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言葉と身体反応、その1

言葉と身体反応、その1

大森 洋明

REBT心理士。うつ状態から回復した経験を経て、SEからカウンセラーへの転身を図りつつ、カウンセリングを世の中に浸透させようと奮闘中。座右の銘は、菅沼憲治先生に頂いた「生死一期」という言葉。

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 さて、一般意味論という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
 恐らくは聞いたことのない人が、ほとんどではないかと予想しています。 カウンセリングをかじっている人でも、知らない人は結構多いのではないでしょうか?

 一般意味論とは、アルフレッド・コージブスキーにより構築された、言語的記号 linguistic symbol その他の記号に人間がいかに反応するかを研究する学問*註1で、認知を取り扱うカウンセリング療法などの理論の根本部分に大きな影響を与えているものです。

 前回、「簡単そうな、入口が広いものこそ、奥の深さに気づいた方がいい」ということを書きましたが、これぞその最たるものではないでしょうか?

 なにせ対象は、言葉です。 息をするかのように自然に、自由に使っているものです。
 普段、些細な言葉の使い方が自分に他人に感情の混乱を与えるなどと考える人は、それほど多くないでしょう。 しかし、言葉が影響を与える範囲は全人類と言っても過言ではありません。

 そんな訳で今回は一般意味論の中からいくつかを抜粋して、書いてみようと思います。
(※内容に間違いがあったら申し訳ない)


●地図は現地ではない。

 一般意味論では言葉や記号を地図、物や事実を現地に置き換えて、いくつかの原則を提示しています。 つまり「地図は現地ではない」というのは、「言葉(または記号)は、事物ではない」ということをあらわしています。

 なにを当たり前のことを言っているのかと思うかもしれません。
 しかしながら、これは重要な一歩です。
 言葉(または記号)と、それが指し示す対象は互いに独立で、何ら必然的な関連はありません。 にもかかわらず、多くの人は言葉や記号とモノを混同しがちです。

 たとえば、紙にリンゴという文字が書いてあるからと言って、その文字を食べようとする人はいないでしょう。 しかし、紙に書いてあるのが「吉田さんに関する評価」などの場合、その文章の内容が正しいかどうかを問わず無批判に吉田さんのイメージを作り変えてしまうかもしれません。
 もちろんその文章は、吉田さんではないのです。
(※ちなみに、吉田さんのイメージも吉田さんではありません、念のため)

 また、地図は現地のすべてを表してはいませんし、地図の地図、地図の地図の地図・・・を作ることも可能です。

 現地よりも地図の方がより奨励される場合もありますが、金メダルを取るためにドーピングをするようなことにならないよう気を付ける必要があるでしょう。


●報告、推論、断定

 普段、私たちの言語または記号によるコミュニケーションは、知覚した事物の報告から成り立っています。 報告は地図であり、より現地を正確に表現した地図を作成するには、いくつかの規則を守る必要があります。

  • 実証可能であること
  • 推論を排除すること
  • 断定を排除すること

 報告は実証可能である必要があります。 自分ですべてを実証できるわけではないですし、する必要もありません。 複数の人の間で一致した基準(メートル、グラムなど)を用いることにより、たがいに誤解を防ぐことが可能です。
 より正確な報告を行うことにより、地図をより現地に忠実な再現とすることができるのです。

 推論は、知られていることをもとにした、知られていないことに対する叙述です。
 もちろん、推論のすべてがいけないということではありません。 推論自体は人間が備えた能力の一部であり、推論できないというのは能力の欠如といえるでしょう。

 しかし、推論であると自覚しないままなされる推論には問題があります。
 それは素早く、自動的に行われる推論です。
 推論であると自覚せずなされた推論はほとんどの場合間違いを含み、それが推論であることを忘れさせたまま地図を不正確にします。

報告「彼は事業に2回連続で失敗した」
推論「彼はこれからも事業に失敗し続けるだろう」

 断定は、意味としては断定を行った人による物事の賛否を偏見的に述べているにすぎません。 この断定を使用した文章を盲目的に信じることは、思考を停止させ、感情の混乱を引き起こす典型的な例と言えるでしょう。
 実証は断定の積み重ねではなく、事実の客観的な観測によって行われるべきです。

