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良いこと続きの一日【一次選考通過作品】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
良いこと続きの一日【一次選考通過作品】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
「久保さんって、ふたご座でしたっけ?今日一位でしたよ!ラッキーアイテムはオシャレなカフェ、らしいです」
そう言って、中島が笑う。私はその笑顔に少しだけ苛立ちを覚えたが、無理矢理笑顔を作ると、手にした書類を机に押しこんだ。月末に良いことなんて、あるはずない。
「あら、私の分も見てくれたのね。ありがとう」
「営業途中にオシャレなカフェ、行っちゃいます?」
「新卒の若造と遊ぶシュミはないの、仕事しなさい」
「はぁい」
中島が朝の占いを見ている頃、私はすでに会社で書類を作っていた。新卒は大事にしなければいけないとはよく言ったものだが、もう少し社員も大事にしてほしいと、会社に言いたい。
9時に朝礼。朝礼後にはすぐミーティングがあるので、書類を準備しておかなければいけない。前日も暇がないので、朝早くに来て準備をする。会議室に向かいがてら入口に備えられた鏡を覗くと、ひどくやつれた自分の顔にため息が出た。
「久保さん。今月のノルマ、君のチームだけまだ届いてないよ。先月もギリギリだったよね、ノルマきつい?きついワケないよね、だって皆できてるんだから。今日、きっちり頼むよ」
「はい、すみません」
成績が悪いと、ミーティングの最中に叱られる。初めは恥ずかしかったが、もう慣れた。あとどれくらいで終わるだろう。ミーティングが終わるのは11時。すでに眠い。
「中島くん、お昼食べといてくれた?」
「あ、はい。おにぎり食べました」
「じゃあすぐ行くから。支度して待ってて」
13時から大手会社との大事な約束がある。ここで契約を取れなければ、また課長にネチネチ怒られるのだろう。それだけは御免だった。中島はやることがないのか、何度も鏡を見ては身だしなみを整えている。彼は、まさにゆとり世代の名にふさわしい新入社員だ。早く中島を育てて、一人で仕事ができるようにしなければ、私のノルマがキツい。しかしそうなるのは、いつのことやら。
「...久保さん、まあ、仕方ないですよ」
「......」
「先方ももう決めてたって言ってましたし」
「...少し黙って」
ここぞという場面で契約を断られる。人生なんてそんなものだと、知っていたはずなのに。思い切りパンツスーツを握り締めると、涙が出そうになった。不甲斐ない。
「おっかしいなぁ、久保さん今日一位なのに...あ、もしかしてオレが最下位だからですかね?みずがめ座最下位だったんですよ、お助けアイテムのキーホルダーも一応付けてきたんですけどね、あーこれ、絶対オレのせいです」
「...黙ってって、言ってるでしょ」
真顔で睨むと、中島はバツが悪そうに黙った。空気が読めないのか、これだからゆとりは。ああ、イライラする。だいたい断る方も断る方だ。私たちが来る前から結論を決めていたなら、もっと早く終わらせてくれても良かったのに。散々待たされた挙句、契約できません、する気もございませんは、ひどすぎる。
時刻は16時。夕暮れ時でも、スーツの中がじんわりと汗ばむ。夏が近い。こんな時間から飛び込んで良い案件が取れるなんてことは、ほぼないに等しいだろう。それでも、やらないよりやった方がいい。
「...え、今から探すんですか?」
「当たり前でしょ、今月ノルマ届いてないんだから。中島くんは定時で帰してあげるわよ」
「そうじゃなくて、久保さん今日昼メシ食べました?」
「あ」
そういえば、朝起きてから何も食べてなかった。しかしこんなのは慣れっこだ。食事する暇があるなら、契約を取りたい。
「久保さんダメですよ、ごはんはちゃんと食べてください」
「上司に指図しないで」
「だって昨日も食べてなかったじゃないですか」
「帰ってから食べてるの」
「昨日帰ったのって何時ですか?」
「0時すぎ」
「...久保さん、オレ営業就く時からこういうの、覚悟はしてましたけど、でも久保さんは、もう少し自分のこと大事にしないとダメですよ。久保さん休みの日も会社来てるみたいですし、このままじゃ体壊しますって。労働基準法、も少し守りましょうよ」
その言葉に、思わず私は吹きだした。どこまで彼はゆとりたっぷりに、守られて生きてきたのだろう。
「面白いこと言うのね、労働基準法なんて、どこの会社もあってないようなものよ。今中島くんは新入社員で見習いの立場だから、8時間働いて60分休んでるけど、実際そんなに休憩したらびっくりされるわよ。私なんて17時間働いたって10分も休んでない。...就業書では、休んだことにされてるけど。まあ、中にはちゃんと休めてる人もいるのよ。ただ私が仕事できないから、上手に休憩とか休日がとれないだけで...」
自分で言ってて、虚しくなった。色のかすれた靴の先が、夕暮れに染まっていく。いけない、こんな話をしていたら時間がなくなってしまう。早くどこか得意先にでも電話して、契約を取らないと。思わず前を向いて走ろうとした瞬間、目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。
「危ない!...だから久保さん、もっと体大事にした方がいいって、言ってるんです」
「...ただの立ちくらみよ」
中島に体を支えられているのに気付き、慌てて体勢を直す。上司として、なんてみっともない姿だろう。
「久保さん、死んだら終わりですよ。そんなんじゃ、いつか過労で死にます。どこの会社もあってないようなものだから守らなくていいなんて、間違ってますよ。久保さんは、自分が仕事できないからって言いますけど、僕には、会社ができない仕事押し付けて休憩も取らせてないだけに見えます」
「...分かったような口を利くのね、ほら、行くわよ」
「分かりませんけど、でも」
中島は起き上がろうとする私の袖口を、きゅっと握った。まだ子供らしさの抜けない顔がいつになく真剣で、夕暮れが深い影を落とす。
「営業社員はいくらでもいるけど、久保さんは一人だけです」
そんな陳腐な愛の告白みたいなことを、よくも真剣に言えるものだ。思わず嫌味を吐き出そうとした私の口は、それでも感動しているようで、何も言えなくなってしまった。
「ノルマが届かなかったら、謝ればいいじゃないですか。僕がゆとり世代だからかもしれないけど、謝って許されなかったことなんて、今までなかった。だから、久保さんも謝ればいいんです。それで、もっと、自分を大事にしてほしいっていうか...とにかく、自分を大事にできるのは自分だけなんです」
うまくまとまってこそいなかったが、私を感動させるにはそれで十分だった。私は悪い上司だが、きっと中島はいい社員になる。漠然と、そう思った。
私はまだ何か言いたげな中島の手をさっと払うと、歩き出した。中島が慌てて追いかける。
「ちょ、まだ僕の話終わってないんですけど!」
「そこのカフェでご飯食べながら聞くわよ。ふたご座のラッキーアイテムは、オシャレなカフェなんでしょ」
明日、どうやって上司に謝ろう。そんな私の心配をよそに、中島は心底嬉しそうに、私の隣で笑っている。いい気なものね、と横目で見ると、中島のカバンから、なんだかよく分からないモチーフのキーホルダーがはみ出て、揺れていた。さっき言ってた、みずがめ座のお助けアイテムか。
上司に食事を奢ってもらうのだから、なるほど、みずがめ座にとっても良い日になったわけだ。明日の朝は占いを見てから出社しようと考えて、自分ののんきさにようやく欠伸が出た。
(投稿者:中原run)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。