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望み【一次選考通過作】

望み【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 目の前にいる『こいつ』は何だ?

  突如として煙の中から現れた『こいつ』は、異様な風体をしていた。真っ黒でヌメヌメとした2メートルはあろうかという巨体は、まるで空気が抜けかけたビニール製のおきあがりこぼしだ。そのてっぺんには羊のような角が乗り、真ん中あたりの両端には、長く尖ったモノが付いてゆらゆら揺れている。とんがりコーンが並んでダンスしている、とでも表現したらいいのか。

  やがて、真っ黒な塊の一部_ちょうどおきあがりこぼしの顔のあたり_が割れ、暗闇の中に蛍光ライトで照らされた1/6カット西瓜が現れた。ずいぶん果汁たっぷりな西瓜だなと考えていると、怪しく輝く西瓜から出る重々しい音が、空気を震わせた。

  「わたしを呼び出したのはお前か...。」

  『こいつ』から音が聞こえたのか?俺は何かのトリックかと、キョロキョロと辺りを見回すが何もない。

  「わたしを呼び出したのはお前か...。」

  やはり『こいつ』から音が聞こえたようだ。しかも、しゃべったぞ!とすると、1/6カット西瓜に見えたのは口なのか。よく見ると、真っ黒な塊の上の方に顔らしきモノが付いている。そして、頭に羊のような角を生やし、手にはとんがりコーンのような鋭い爪...。俺はようやく理解した_『こいつ』は悪魔だ!_と。

 なぜ悪魔が!?そういえば、彼女が家に来たときに、リビングにある姿見と壁に作り付けられた鏡が向かい合っているのを見て、合わせ鏡をしていると悪魔がくるんだよ、と冗談めかして言っていたが、あれは事実だったのか?今日は満月だ。何か特別な力が働いたのかもしれない。それとも、知らないうちに、怪しげな呪文や儀式にあたる行為をしてしまったのか?

 俺は悪魔が来たという現実に目覚め、恐怖が足下から這い上がってくるのを感じた。腰を抜かすことさえできない。ただ、全身が鳥肌の何倍もの違和感に包まれたまま立ち尽くすしかできなかった。

 悪魔がゆっくりと手を動かす。とんがりコーンがスーパースローカメラで映したように、なめらかな動きで目の前にやってくる。俺は殺されるのか!?恐怖のあまり瞬きも忘れ、ただとんがりコーンの先端を眺めていた。

 「わたしを呼び出したのなら、望みを言え。何でも望みを叶えてやろう。」悪魔が、西瓜を転がしたような重い声を出すと、俺は肺の中の空気を全て吐き出すほど、深々と息を吐き出した。
 望みを叶えてくれる、だって?そういえば、子どもの頃に読んだ本で見たような気がする。確か悪魔は望みを叶える代わりに、魂を要求するんだ。しかし、すぐに殺されるわけではなさそうなので、安堵するとともに力が抜けて床にへたり込んだ。

 「望みを叶えてくれるのか?どんな望みでもか?」俺は力が入らないため、床にしなだれかかるような格好で悪魔を見上げながら、弱々しく尋ねた。
 「そうだ。何でも望みを叶えてやろう。その代わり...」
 「魂をとるのか?」
 「いや、それは昔の話だ。今はもっと効率のいい方法が開発された。わたしはその方法を試すために200年ぶりに人間界に来たのだ。」西瓜の形が、半分ほど食べられたかのようにグニャリと歪む。笑っているのか?

 悪魔はマイクがハウリングするような耳障りな声で話しを続ける。
 「魂をとると、お前たち人間は死んでしまう。それでは、恐怖や後悔をたくさん集めることができない。そこで、望みを叶えた後も生かしたまま、恐怖し後悔する人生を歩ませ、それらを回収するのだ。」
 「なんて非道い話だ!まるで悪魔の所行だ!!」
 「ぐげげげげ、わたしは人間のそういう反応を見るのが、たまらなく好きなのだ。さあ、そう思いながらも望まずにいられない愚かな人間よ。お前にも叶えたい望みがあるのだろう。言ってみろ。叶えてやろう。」

 突然、俺の頭の中に、様々な欲望が渦巻いた。普段は叶う訳ないと押さえつけ、見ないフリをしている欲望たち。それらが、叶うと知った途端に、火をつけられたヘビ花火のようにむくむくと大きくなる。
 「くっ、ダメだ。例え望みが叶っても、その先には破滅が待っているんだ。死より恐ろしい苦悶の日々が...。」

 「ぐげげげげ。それでもお前は欲望を押さえつけることはできない。なぜなら、望みが叶うことを知ってしまったからだ。お前の欲望は必ずお前を食い尽くし、わたしの元に来るだろう。それまで、じっくり待たせてもらおう。」

 悪魔の得意気な姿に苛立ちを覚えながらも、ガスを入れられた気球のように欲望が膨らんでいく。俺の体は欲望で一杯になってきた。
 「ひどい目に遭うと解っているんだ。負けるものか!」

 「ぐげげげげ。無駄なあがきはやめるんだな。わたしは魂をとられると理解しながらも、欲望に負ける人間を何人も見てきたのだ。もっとも、負けなかった人間も少しはいたがな。」
 「何だと!?そんな人間がいたのか?望みを叶えずに欲望から逃げ切った人間が!」
 「ああ、いたとも。欲望に負ける前に精神が壊れて、違う世界に逃げ切ったのだ。ぐげげげげ。」
 「ああ、俺はもうダメなのか...。それなら、いっそのこと、とんでもない望みを言ってやろうか。」

 「ぐげげげげ、あと一息だな。そう考えだした人間は、あっという間に欲望に一飲みされて望みを口にしてきた。望みを叶えた後に待つのは生き地獄だ。お前は一生働きずくめだ。そして、仕事のノルマは年々倍になり、給料は訳もなく減り、労働時間が終わっても働き、さらに休みの日も働くのだ。挙げ句の果てには、突然仕事を辞めさせられ、国から補助も出ずに苦しんで生きるだろう。楽しみだ、お前の恐怖、そして後悔はどんな味がするのか。ぐげげげげ」ほとんど食べきった西瓜のように歪んだ口で笑う悪魔を余所に、俺は呆然として聞いた。

 「え?それだけ?」
 「ぐげげげげ、そうだ、恐怖のあまりおかしくなったか?」
 「本当にそれだけ?」
 「同じことを何度も聞くな!ついに壊れたか?」
 「いや、そんなことは今の時代ならふつうに起こることだから、特に恐怖も後悔もないんだけど。いや、ないことはないか。誰でもそんな不安を抱えて生きているよ。そんな恐怖や後悔でよければ、好きに持って行ってくれ。その代わり望みを叶えてくれるんだろう?」

 そこまで言うと、目の前から悪魔が消えた。現れたときと同じで、煙のように消えた。
 ...

 合わせ鏡の中を移動しながら、悪魔が首を振りながらひとりごちる。
 「たった200年来なかっただけで、人間界はなんて世知辛くなったんだ。これなら悪魔界の方がましだ。ノルマはないし、給料は増える一方だし、働く時間は決まってるし...」

(投稿者:とし)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。