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ガララーガ投手の話・審判の立場から ~微分積分思考法による付け加え~
理系博士研究者の一人が考えるビジネスマインドと実践例
ガララーガ投手の話・審判の立場から ~微分積分思考法による付け加え~
ポスドク&非常勤講師生活を経て、私立大学の教育・研究職に従事する一方でポスドク時代に不動産投資を開始。職場の行き帰りの生活だけでは極めて危ういことを知るに至り、現在は会社・社会・国に過度に依存しない生き方を少しずつ実践中。
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ガララーガ投手の話・審判の立場から ~微分積分思考法による検証~
猪口さん と 森川さん が「ガララーガ投手」の件を
お書きになられていましたので、私も書きたいと思います。
単純に、野球ネタを書きたいだけなのですが(笑)。
私は、根っからの野球好きで、
日本のプロ野球の詳しさについては、
かなりものと自負しております(笑)。
自分自身でも、始めたのは遅いのですが、
ソフトボールと軟式野球の試合を
定期的に行っております。へたくそですけどね。
その試合の中で審判をすることがあります。
実は、プロであれ、アマチュアであれ、
そのレベルにこそ違いがありますが、
プレーに対する気持ちの入れ方においては、
プロとアマでさほど違いがないのではと思えるほど、
真剣に試合がされることが多いです。
そんな中で審判をするわけですが、
審判って、ほんと難しい んです。
私自身もミスジャッジをしたことがあります。
それ以来、トラウマというほどではありませんが、
自信喪失です。
ベテランの審判でもミスジャッジをします。
プロの審判でも、
特に4人制が敷かれてからは厳しいと思っています。
審判の経験をするまでは、球場に行くと、
人並みに野次を飛ばして
ストレス解消していたこともあります。
ですが、審判の難しさがわかってからは、
決して審判さんに野次を飛ばすことはできません。
審判という仕事は非常に地味です。
ただ、試合の進行は、審判の主導で行われます。
プレーボールもタイムもそうです。
ジャッジをするタイミングというのは、
いつ・なんどきに来るかわかりません。
常に準備をしておく必要があります。
実は、選手以上に集中力を要する仕事かもしれません。
自分の呼吸ではなく、プレーヤーのタイミングに
合わせないといけないわけですから。
4月でしたでしょうか、巨人の遊撃手である選手の
坂本事件(走塁ミス)のようなことが起きても
冷静に対応しなくてはいけません。
そんな仕事であるにもかかわらず、
ジャッジについては、
正確に行われて当たり前という大前提が
あるわけです。
なので、時折起こるミスジャッジには
非難が集中してしまいます。
私自身がミスジャッジを自覚した時には、
それはもう、試合の大勢に影響がないことを
祈るのみです。
試合後に選手に謝ったこともあります。
今回の試合、もし、このミスジャッジが
初回の攻防の際に出たらどうだったでしょうか?
おそらく、ただの怪しい判定ということで、
おわったと思われますし、
その後、ガララーガ投手がヒットを打たれたかもしれません。
一試合で、守備側は、27個のアウトを取ることになります。
それぞれのアウトの重みは、みんな同じかといえば、そうではないのです。
この試合の場合、最後の一つのアウト(微分)が突出しています。
このたった一つのアウトを巡って、
試合全体(積分)がぶち壊される
ことだってあるのです。
審判さんは、そんな恐怖と戦ってることすら
あると思います。
最後のシーン、一体誰が一番緊張していたと思いますか?
これは私の私見ですが、
グランドにいる選手でも、監督・コーチでも観客でもなく、
審判さんだと思います。
なぜなら、審判は、失敗が許されないからです。
出来て当たり前だからです。
もし、こんな試合に私が審判していたら、
どうか自分のところに球が来るなと、
自分がジャッジをする場面でクロスプレーに遭遇するなと
思ってしまいそうです。
試合に出ている選手はいくらでも失敗できます。
エラーしても、三振しても、四死球を与えても、
次に挽回できる機会はいくらでも与えられます。
ですが、審判さんの場合は、ミスジャッジしてしまったら、
挽回する機会がないんです。
無難にジャッジしたことは、プラスマイナス・ゼロでしかなく、
ミスジャッジの時は、マイナスです。
つまり、積分が積み上がっていかないわけです。
当たり前のことを当たり前のようにやっていく
しかないのです。
たまに、クロスプレーでジャッジが難しい時に、
リブレーの映像が流れて、しっかりジャッジされていれば、
さすが!と思ってもらえる程度です。
つまり、失敗できる・できないという点で、
選手と審判さんの立場は決定的に違います。
ガララーガ投手が審判さんを責めなかったのは、
自分たち選手と違って、失敗が許されない世界で
仕事をしていることを知っているからこそ、
敬意を払って、許したのだと思います。
是非、球場に足を運ぶ機会がありましたら、
初回に、選手が守備位置につく際の行動を見てみてください。
みんな、審判さんに挨拶、頭を下げます。
ただ、プロ野球はショーという面もありますし、
一生懸命にやっている選手は、かっかきてますから、
乱闘や抗議のシーンはどうしても起きてしまいます。
ガララーガ選手が、審判さんを責めなかったことも
もちろん、すばらしいですが、
ピッチャーというポジションで、気持ちの面で
安定していて、すぐに切れ変えて、次のバッターと
対戦できたセルフコントロール術には
敬服です。
プロ野球でも精神的に不安定であるがために、
いい球を投げるのに、時として乱れるピッチャーは
いっぱいいますので。
審判さんに限らず、失敗が許されない職業って
他にもあります。お医者さんや、政治家もその部類に
入ると思います。
失敗に対する考え方は、
以前のブログ
(「失敗が悪」から「失敗しないが悪?」の時代へ)
で書かせていただきました。
そんな人たちに対して、寛容になることが
大切だって思いました。
審判という職業がもっと評価されて
しかるべきとも思っています。
野球も思いっきり微分積分の世界なので、
それもまた書かせていただきたいと思います。