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成人年齢は引き下げるのが望ましいのか?

成人年齢は引き下げるのが望ましいのか?

マイク 丹治

セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。

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以前からある議論だが、国民投票法が投票資格を18歳としていることから、選挙権が18歳となる見込みで、それが民法の成人年齢を18歳に引き下げる理由となって、話が進んでいるように見える。

憲法改正は国民の重大関心事だから出来るだけ若い人にも考える余地を、ということも分からないわけではないが、そもそもどちらかと言えばますます若者の精神年齢が低下してきている中で、何故このような国民投票法が通ったのか?

その経緯は知らないが、どうも憲法の出来た経緯や戦争の歴史についても十分な情報が知らされていない若者であれば、改正についても賛成する確率が固いとふんだのではないかと勘繰りたくもなる。

選挙権について18歳に引き下げる理由は、若いうちから参政権の重要性を理解し、国民としての主権を果たすようにということのようだが、これとて単なるお題目ではないのか?

民法の改正は、若者の就業実態や婚姻の実態、更には直接の関係はないが若年犯罪者の風潮などもベースになっていると思われるし、諸外国が18歳のところが多いというのも理由だろう。

だが、何故今選挙権の話が進んでいる中で突然この話が出てくるのか?どうも私にとっては、そもそも必ずしも必然性が高くなかった国民投票法の18歳があるから、それに合わせようという全く根幹の思想のない議論に思えてならない。

これまで20歳でやってきて、何か支障があったのか?若年犯罪者の件は、それ相応に対応してきたのではないか?説得力のある説明は聞かされた記憶がない。

この間満員電車に乗っていてふと思ったのだが、わが国は満員電車にとにかく人を無理やり押しながら乗って、大部分の人が吊革にも捕まらず狭い中でスマホに没頭し、電車が急停車するとそのまま大きく人に寄りかかる。

同一民族であることの甘えなのか、他人に対する気遣いも思いやりもなくなってきているように感じる。多分昔はもう少し民度が高かったのだろう。だが、大人ですらこれだけ人としてのレベルが落ちているのに、何故もっと低いところを基準にしようとするのか?

何も成人年齢を引き上げろというつもりはないが、まずは我々大人がもっと参政権の行使を含めて世界に向けて恥ずかしくない行動をとれるようにすることから始めた方が良くはないか?辻褄合わせの安易な改正には反対だ。