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【書評】「スネ夫」という生きかた

【書評】「スネ夫」という生きかた

杉林 貢司

教育産業にて講師、管理部門、制作部門担当を経てカラーコンサルタントRosa マネージャー/デザイナー/ライター。同社にてWeb、DTP制作、執筆等を手掛けている。

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「ドラえもん」は世代を問わず愛されている藤子・F・不二雄氏の代表作。
私も例に漏れずドラえもんを観て、読んで育った人間の一人です。
その人気は日本に留まらずアジアを中心に世界中に伝播していると聞きます。
幼き時代に垣間見た「奇妙 奇天烈 摩訶不思議 奇想天外 四捨五入 出前迅速 落書無用」の世界観?を何十億人もの子供たちが共有していると思うと何だか不思議な気持ちにもなり嬉しくもあります。

四次元ポケットから出てくるひみつ道具に夢を馳せ、ひみつ道具の使い方を悉く誤るのび太の姿を見ては「テクノロジーの使い手はやはり人間なのだ」と子供心に感じたものです。
私がドラえもんに親しんだ昭和の「こんなこといいな できたらいいな」は、平成の世も四半世紀を過ぎいくつかは実現、あるいは理論的には実現可能なものもあると聞いています。これらの開発者の方々にドラえもんが与えた影響は少なくないと思います。

ドラえもん誕生まであと100年、私たちの進歩は藤子先生の想像力に追いつくのでしょうか。

また、昨年(2011)の9月3には川崎市の向ヶ丘遊園の跡地の一部に藤子・F・不二雄ミュージアムがオープンしました。今年のドラえもん生誕100年前とあわせてドラえもんがちょっとしたブームになっています。そんな中、世に送り出されたのが「『スネ夫』という生きかた」です。



「『スネ夫』という生きかた」はドラえもん学で有名な富山大学名誉教授 横山泰行氏の最新作で、「ドラえもん」全1,345話に登場するセリフをExcelに打ち込んでスネ夫のパーソナリティを炙り出した力作です。
2004年に著した「『のび太』という生きかた」は当時の中学生が書いた読書感想文が注目を集めると販売部数が爆発的に伸びベストセラーとなりました。
横山教授が今回着目したのは何とスネ夫だったのです。正直二番煎じの感は否めませんが、藤子・F・不二雄先生がドラえもんという作品とそれぞれの登場人物に吹き込んだメッセージを改めて振り返る機会に恵まれました。

ドラえもんを振り返る機会に


私が幼少時代を過ごした70年代後半から80年代は毎日のようにドラえもんに触れる機会がありました。テレビでは平日18時台には「ホンワカパッパー」の1話ものが、日曜9時半には30分枠が放送されていました。日曜は大人にとっては名物番組ではありますが「題名のない音楽会」が早く終わらぬかと首を長くしていたものです。
そして私の成長とともに、この枠は忍者ハットリくん、パーマン、オバケのQ太郎と変遷し、ドラえもんは現在の金曜19時の30分枠へと移っていきました。

親はあまりおもちゃや漫画などを買い与えてはくれませんでしたが、当時虚弱体質だった私が寝込むと決まって1冊買ってくれました。こうして私の本棚には寝込むたびにドラえもんのコレクションが増えていったのです。ビデオデッキが高価でまだ普及しておらず、もちろんパソコンもない時代、娯楽といえばドラえもんを読むことだったのです。幼児期にドラえもんに触れた記憶は脳の奥にまで刷り込まれ、生涯忘れることはないでしょう。

ですので本書で取り上げられるスネ夫の行動やセリフが驚くほど鮮明に甦るのです。紹介されている場面は誌面や権利の関係で画は載っていません。しかし、ドラえもんで育った人ならば画やコマ割、そしてその背景までがくっきりと思い浮かぶのではないでしょうか。

そして、小さい頃は嫌味ったらしくて狡猾、ズルい奴というイメージが強かったスネ夫が当人が意識しているかはともかく世の中を上手く渡り合っていく処世術を身に付けた賢い奴というキャラクターが浮かび上がってくるのです。
私の記憶が正しければ、てんとう虫コミック6巻「ネッシーがくる」では、元々ドラミちゃんに収録されていた作品の再編集だそうですが、スネ夫に該当するキャラクターは「ズル木」という設定になっています。テレビ版ではそれがスネ夫に置き換えられていますから、スネ夫=ズルい奴というパーソナリティは間違いないように思いますが、横山教授はこういった性格を含めてスネ夫から「生きるヒント」を読み取っています。

とすると、かつては考えもしなかったドラえもんの登場人物それぞれの生き方が際立ってくるわけです。先述したように横山教授は2004年に「『のび太』という生きかた」を著しましたが、今回の「『スネ夫』という生きかた」しかり、当然のことながら、「『ジャイアン』という生きかた」、「『しずかちゃん』という生きかた」が世に出ることも当然考えられるわけです。つまり、それぞれが幸せな人生を送っているとも言えそうですね。
「物は言い様」という感もなきにしもあらずですが、登場人物にスポットを当ててその生き方を考えてみるという発想は面白いと思います。実家の押入れに眠っているであろうドラえもんをもう一度手にとってみたいと思いました。

大人は結果が手段を正当化する世界に生きています。社会で強く生き抜くためには正論ばかり主張しても角が立ちますし、時には黒いものを白と言わなければならない場面にも遭遇します。自分の主義主張を曲げなければいけないこともあるのです。
こういったときに、スネ夫のように振舞うことができればどれだけ生きやすいでしょう。大人だからこそズルさが必要で、それによって人間関係が円滑に進むことさえあるのです。

改めて感じる藤子・F・不二雄先生の偉大さ


ドラえもんは藤子先生でさえもライフワークとなる作品とは思っていなかったそうです。そしてヒットする一方、社会的な責任も生じ、漫画家として描きたいことも描きにくくなっていく苦悩を味わっていたそうです。
それでも、ドラえもんは多くの子供たちの心をつかみ、大人になってからも愛され続ける名作です。大人になって読むドラえもんこそ、藤子先生がそれぞれの登場人物に吹き込んだキャラクターやメッセージを読み取ることができるのかも知れません。

「『スネ夫』という生き方」は、新しい気付きとともに、藤子先生の偉大さを改めて感じさせられた本でした。隙間の時間でサッと読みすすめられますので、ぜひご一読を!






おすすめ度・★★★☆☆ 3点