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筋トレに行こう!【一次選考通過作】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
筋トレに行こう!【一次選考通過作】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
肩が痛い。数年前から肩こりに悩まされるようになった。この一カ月は特にひどい。
上期の営業成績がもうすぐ確定する。トップは無理だが、そこそこの位置は狙えるはずだ。無理をしてでも、数字を積み上げておく。肩こりぐらいで、休めない。
血が巡っていない、という気がする。肩から背中、首の筋肉までが固くなり、ここ何日かは頭の芯までが鈍痛でしびれるのだ。
座っていることさえ、辛かった。作業はまったく進まない。今日はあきらめるか。テツオは立ち上がり、帰り支度をはじめた。終電にまでは、まだ余裕のある時間帯だ。
次の日。勤務時間が終わると、テツオは会社のビルを出た。クイックマッサージの店を探す。あった。自分がこんな店に入る日が来るとは思わなかったが、この肩の痛みを消すためだ。
ドアを開けた。アロマオイルの香り。店内の調度は白で統一され、清潔だった。
「いらっしゃいませ」
オフホワイトに塗られた木のカウンターがあって、そのむこうにいる店員が頭を下げた。テツオの心臓の鼓動が速くなった。
濃紺のポロシャツを身につけている。店のユニフォームだろう。黒髪が肩まで伸びている。眼がまっすぐに見つめてくる。白眼と黒眼のコントラストに、吸いこまれるような気がした。
「お客さま。当店は初めてですか」
我に返った。声は意外に低くて、静かだ。
「はい。初めてです。肩こりがひどくて。頭まで痛むんです」
「そちらの席に座って、こちらのチェックシートに御記入ください」
年齢、症状、病歴などを記入する。渡して、しばらく待つと、さっきの店員に呼ばれた。下は、グレーのチノパンに白いスニーカーだ。
「こちらにどうぞ」
狭い廊下を、店員のうしろについていく。左手に、カーテンが開いていて、その向こうが部屋だった。入る。
「こちらへ」
マッサージのためのいすのようだ。座って、胸をあずけ、あごをのせる。店員が、背中にさわった。
「どうですか」
座布団の上からでも、さわられているようだ、と返答した。
「そうですか。そうとうひどいみたい。じゃ、マジで」
店員が力をこめたのがわかった。指先が、背中の筋肉に入ってくるような違和感があった。
「あっ、ごめんなさい。痛かった?」
「痛いんですけど、気持ちよくもあります。それ、続けてください」
固まった肩の筋肉を、力ずくで解きほぐすようなもので、うめき声を何度も上げた。コースの十五分はあっという間だった。
立ち上がると、肩が火照っているような気がした。腕を回す。軽い。
「マッサージって、こんなにすごいんだ」
テツオは店員の名札を見た。
「マキタ、マキ、と読むんですか、名前」
「はい。ふざけてるみたいですけど、本名」
「いや、かわいいと思いますよ」
テツオは会社に戻った。今期のうちに数字にできそうな案件をもう一度洗い出す。具体的なアクションにまで落とし込み、行動リストを作成する。久しぶりに、集中できた。終電間際まで、仕事をした。
テツオは、マッサージに通うようになった。一晩もすると、その効果は消えて、また肩こりに悩まされるのだ。マキに会いたい、という理由も、ある。
いつも、マキを指名して、二日に一度は通うようになった。あるとき、マキはちょっと困ったような表情をした。なぜだかは、テツオには理解できなかった。
マッサージ中は、会話はあまりできない。もっと彼女と話したい、という欲求が、抑えきれない。
今日こそは、彼女を食事に誘ってみよう。マッサージ中、テツオはそう考えていた。
「あの、きこえてます?」
「きこえてるよ。なに、マキちゃん」
ずいぶんと、親しく話できるようになった。
「いつもきていただいて、うれしいんですけど。この仕事しているわたしが、こんなこというのもおかしいんですけど」
「うん。どうしたの」
「肩こりって、マッサージでは治らないんです」
「えっ」
「対処療法でしかないから。治すなら、筋トレをおすすめします」
「筋トレ。忙しいのにそんなひまないよ」
「肩こり以外にも、筋トレをおすすめする理由はあるんですよ。テツオさんの背中にいつも触っているから、わかるんです。でもこれ、いいにくいな」
「なに。言ってよ」
「怒らないでくださいね。身体が、老化してますよ。くたびれたおじさんみたい。運動不足で、筋力が落ちて、姿勢が悪くなって。わたしのパパのほうがまだ若いぐらい。あっ、ごめんなさい」
