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Facebookの実名主義がどうしても馴染めない訳
そろそろ脳内ビジネスの話をしようか
Facebookの実名主義がどうしても馴染めない訳
株式会社プラムザ 代表取締役社長。システムコンサルタント。1998年に28歳で起業し、現在も現役のシステムエンジニア、コンサルトとして、ものづくりの第一線で活躍しつつ、開発現場のチームとそのリーダーのあり方を研究し続けている。
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私は、今のところFacebookを使っていません。
一度アカウントを取ってみたのですが、さびしい話で、大学・高校時代の友人が一人も見つかりませんでしたし、仕事のつながりの人を一生懸命探すというのも「なんでわざわざ」という感じでしたので、15分くらいつつきまわしたのち、静かにアカウントを休止してしまいました。
ただ、別に意固地に絶対やらないというのではなく、何かのきっかけでまたやるかも知れませんし、このまま二度とやらないかも知れません。
しかし、一点だけ、Facebookのサービスでどうしても気になることがあります。それは、もちろん実名登録をマストにしている点です。
今日もこのような記事が紹介され、話題になっていました。
■Facebookで実名以外のアカウントの一斉停止が実行され、一部で騒動に(2011/2/9 やじうまWatch)
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/20110209_425763.html
私には、このFacebookの「誰も彼もみな実名で、オープンにつながろうよ」という発想が、どうにも馴染めません。
「日本人には実名主義はそぐわないのでは?」という意見は、もうかなり語り尽くされているようですので、敢えてここでは言及しません。
それ以外で、私が実名主義がどうにもイヤな理由が、大きく2つあります。
1つは、そもそも学生同士の"お友達"ならともかく、ビジネスにおいて実名に何の意味があるのか?ということです。
世の中には、ペンネームや芸名で活動している方々が数多くいます。ビジネスの世界では、ただ単に、その名前がどこの誰を指しているか一意に認識できればそれでよいはずです。
確かに。じゃあFacebookも、有名人が、社会的に認知されているペンネームや芸名を使うのは許すようにすればどうだろうか?
こんな議論もなされているようですが、そういう話ではありません。
私は、弊社の新入社員で、社員が特に希望すれば、実名ではなく希望の名前で名刺をつくります。それでビジネス上特になんの問題もないですし、逆に顧客に覚えてもらいやすい名前で活動できたり、外に出て活動する女性社員が心理的に安心できるなら、メリットの方が大きいです。
有名人じゃなくても架空名でいいじゃないですか。
どうにも「実名こそが大事だ」という主張に賛同できないのです。
もうひとつは、人間年をとれば汚れて当たり前。実名でおおっぴらに活動できない人がたくさんいるということです。
私の古い友人に、今は音信不通になってしまった人がいます。その方は、私と同時期(13年くらい前)にITの会社を興した方で、年に1~2度お会いしてお互いの近況報告を行っていましたが、残念ながら3年ほど前に会社を畳んでしまいました。
会社を畳むというその当日に、短い報告メールをいただきましたが、それに対する私からの返信メールがすでに届きませんでした。ホームページも閉鎖されていました。おそらく今日で会社を終わりにしようという最後の最後に私に挨拶のメールをくれて、すぐにサーバーの火を落としたのでしょう。
そのときの彼の心の内を思うと胸が締め付けられる思いです。
会社を畳んだ後、どうなったのか、それはわかりません。私からあちこち電話したりして居所をつかむのも違う気がしますので、その後何もしてはいませんが、ただ、私はいつも気にかけています。何か連絡があれば力になりたいと思っています。
この方などは、もちろんITリテラシーはすこぶる高いのですが、おそらくFacebookは使わない、いや使えないと思います。
このような境遇にある方々は、他にもいます。
- ストーカーや暴力団、犯罪者から逃げて、泣く泣く住むところを追われてしまった人
- 離婚協議がまとまらず、子供をつれて遠くはなれた町で暮らす人
- 過去に起こした罪を背負い、今はひっそりと暮らす人
他にも私が想像すらできない人生を送られている方がたくさんいるはずです。
こういう人たちが、新しい土地で少しずつ人間関係を築いていく上で、気持ち悪い存在がこのFacebookです。
無垢な人同士でつながる上では何の問題もないと思いますが、世の中には、その輪に入れない人というのがいるわけで、狙ったつもりはないにせよ、そのような方々に一種の疎外感を与えているところがかなり気になります。
今はまだ日本での利用者人口が少ないですが、これが社会人の半数がやっているとなったら、かなり嫌なことでしょう。
Facebookには、陽がサンサンと照らす道を歩く与えられし者の乱暴な割り切りを感じます。
このサービスの思想は、たとえばmixiやtwitterのような「嫌な人は使わなければいい」というものではなく、「全員が使うことで国境を越えたすばらしい世界が訪れる」というもので、さらにその副産物として「何か過去があって使えない人間」があぶり出される構造ですのでタチが悪いです。
これは小学校などで、ちょっとした遊びが流行っていると、それを見た先生が、突然朝礼で「以後禁止。理由はない。」と言うような、そういう類の遊びだと思います。
ただ大人の世界に先生は居ないので禁止にはならない訳ですが。