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S社長の思い出

S社長の思い出

島田 徹

株式会社プラムザ 代表取締役社長。システムコンサルタント。1998年に28歳で起業し、現在も現役のシステムエンジニア、コンサルトとして、ものづくりの第一線で活躍しつつ、開発現場のチームとそのリーダーのあり方を研究し続けている。

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私には、かつて1年くらいフリーランスで活動していた時代がありました。まだ有限会社を作る前、当時26~27歳くらいだったでしょうか。

その時私は、AccessやVBでは一通りシステムが組めるようになっていましたが、所詮は一介のプログラマーで、ビジネススキルがあまりにも少ないということは、自分でもよく分かっていました。

見積書や請求書の書き方くらいは本を調べればわかりましたが(1997年くらいには、まだまだインターネットで調べるという文化はありませんでしたので、ノウハウの収集はひたすら本や雑誌でした。)、「検収ってどうやってもらえばいいのか」とか、「お客さんの言ってくる『支払サイト』って何?」とか、「お客さんが請求金額より300円くらい少なく振り込んでくるのはどういうこと?」とか、そういうビジネス上の慣習みたいなものがわからず、かなりビビっていました。

そんなとき、小さな開発会社を経営しているS社長に出会いました。

彼は最近広告代理店系のSIを辞めたばかりで、当時40代の前半くらいだったでしょうか。恰幅が良く、それでいて穏やかで、いつも笑っていましたが、しかし目の底は全然笑ってなくてメラメラギラギラ闘志が燃えているような方でした。

私はその社長を本当に「すごい人だなー」と思い、何件かお仕事を一緒にさせてもらいつつ、付きまとっていました。

特に彼の営業術・交渉術は素晴らしく、商談では、今でも我々が聞き出しにくいようなターゲットプライス(予算感)や競合の出してきている見積金額を簡単にゲットしてました。

彼はいわゆるガハハ系営業ではなく、にこやかに淡々と話を進めながら、徐々に場の雰囲気を引き寄せていきます。ひとたび雰囲気を掌握してしまうと、お客さんは彼が左と言えば左に、右と言えば右に倒れてしまいます。

彼が

「ターゲットプライスはいかほど...?」

と聞くと、お客さんはつい

「うーん、まあ600万は出せない、という感じですかね...」

と歌ってしまいます。

ターゲットプライスというのは、言うと決まってるなら言わないといけませんが、言わないと決まってなら絶対に言わないようにしないと公平な相見積もりが取れません。

でもお客さんの方で方針がしっかり決まってないこともあって、積極的には言わないが、話の持って行き方によっては教えてくれることも間々あります。彼はそういうところは確実に攻め落としていきます。

「ほうほう!600ですね。で、他のみなさんはどれくらいで出してきます...?(笑)」

ここをさらりと聞ける人は少ないです。短い商談時間の中で、きちんとキャラづくりしておかないと「なんだこいつ」となってしまうでしょう。

「それは、お教えできないので、まあ気にせずお見積りをいただきたく...」

「ははは、、、なるほど、そうですよね。だいたい平均で...?」

「平均...、、500くらいでしょうか...。まあまだ全社出てませんので、あまりお気になさらず...」

「ありがとうございます! 、、、で、最安が?いまのところ...?」

「300...くらいですかね。まあそこは安いだけという感じですが...。」

「ありがとうございます。あまりターゲットを外れた見積りを出してもお互い無駄ですので、ちょっとお聞きしてみました(笑)。持ち帰って300ターゲットで頑張ってみまーっす!、、、ところで、○○さん、好きな女性のタイプは...?」

「菅野美穂ちゃんとかいいですかね」

「あー!菅野美穂ちゃんに似た子がいるキャバクラがあるんですよ。このお話が決まったら是非行きましょう。」

「え?あ、、はい、是非是非!」

となってしまいます。(一部作り話)


それは、武道の達人が手練れの悪党数人を相手にして、あっという間にねじ伏せるところを見せられるような感覚でした。(※お客様は悪党ではございませんが、当時の若僧フリーランサーとしてはそんな痛快感を受けました。)

彼と営業に行くと仕事は面白いように取れました。

私が「これは3人月はかかりますね」と言えば、それに自分のところの取り分をきちんと乗せて誰もがハッピーな条件&雰囲気で決めましたし、逆に無理な予算を提示してくるお客さんには、それを一蹴するのではなく、いったん持ち帰って私と相談してその予算なりの提案を作り上げ、それによって信用を得ました。

ここは大手企業に食い込めるチャンスとなれば、私にそれをきちんと説明して、「今回だけは安くやって欲しい。ここ頑張ろうよ。」と真摯にお願いしていただきました。(←変な日本語ですが)

私も彼のお願いはなんかちょっと演技がかっていて、うまく使われちゃってるような気がするなあー、という気持ちもありましたが、それだけに意図がわかりやすく、安心できましたし、とにかく彼のそばにいると仕事は入るしビジネスの勉強になるので、私はずっと彼のそばにいたいと思っていました。

比較的大きな仕事がひと段落して、また彼と一緒に新規営業に出かけたときのこと。

私は、帰り際、地下鉄の駅のホームで言いました。

「S社長。私はS社長を尊敬しているので、何か協力できることがあったら是非また使ってください!今日みたいな場にはいつでも呼んでください!!」

すると彼は、ちょっと戸惑ったような表情を見せましたが、

「うんうん。なにかまたあれば連絡するよ。」

と、笑って言いました。

顔は笑ってはいたものの、その言い方が私にはなんだかとても冷たい感じがして、突き放されたような気がして、寂しく思った記憶があります。

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その後、彼は私にあまり連絡してこなくなりました。

それが、それ以降、たまたま私に合った仕事がなくなったのか、彼が社員を雇って私に回すだけの案件がなくなったのか、もっと可愛げがあって単価の安いエンジニアと仲良くするようになったのか、それとも「お前は自分でできるんだからそろそろ仕事は自分で取れ」という意味だったのか、私にはわかりません。

ただそれから私は生きていくために、彼の営業手法を遠い目標にしながら、不恰好ながらも独自に仕事を取っていくようになりました。

離れたことにより、多少なりとも成長したのは間違いありません。

その意味でも、最後のやりとりも含めまして、S社長には感謝の言葉もないのです。

私の何人かいる社長メンターの一人です。




(※ 記憶が曖昧な部分があるのと、本人の特定を避けるために事実とは多少異なる部分がございます)