く文句、ビールだったら「驚きの喉越し。暑い夏を吹き飛ばすスーパーライト!」のような言葉を実際に呟けば、それが宣伝になる。後はレシーバーという聞き手ひとりにつき幾ら、と報酬が支払われるのだ。聞き手のカウントは国民が確実に保有している携帯端末によってカウントされる。多少の恥じらいさえ捨てれば、これほど楽に収益を得られる手段はないだろう。
もちろん社会問題としての側面もある。例えば駅の街頭演説を装って、何度もコマーシャルワードをがなりたてるような輩だ。テレビを通してキャスターが不用意に発言した事件もあった。これについては聞き手があまりにも多く、わずか数秒で三億円弱を手にしたのだから、引責で退社させられたキャスターは痛くも痒くもなかったはずだ。
法整備がやっと追いつき、今では不特定多数の前で呟いても、それはウイルスとして弾かれる仕組みとなっている。
「早かったのね」
妻の緑は、せわしなくキッチンを動き回っていた。
「うんうん。取引先との接待なくなってさ、ラッキー」
「嫌いなの? 接待」
「もち。なんだって酒を注いで回るのさ。全時代的過ぎる」
「今日は油がなくてもからっと揚がる。もう脂肪過多なんて言わせない。矢野食品のから揚げ粉、でから揚げね」
「あれ、それってもしかして」
「うん。始めたの。でも家で呟いてもちっとも貰えないなあ」
緑までもがアフィリエイトを始めるとは、ちょっと複雑な気分でもあった。家庭にまで商業的な欲望が入り込んだような、そんな気分だ。
翌日は休日だったこともあり、久し振りに緑と映画を見に行くことにした。仕事続きの反動で、休みといえば寝てばかりいたが、きちんと日に当たって街を歩くと気分が良かった。ただ若者や高齢者の服装は、ずいぶんと様変わりしていた。
金髪の二十歳前後の若者は、真っ白のTシャツを着ていた。胸に「ふたりの輝きは人生の輝き。宝石は永遠を表します。トゥウィンクルジュエリー」と印刷されていた。すれ違った老人も、「わたしも愛用しています。どこへ出かけても安心です。大人用オムツならルーリーのオムツ」と胸に大きく書かれていた。
「なあ、へんなシャツ着てる人いるけどさ、あれって」
「そうそう、着用型アフィリエイトね。楽だけどさ、単価も低いし恥ずかしさかなりあるわよね」
「はあ。なんだか目も耳も疲れる社会になったなあ」
逆に映画は冒頭の宣伝が全くなく、唐突に本編が始まったので慌ててしまった。あまりテレビを見る時間もなかったから失念していたが、昨今では広告費の嵩む、テレビや映画や電車内の広告などは多くの企業が手を引いているのだった。
せっかくなので、映画の感想を語り合いながら新宿の高層ビルで食事をしていくことになった。適度に落とされた照明が心地良かった。
「なんだか酔っちゃった」
「ね。ワインをじっくり飲むなんて久し振りだもんね」
緑はあまり酒に強いほうではない。頬を赤くして、しかしそれが初々しい可愛らしさを出していた。結婚して二年目になるが、改めて愛らしい女だと、僕は実感していた。そしてこの目に間違いはなかったと、誇らしい気分になるのだった。
「やっぱり緑ってロングヘアに白い洋服が似合うよね」
「嬉しい。もっと言って」
「え? ああいいけど。ロングに白が似合うよね」
「もっともっと」
酔っているのだろうか。緑は目に妖しい光を溜めて、そう繰り返す。そこでふと思い至った。雑誌で読んだことがあるのだが、結婚をして男を虜にして、そんな結婚情報誌の高額なアフィリエイトがあると書いてなかったか。
(投稿者:桐田聡史)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。