テツオは、なにを言うかを考えた。とりあえず、口を開かないと、泣いてしまいそうだった。
「じゃあ、ここに来るのはやめて、ジムに通ったほうがいいかな?」
マキの声が弾んだ。うれしそうだ。
「あっ、それがいいですよ。マッサージってけっこう高いし、ここに来るよりも、ジムで筋トレするほうが、テツオさんのため」
「ちょっとごめん」
立ち上がった。駆けだしていた。ドアを開けて、通りに飛び出した。
「よっ、テツオくんじゃない」
振り向いた。会社で同期のヨシオだった。上期で成績トップを取った男だ。テツオは仕事に身が入らず、四位だった。
マキが、店から出てきた。
「テツオさん、支払いが。......あれ、ヨシオ。もうそんな時間?」
「そうだぜ、マキ。うまい店を予約してんだから、早くいこう」
テツオは、マキとヨシオを交互に指差した。
「君たち、知り合いなの?」
ヨシオが頭をかいた。
「知り合いっていうか、付き合ってるんだよ、おれたち」
テツオは、震える声でヨシオにきいた。
「ヨシオくんって、筋トレ好き?」
「なんだよ、急に。筋トレ、好きだよ。身体あってこその、仕事だろ」
テツオは振り向くと、駆けだした。
「支払い、テツオさん」
追いかけようとするマキを、ヨシオが止めた。
「オレがたてかえとくよ、マキ。なんだかよくわからないけど、男にはそういうこともあるんだ」
テツオは、ジムに入会した。大学のころはサッカーをしていて、体力には自信があった。そんなものは、とっくにさびついていることを、思い知った。
筋トレは苦痛でしかなかった。次の日か、下手をすれば二日後に、激しい筋肉痛におそわれる。朝、布団から出ることができず、滅多にしなかった遅刻を、何度かしてしまった。それでも、続けた。マキへの、意地かもしれない。
週に三日、通う。そう決めた。二週間が過ぎたころ、肩こりが消えていることに気付いた。激しい筋肉痛はあるが、血流が滞っているような、あの不快感はもうない。
一カ月、続いた。テツオは、生活リズムを見直した。そうしなければ、筋トレを続けることができない。
筋トレのために生活を見直すなんておかしくないか。そう自問しながら、ノートに改善案を書いてみた。理想的な就寝時間が、以前からは考えられないくらい、早い。しかし、眠くて仕方ないから、布団に入ればすぐに眠りにつけるのだ。
前日の就寝を早くして睡眠時間を確保すれば、十分に早起きできるな。早く会社に出て、集中して仕事を終わらせれば、ジムに行く時間を確保できるだろう。
テツオは気付いて、本棚から何冊かの本を引き抜いた。昔に読んだ、時間管理の本だ。タスク管理の本。睡眠管理の本。脳科学の本も取り出した。
目次を読んで、検討をつける。あった。今、知りたいことが書いてある。最初に読んだころは「なるほど」だけで終わっていた。机上の理論で、自分には合わない、と思っていた。
残業誇り。そういうところが、あった。同僚との雑談。やるべきことの先送り。SNS。スマホいじり。そんなことに時間を費やし、締め切り間近になって忙しい自分に酔っていたのではないか。
ノートに、生活改善の案を、まとめていく。夢中だった。以前なら、肩こりのせいで、これだけ手書きするのも苦労したはずだ。
ノートを書く手が、止まった。身体作りの知識が、ほとんど自分にはない。そのことを、ノートの端にメモすると、テツオはページをめくった。
三ヶ月を過ぎると、筋トレはもう習慣だった。全身の細胞が入れ替わって、さびが落ちたような気がする。集中力が上がって、仕事に要する時間は短くなったが、密度は上がった。
惰性に陥って、下降気味だった営業成績が、緩やかに上昇をはじめた。
マッサージ屋の件から半年後、テツオは、ヨシオのデスクに足を運んだ。
ヨシオは顔を上げた。
「よっ。テツオくん。なんだか雰囲気変わったね」
「そうだろ? あの後、ずっと筋トレ続けてるから」
「そいつはすごいな。ジムに入会しても、続く人ってのはなかなかいないんだ」
テツオはうなずいた。
「実はな、恥ずかしいことに気付いてよ。あのとき、おれマッサージの代金払ってなかったんだわ」
「今気付いたのかよ。おれがたてかえといてやったよ」
テツオは代金を机の上に置いた。
「すまなかった。マキちゃん、元気?」
ヨシオは、うつむいた。三秒ほど、黙ったが、すぐに口を開いた。
「元気だよ。仲良くやってる。この金、今さら店に戻せないから、マキとちょっといいランチを食わせてもらうわ」
テツオは、大げさに舌打ちした。
「いやなヤツだぜ。今期の営業成績一位は絶対おれがもらうからな。覚悟しやがれ」
少し広角を持ち上げた。笑ったつもりだ。振り返って、ポケットに手を突っ込んで、歩き出した。
(投稿者:田村和済)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。