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国民投票制度で理想的な民意の反映?

国民投票制度で理想的な民意の反映?

武澤 一登

自動車製造ライン工→書店店員→経理事務→エンジニアと職を変え、今も何とか生きています。今は大学生から法科大学院生と身分を変え、無謀にも法律家になろうとしています。

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マスメディアでは、重要な問題が国会で審議されているときに、世論調査が行われる。この点について賛成何パーセント等、反対云々と報じられる。これを受けて、世論は賛成だから議論は尽きているとか、いや世論に迎合してはならないとか言う国会議員がいる。いっそのこと重要な問題については国民での投票に委ねてもよいという国会での議論もあったようだ。

そこで、素朴な考えでは、憲法改正のときには国民投票で最終的に改正するかどうかを決めるのだから、法律の制定についても、特に重要な法案については国民投票で決めるようにすれば、より民意を国政に反映できるからよいことではないかとも思える。

だが、このような考えは非常に危険な考えである。なぜ危険なのだろうか。

国会議員は、全国民の代表として、法案の妥当性についての質疑討論を行うのであるが仮にある国会議員がその法案を通過させようと、「各種世論調査では圧倒的に賛成多数との結果が出ている。賢いわが国国民が、私の法案に賛成しているのだ。」等と主張し始めたとする。

そうすると、せっかくこの法案を討論しようとしているのに、すでに賛成の方向に動き
出してしまう。「圧倒的な国民の賛成がある」ということが、この法案を権威づける結
果になるからだ。これがひどくなると、人気のある、時の権力者が、たびたび自らの人
気を利用し、自らを権威付けてしまう。国民の大多数が私を支持している、というよう
に。

これを「プレビシットの危険」という。この危険は、結局は、全国民が一同に会して討
論することは物理的に不可能であることに基づく。世論調査なるものは言うまでもなく
討論した結果ではない。したがって、この時点での世論調査結果は、あくまで参考資料程度の価値を有するに過ぎない。以前の記事でも述べたが、この時点での調査結果は容易に変化しうるものである。

この他にも、国民投票でも当然多数決原理が採用されるから、少数者の権利が守れなくなるおそれもある。

注意したいことは、決して国民が愚かであるから国民投票に委ねてはならない、という趣旨ではない、ということだ。さまざまな法案は充実した討論がなされるべきであるから、国民の代表者が集まる国会での議決が要求されている。だからこそ、逆説的ではあるが、国会議員は国民のさまざまな意見を集約し、国会に届けなければならない。

したがって、世論調査をもって、世論は賛成だから議論は尽きているとか、いや世論に迎合してはならないとか言うのはナンセンスである。また、法案の議決を国民投票にかからしめるような制度もまた許されない。

では、条例案を住民投票にかからしめることも禁止されるのか。あるいは、国会議員や高級官僚を国民投票でクビにする制度はどうか。こういったことを考えるのも面白いであろう。