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ツイッター学概論 その1「すき間時間活用理論」
日本におけるツイッター人口(月間ユニークユーザー)が、4月に988万人に上ったそうだ。だから6月の現時点で1000万人を超えているのは間違いない。
けれども、大方の人々にとって、ツイッターはいまだに謎だ。私の周りの友人知人も、「見も知らない人につぶやいて、いったい何が面白いのかね」と怪訝そうな顔をしている。
ハマる人はハマるのだが、一方、性に合わない人はとことん合わないツールなので、そういう人にとってはツイッターは永遠に謎のままなのである。
そこでこの謎を、学問的に究明していこう、というのがこの連載の趣旨である。
で、「第1回」は<すき間時間活用理論>。
「ツイッターは、すき間時間のタバコの一服のようなもの」
ある日私がそうツイートしたところ、意外に多くの人からふぁぼられた(=リツイートされた)ので、なるほど皆もそう思ってるのか、と納得した。
私は禁煙者だが、原稿待ちなどの空き時間にスタバに行ってコーヒー飲みながらiPhoneでツイートすると、タバコの一服のようにホッとする。
iPhoneをONにするときのカチッという音はライターで火をつける音にどことなく似ている。喫煙者がブハーッと紫煙を吐いて気分が落ちつくという気持ちが分かる気がするひとときだ。
ツイッターは、「するべきこと」と「するべきこと」の狭間にある5分、10分といった細切れの時間を使うのにはもってこいのツールである。140字の短さとすぐ打ってすぐ送信できるスピード感が細切れの時間にピッタリなのだ。
では、遡って人々は「すき間時間」をどのように活用してきたのか。
80年代には、人々は「すき間時間」にウォークマンで音楽を聴いていた。通勤車内では本や週刊誌を読むのが主流。遠距離通勤者は「基礎英語」などの語学テキストや資格試験本で勉強もした。
90年代に入ると携帯電話が登場、00年代には携帯メールを打つ姿が車内や喫茶店で頻繁に見られるようになった。
そして10年現在、「すきま時間」の王者はツイッターに変わりつつある。電車の車内やスタバやマックで、携帯でツイートしている人を目撃することが非常に多くなった。
ところが、そこには意外な罠があるのだ。
「すきま時間」を活用しているはずが、それだけではすまなくなってしまうのである。なぜならツイッターには中毒性があるからだ。
いったんハマってしまうと、よっぽど強い意志がある者でなければ、5分や10分で切り上げることができなくなる。
私などもひまつぶしにツイッターでもやるか、とiPhoneを握り締めた途端に、軽く2時間、3時間は費やしてしまう。つぶやいた内容に対して面白い反応があると、もっと面白いことをつぶやきたくなり再びRTをつける、ということをやっているうちにあっという間に時間がたってしまうのである。
たかがネット上のつきあいと言っても、つぶやきの先は生身の人間同士なので、お返事しないで無視するのは気が引けてしまうのだ。
というわけで没頭するあまり、気づいたら肝心の「するべきこと」もすっ飛ばしているということもしばしばである。
どうもそれは私ばかりではないらしく、TL(タイムライン)上には、「しまった、ツイッターしてる間に、見たいテレビを見過ごした」とか「ツイッターで寝不足なう」といったつぶやきをよく見かける。
先日、ツイッターがご縁で学生時代に大ファンだった音楽アーチストのMさんとお茶する機会に恵まれた。午前中に喫茶ラウンジにやってきたMさんは、寝不足でやつれている。私は昨夜かなり遅くまでMさんがツイートしているのをTLで眺めていたので知っていた。
普通芸能人や有名人は一般の人からつぶやかれても滅多に相手にしないものだが、人がいいMさんは一人ひとりに親切丁寧にRTしている。それで「ツイッター疲れ」してしまったのかも。
きっとMさんも、当初はスタジオ録音のすき間時間にツイートするはずだったのだろう。
というわけで、今回の結論。
「ツイッターはすき間時間活用だけではすまされない。
なぜなら強い中毒性があるからだ」。