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マリア様が教えてくれた美味しいコーヒーのいれ方【一次選考通過作品】

マリア様が教えてくれた美味しいコーヒーのいれ方【一次選考通過作品】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 太陽が僕を照りつける。滝のように汗が流れているけれど、クーラーの効いた部屋にいるよりも気持ちは爽やかだ。僕は一年ぶりに「マリア・テレジア」を訪れた。

 「いらっしゃいケンちゃん。久しぶりねぇ」

 この店の店主、マリアさんが出迎えてくれた。母のいとこの娘にあたるのだが、僕より一回り年上で、とても綺麗な人だ。小さい頃から連れてこられて、10歳の時に初めてコーヒーを飲ませてもらった。高校生の長期休みにはバイトさせてもらって小遣い稼ぎにもなった。

 「マリアさん、ご無沙汰してます」

 キンキンに冷えたお冷やとおしぼり受け取ると、水は一息で飲み干しおしぼりで手を拭いた。本当は顔も拭きたかったが、そこは一応我慢した。

 「大学生最後の夏休みなのよね。もう内定も出てるんでしょ?」

 僕は笑って答えた。

 「そうすよ。やる事無いんで、マリアさんが入れるコーヒー毎日飲みに来ますから」

 「......お母さんから何も聞いてない?」

 マリアさんは怪訝な顔で僕を見た。色素の薄い茶色い瞳が、僕を真剣に見つめていた。

 「本当は昨日で店閉めるつもりだったの。ケンちゃんが今日帰ってくるって聞いたから、特別に開けてたのよ」

 僕の身体を稲妻が貫いた様な衝撃と、頭を岩で殴られた様な衝撃と、横っ面を思い切り殴られた様な衝撃とが襲った。言葉に表すと、盆と正月が一緒に来たの逆バージョンというか、とにかくすごい衝撃だ。