 ところが、名詞に内包的に断定を含む(共産党、ユダヤ人、ネトウヨなど)ケースがあったり、認知バイアスによる除去できない断定(「自分は認知バイアスを知っている。 だから自分は認知バイアスに左右されていない」と自分に言い聞かせたからといってなくなるものではありません)があるなど、断定の排除は容易ではありません
 ただ、好ましいこと、好ましくないことに偏らず、両方をバランスよく含んだ報告の作成をする練習によって軽減することが可能です。

報告「彼は事業に2回連続で失敗した」
断定「彼は失敗者だ。 最初からそう思っていたんだ」

 ちなみに、認知を取り扱うカウンセリングでは、推論と断定の「言葉のとらえ方(認知)」を取り扱います。 つまり、認知を取り扱うカウンセリングは一般意味論の体現の練習を含むといえるでしょう。
 一般意味論を知っているだけではなく、体現できるまで理解できていない人であれば、健康いかんに拘わらず、認知を取り扱うカウンセリングを受けておいて損はないでしょう。


●抽象のレベルの混同

 私たちが知っていること、コミュニケーションによって伝えるすべては抽象であると言えます。 抽象は諸特性を無視することであり、私たちの言語活動に欠かせない、とても便利なものでもあります。

 現実に存在する羊のブルッキーは、私たちが「知覚したブルッキー」ではありません。 頭の中のブルッキーは、「知覚できていないブルッキー」を無視して作り上げたイメージのブルッキーです。

 1分前のブルッキーは、現在のブルッキーと状態が異なっています。 有機物、無機物を問わず、それが知覚できないほど微細であろうと変化は起こるのです。
 しかし、「ブルッキー」といった場合、それらの微細な変化は無視して「ブルッキー」を指します。

 また、「ブルッキーは羊」といった場合、ブルッキーの個別の特性を大幅に無視して、文章は羊の特性だけを取り上げています。

 抽象のレベルとは、分かりやすいところでは分類がそれにあたります。
 ブルッキーは羊であり、哺乳類であり、脊椎動物であり、動物であり、生物です。 この場合、ブルッキーは低いレベルの抽象であり、生物はより高いレベルの抽象と言えます。

 同じ物事に対する表現でも、抽象のレベルを変えると特性の落とされ方が違い、受け取る言葉の意味も変わってきます。
 たとえば、低いレベルの抽象では、
「私は田中さんの手料理を5回食べたことがあるが、そのいずれも私の舌には美味しく感じられた」
 と表現できる事柄を、
「彼女の料理は美味しい」
 と言えば、田中さんが料理を失敗することがある可能性を無視しており、
「鹿児島県民は料理が上手だ」
 と言えば、田中さんが鹿児島の代名詞的な存在でもない限り、実際には鹿児島県民100人くらいを無作為に調査しなければ分からない内容を表しており、
「日本の料理最高」
 と言えば、もう何を基準にものを言っているのやら分からなくなるわけです。

 頭の内のイメージと実際のもの(まったく抽象されていない)も、抽象のレベルが異なると言えるでしょう。 私たちが「外国人」を思い浮かべるとき、それは今まで見聞きした外国人のすべての抽象となります。

 抽象のレベルの混同とはつまりこういうことです。

「彼女は朝鮮人だ」

 この言葉は、彼女と呼ばれる人物が朝鮮人であるという事実を表すとともに、今まで見聞きして作り上げた朝鮮人の枠に彼女を追いやります。

 実際には彼女(実体)は、今までに見聞きした朝鮮人の抽象ではありません。 朝鮮人1は朝鮮人2ではありませんし、朝鮮人2は朝鮮人3ではありません。 朝鮮人1(2010.04.01)は、朝鮮人1(2014.08.12)とも異なります。
「彼女は朝鮮人だ」という言葉は、その事実を無視して彼女を朝鮮人として扱うよう仕向けるのです。

 本来、初対面の人に固定された態度をとる必要はありません。 ネット市民1とのコミュニケーションに失敗したからといって、インターネットに絶望する必要はありません。 警察官1の態度が悪かったからといって、警察全体を非難する必要はないですし、ましてや警察官2、警察官3を見たからと言って「ふん、国家ヤクザめ!」とののしる必要はないのです。

>次回へ続く

註1:思考と行動における言語 原書第4版 S.I.ハヤカワ著 用語表p.5


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