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もっとゆっくり、もっと静かに!
マイク丹治の「グローバル・アイ」
もっとゆっくり、もっと静かに!
セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。
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先週は海外でしたが、昨日メキシコから米国を経由して帰ってきたので、一日遅れてのブログです。
まず、繰り返しで言いたいのは、マスコミ報道の異常さ。オセロの中島さんの件が、先週は席巻していましたが、何故あんなに報道するのでしょうか?単に、霊媒師とやらに付きまとわれて、芸能界に戻ってこれない、まあ一流半のタレント。ファンの人は関心あるのかもしれませんが、それがどうなろうと良い大人なのだから本人の責任。大騒ぎすることでもないのにと思います。まあ、これがマスコミの真実。テレビ局、広告代理店、タレント、芸人が集まって、自分たちの利権を守るために報道をしているということでしかない。お粗末さもここまで来たれりでしょうか?
メキシコは、相変わらず朝のラッシュはひどい状態。思い起こしてみると、以前は中国は自転車でそんな状態がありました。タイでも高速道路が動かないとか、インドネシアも、フィリピンも成長途上の国では必ず起こる事態です。ベトナムでは、バイクで自動車が通れないなどということもありました。
でも、先進国ではこれが多少は改善されています。もっとも、アメリカでも西海岸ではまだ残っていますし、日本でも千葉や神奈川では発生します。確かに車は便利ですし、車を使って旅をすれば、自分たちの都合であちこちに行けるので、とても楽しいのは事実。でも、一方でモータリゼーションは、通勤時に必要以上の時間とストレスを与え、更には環境にも大きな影響を及ぼします。
成長途上の国の人たちに、あえて安い車を作ってこれを売り、このような事態を引き起こすことは本当に良いことなのか?もちろん誰でもより良い暮らしをしたい、でもこの車社会が本当にそうなのか?何でも、安く沢山作ってそれを売れば良いという考え方を変えなくてはならないのではないか?本当は、公共交通手段を充実した方が、より安価で便利な、しかも環境に優しい社会が築けるのではないか、と思うのです。
アメリカで、たまたま泊った空港近くのホテルで、外で日向ぼっことしていたら、オハイオ出身のアメリカ人と会いました。西海岸へ来るのは初めて、とのことで、私も昔相当オハイオへは行ったことがあるので、オハイオ談義で盛り上がりました。
そのあと、今度は二人のイギリス人。彼らは、14名でイギリスから到着したところで、翌日が知り合いの結婚式だそうです。アメリカは初めてで、私があちこち出張をしている話をするととてもうらやましがっていました。
要は、アメリカもイギリスも、もちろん世界中を旅している人もいますが、結構田舎者だということです。そして、それなりに人生を楽しみ、世界の動きをそれぞれの地域から眺めています。我々も、もう少し落ち着いて、ゆっくりと人生を楽しむようにした方が良いのではないでしょうか?
昨晩、久しぶりにアサナマをちょっと見ていました。私は、この番組は基本的に嫌いです。なぜならそもそも発言者が他人を遮るなど、そもそも民主主義のルールが守られていないから。ある意味で日本の象徴でもあるわけですが。
昨晩私が見たときは、エネルギー問題で議論していましたが、とにかくお粗末。国会議員や政府関係者、学者、マスコミの論客などがいましたが、「正確なデータが出されていないから議論できない」、「自然エネルギーはあらゆる可能性を追求すべきだ」、「自然エネルギーは効率が悪すぎる」、「ドイツでは自然エネルギーの比率が高いのか?」、「ドイツは太陽光の売電を今度止めるらしい」、「太陽光の技術は日本が世界に先駆けていた頃もある」などと、全く脈絡のない、しかも個々の枝葉末節の意見の乱立。
これで何か方向性が見えてくるとでも言うのでしょうか?データなどは不要。海外の事例も参考にはなるが、それに引きずられる必要はなし、まして技術があるかどうかなどは問題外。明らかに、原発がなければ当面の我々の生活や経済の成長には多少の影響は出るわけで、それと原発の抱える問題をどう考えるかという観点からの、大きな方向性を示せば良いのではないでしょうか?
私は、生活水準を下げてでも、コントロール可能なエネルギー源に注力すべきであり、その中で地球環境に与える影響を少しでも少なくするように尽力すべきだと考えます。その意味で、エネルギーの制約が成長に影響を与えても、これを甘受すべきだと思うのです。それが生き物である人類の限界では?