 「なんでですか!?」

 「まぁ、資金繰りかなぁ、一番の理由は。売掛金を払えるかどうか、厳しくてね。お客さんだって減ってるし。長く続ける程傷口が広がると思ったのよ」

 「......いくらなんですか、売掛金」

 「え?」

 僕は真剣だった。まっすぐに、マリアさんの目を見て言った。

 「え、でも、そんなつもりで話したわけじゃないのよ? もう私の中で、整理もついた事なの」

 「僕は、お店がなくなる事に納得できません!好きだからっ!!」

 気がつくと、僕は立ち上がって叫んでいた。

 「あ、マリア・テレジアとマリアさんがいれるコーヒーが、大好きなんです。僕は」

 こう言い切ったあと、顔が熱くなるのを感じた。マリアさんも、僕の顔が赤いのが分かっていたかもしれない。

 「絶対に、何とかします!僕にお店任せてくれませんか、少しだけでいいので。お願いします!!」

 「......わかった、お店の維持費を考えると、1ヶ月が限度ってところだけど」

 「わかりました。もし1ヶ月で、僕がマリア・テレジアを再建できたら、その時は......」

 と言いかけて、僕は止めた。何て言っていいのか、わからなかったからだ。

 「で、売掛金いくらなんですか?」

 「仕入れの売掛が30万円弱で、水道光熱費の請求が8万円くらいかな。でも、別にそれぐらいなら大丈夫よ」

 「僕に、考えがあるんです!僕に全部任せてくれませんか?」

 「......わかった。私ケンちゃんの事、信じるよ」

 「ありがとうございます!!」

 それから、マリアさんと暗くなるまで話し合い、細かい取り決めをした。次の2点は僕の提案で、マリアさんは快く受け入れてくれた。

・ 2階席は封鎖して、1階のカウンター6席とテーブル席3卓×4人に。客席よりも多い食器類は売却。

・ 食事メニューはナポリタンとカレーのみに変更。                           

 僕は食器棚を眺めながら、メモにペンを走らせた。

 「コーヒーカップ23脚売却で、5000円くらいになれば良いんですけど。あとの食器類は、値段がつけば御の字ですね」

 「カップは全部一脚1万円以上するものだし、物によっては3万円くらいしたのに」

 「アンティークならまだしも中古でしかも使用頻度が高いとなると、買い取ってもらう事自体、難しいですからね」

 「......知り合いの喫茶店の人に買い取ってもらえないか聞いてみるわ。カレーとナポリタン以外のランチの材料はどうすればいい?」

 「それ、冷凍食品とレトルトですよね?返品できませんか?もし無理ならこれも売却ですね」

 「......聞いてみるわ」

 「僕、取りあえず今日は帰ります。明日からよろしくお願いします」

 「こちらこそ、よろしくね」

 マリアさんは、僕の目を見て笑ってくれた。僕は興奮と喜び、明日からの生活への期待を胸に家へと走った。その時のマリアさんの本当の気持ちに気づく事が、僕はできなかった。

 次の日、9時半に僕は店のドアを開けた。マリアさんは、アイスコーヒー用のグラスを磨いているところだった。

 「ケンちゃん、おはよう。今、コーヒー入れてあげる」

 「ありがとうございます」

 出されたアイスコーヒーをブラックのまま、一口飲んだ。うまい。

 「ケンちゃん昨日の件なんだけど、知り合いの喫茶店のマスターが食器類、全部で5万円で引き取っても良いって言ってくれてるの。あと、未開封のレトルトは返品できるみたい」

 「良かったー、じゃあ12万円くらいは確保できましたね!」

 「でも、残りの冷凍食品は返品できないの」

 「大丈夫です、そこは僕も考えておきましたから」

 昨日、母に相談すると喜んで元の値段で買い取ってくれる事になった。うちは僕を入れて5人の食べ盛りの兄弟がいるので消費に困る事はない。

 「これで、20万円、現金確保ですね!」

 ウキウキとした僕の隣で、マリアさんは曖昧に頷いた。

 それから3日間は、いつも通り少ない観光客と常連さんが来るだけに留まり、売り上げも一日2万円程。完全に赤字だ。だが4日目の朝、僕の考えた起死回生の策が実を結んだ。

 朝から店の前に行列ができている。店の前で記念写真を撮っている客もいる。

 「ねぇ、どうしたの?こんなの初めてなんだけど」

 「実は、大学の先輩に新聞社に勤めている人がいて、記事に書いてもらったんです。先輩も、良いネタになったって言ってましたよ?」

 それから閉店の8月31日まで目まぐるしい忙しさだった。僕とマリアさんは休憩もそこそこに、毎日くたくたになるまで働いた。

 そして、閉店の日の夜、マリアさんがあの記事を読んでいた。

 『消え行く純喫茶大学生の挑戦』という見出しで始まった記事は『時代の変遷とともにチェーン店のコーヒショップやファストフード店が人々の憩いとなる中、喫茶店は新しい価値を提供していかなければならない。』という言葉で締めくくられていた。

 「僕が思うマリア・テレジアが提供する新しい価値って、やっぱりコーヒーの美味さだと思うんですよ!このマリアさんのコーヒーをもっとたくさんの人に飲んで欲しいって思ってるんですよ!」

 「知りたい?うちのコーヒーの秘密」

 「え?」

 「アルカリ性の水で入れるの。そうすると、コーヒーの香りがとても柔らかくなるのよ」

 「それがマリアさんのコーヒーの秘密ですか?」

 「そう。私ね、ケンちゃんがお店変えていくのを見て、私がやりたかったお店じゃなくなっていくのを見て、すごく寂しかったの」

 マリアさんの独白は続く。

 「私が提供したかったのは『時間』だったのよね。美味しいランチ、美味しいコーヒー、ゆったりと流れる時間。でも、それを受け取る事ができる人は、この寂れた町に来る数少ない旅行客と常連さんだけ。それじゃあ利益が出ない」

 「マリアさん、僕マリア・テレジアが無くなって欲しくなくて、だから頑張ったんですよ」

 僕は涙をこらえるのに必死だった。

 「このお店はもうおしまい。1ヶ月ありがとう」

 「......ごめんなさい」

 「なんで謝るの?乞食みたいに方々をうろつき回っている人間に悩まされぬようにしなさい。貴方は間違えてない。間違えたのは、私」

 僕の頬を涙が伝った。マリアさんはそっと、僕の背中を撫でてくれた。

(投稿者:平山稀依子)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。