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会社枠論と会社筒論
そろそろ脳内ビジネスの話をしようか
会社枠論と会社筒論
株式会社プラムザ 代表取締役社長。システムコンサルタント。1998年に28歳で起業し、現在も現役のシステムエンジニア、コンサルトとして、ものづくりの第一線で活躍しつつ、開発現場のチームとそのリーダーのあり方を研究し続けている。
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今回のエントリーは私の右脳的妄想です。
非常に抽象的なお話ですので、まあつまらない気がしますが、後々の記事のためにも、一度は書いておかなければならないと思いましたので、エントリーしておきます。
▼会社枠論
私が、会社を経営しながら、いつもどこかで個人事業主に怯えているのは、自分自身、いつでも1人で舟を漕ぎ出していける自信がある裏返しとも取れます。
これは、多くの叩き上げの経営者が持っている感覚かも知れません。私が古くから師と仰ぐ社長も、『日本がぶっ壊れたって問題ない。いつだって一人でまた事業を興してやるさ。』とおっしゃっています。(それを聞いたのは過去一回だけですが...。たぶん今でもそうです。)
それゆえに、私が起業当初から築いてきた会社像というのは、非常に緩いです。会社という組織にあまり期待しないで自立しなさい、という意味もあります。
特に、コンピュータシステムの企画や提案ができたり、設計ができたり、プログラムができたりという専門家の集団である開発会社などというのは、単にやりやすい仕事環境を作る『枠』に過ぎません。
今、自分が立っている場所と、弊社という会社の『枠』の中を見比べていただき、『うん、確かにこの枠の中の方が仕事がしやすそうだ』と思えば、入ってきてもらえばよいです。逆に、自分の進むべき方向性と枠の中に居てできることに違和感が感じられるようになれば、いつでも自由に出て行けばよい、と。
そもそもが、皆一人で生きていく実力を持ち合わせているべきで、会社とはただの枠のようなものです。そこには、なんの圧迫感もあってはなりません。
もちろん、『枠』に入るためには、すでに枠の中に居る人にとってもメリットになるかどうかを見極めさせていただく必要がありますので、入社試験はそれなりに厳しく行います。
また、『枠』にはルールがあり、どんな仕事をやって、どんな仕事をやらないかは、私を含めた経営陣で決定します。これが経営方針というもので、ある社員にどんなに高度な、あるいは特殊なことをやるスキルがあっても、その社員の存在だけでその仕事をやるということはありません。
逆にそれ以外は、原則として自由です。細かいルールで縛ることはなく、結果だけを見て次々仕事をこなしていきます。
これが、『会社枠論』のおおざっぱな骨組みです。
が、しかし。
これは、たぶん間違っていました。
大きくは間違ってはいないと思い、長年この理論をバージョンアップしてきたのですが、どうもしっくり来ないと感じることが多くなりましたので、数年前、人知れず廃棄した理論です。
開発用語で言えば『リファクタリングした』と言った方がよいかも知れません。
▼会社筒論
私は、ここ数年、『会社が枠などという緩いものであるはずがない』『そんなものには束縛に見合う価値がない』と考えるようになりました。
そもそも、会社というもののとらえ方が違う気がするのです。
会社の本来の目的とは、開発者のために仕事を提供するなどという薄っぺらいものではなく、一人では与えることができないような大きな価値を社会に提供するためにあると思います。
(いや、開発の会社以外であればこんな発想は当たり前のことなのかも知れませんが...。)
その一つの方法論として、開発者に働きやすい環境を作ったり、経理総務等の汎用的なことは会社でやってあげるというのはあるかも知れませんが、開発者が働きやすいから集まる場所が会社であるという考え方は、我ながらどうも浅い感じがします。
また、人には際限なく成長を続けていく人間と、成長は止まるが一定のパフォーマンスを発揮し続ける人が居ます。実際の仕事ではそれらの人々が特定の訓練を重ね、チームとして纏(まと)まって初めて社会に大きな価値を送り込むことができます。
全員が専門の特殊技能を持ったスターチームではロクな仕事が出来ないのは、かなり実感として分かってきたことです。そういうスタープレーヤーがパフォーマンスを最大限に発揮するには、凡庸な作業部分や彼の専門外の仕事を誰かがサポートして片付けてあげる必要があります。そういう意味で、スタープレーヤーもまた一人では生きられないのです。
ということで、会社枠論のベースである『皆一人で生きていく実力を持ち合わせているべき』は、明らかに誤っていました。
会社は、一切の圧迫感を持たない枠のようなものではなく、もう少し狭くし、かつ立体的にして、ある程度の強制力を持ったスキームの合理的共有と個人の成長、およびチームとしての練度向上を促す場でなければならないと思います。
それがあってはじめて、皆毎日同じ時間に同じ場所で、顔を突き合わせて仕事をするという煩わしさに見合う価値が生まれるのでしょう。
また、経営者が会社という組織に社員を閉じこめて、『ここで死ぬまで働くんだ』と言うのは、社会的に見て害悪でしかありません。本人が望むならよいですが、あの手この手でわざと外界を見えなくする工夫をされる経営者がいますが、感心できません。
だいたいにおいて、そういうことをすると、社員は、会社の中でしか物を見なくなってしまいます。目標とする人も、批判する人も、政治力を発揮する対象も会社の内部の人間です。それはその社員の無限の可能性を阻害してしまいます。
組織の天井は突き抜けておくべきです。会社は、その組織のスキームを突き抜けて、飛び出していく社員を喜んで後押しすべきだと考えます。
これが『会社筒論』です。
私は今、そういう組織を目指しています。
初期のリクルートさんの社是『自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ』に多分に共感を覚えるのは、そういったところから来ています。
▼応援団だっていいじゃないか
こう考えてくると、その筒を通って卒業できないような人は、会社に居る価値がないのか?と思われそうですが、それはとんでもない誤解です。
人間は、社会に価値を与え続けているかどうかが重要です。
何か人に自慢できるような明確な偉業を遂げるだけが人生の成功ではありません。社内でとんでもない仕事の出来る人間が居たとして、その人の活躍に貢献できれば、それも素晴らしい仕事だと思います。
人間が群れで生きる意味とは、そういうことだと思っています。
どうしなければいけない、というルールはありません。ただ、誰もが社会にコミットして、価値を提供し続けなければならないと、それだけです。
その共通の目標を持った人間が集まり、大きな価値を創造できる場が、弊社であれば素晴らしいことだと思います。
ところで、ここでまた脳内ビジネスのお話です。
今の時代は、私を含めたすべての人間に突然『自由』という厄介な荷物を押しつけられています。これは、これまでほとんど考える必要がなかった難しいお題であり、多分諸先輩方で解いた人はほとんど居ません。
先輩の会社経営者は近いですが、彼らは天から自由を与えられて選択したわけではなく、束縛を嫌い自ら積極的に自由を掴んだ人々ですので微妙に違います。
半ば強制的に与えられた自由を誰もが個人レベルでマネジメントしなければならない。
その方がある面ではシビアで、現代のその環境が、脳内ビジネスという考え方を必要としているのです。