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「誰に・何を・なぜ」を決めるとビジネスが動き出す(2)
当ブログ「ビジネスライターという仕事」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/toppakoh/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
前回からのつづきです。
自分の作った自分軸の方法論――「誰に・何を・なぜ」の見つけ方――を、一度見ただけの方が、自分の事業に応用し、実際に事業を立て直したという事例を見て、もしかしたらいけるのではないかと思った私は、まずは方法論を文書化しました。
そして、もう一つの事業である333営業塾で無料相談を始めました。コンサルの獲得が主な目的のもので、実態は商談です。その場で相談者の自分軸を作成することで、高い確率で案件を獲得できるようになりました。
さらに、2010年4月からは誠ブログに自分軸のことを書き始め、同年5月16日と6月12日にセミナーを開催しました。
座学だけでは良くわからないと思ったので、コンサルライブという試みを実施しました。当日、1人または2人に手を挙げてもらって、その場で一緒に自分軸を作るというものです。所要時間は1人当たり20分から30分です。
ある知人は、セミナー中の短時間でコンサルをやるなんて無謀だと言いましたが、すでに無料相談で同じことをやってきたので、観客がいようがいまいが同じだという自信がありました。
実際、2回とも時間内になんとか自分軸を作ることができ、好評のうちにセミナーを終えることができました。
このときのコンサルライブが、後で私を立ち直らせてくれるとは、このときは気づくよしもありませんでした。
■ 2011年3月に再び頑張ろうと思ったのだが |
無料相談のおかげで、営業関連のコンサルの仕事がいくつか決まり、しばらく自分軸に関するセミナーもコンサルもやらない時期がありました。
そのおかげで、だんだんネタがなくなり、誠ブログのほうも別のテーマで書くようになりました。初期に書いた就活の記事などは評判で、実際にその記事を読んだ方が何人か転職に成功したりもしたのですが、ネタがなければどうしようもありません。
ところが、2010年の終わりごろだったと記憶していますが、あるマーケティング・コンサルタントと親しくなり、彼と共同でビジネスをしようという話になりました。そのためのコンテンツとして、私のほうから提示したのが自分軸でした。
最初のステップとして、2011年の3月に共同でセミナーを開催しようと準備を進めていたのですが、そろそろ告知をしたいので告知文を書いてくださいとお願いしたら、突然「時期尚早だと自覚したのでキャンセルしたい」との連絡がありました。
すでに会場は押さえてあったので、しかたなく当日は一人で自分軸のセミナーをすることにしました。
10名の募集でしたので、すぐに埋まり、よしこれからは自分軸の普及に努めていこうと張り切ってセミナーをやった当日が、2011年3月11日。つまり東日本大震災の日でした。
セミナー会場の東陽町は、震度5強だったと思います。かなり長い時間揺れましたが、人も設備も幸い無事だったので、セミナーは最後までやりました。交通機関はすべて止まっていたので、懇親会までやりました。
家も無事でよかったよかったという感じで当日を終えたのですが、翌日以降暗いニュースばかり。特に原発事故と計画停電が堪(こた)えました。
僕は、自分は何がしたいのかさっぱり分からなくなりました。
正直に言うと、震災前からコンサルの仕事は行き詰っていました。手抜きをしたわけではないのですが、情熱を失っていました。仕事は取れるようになったのだが、これが本当に自分のやりたかったことか疑問に感じていたのです。
こういうムードはクライアントにも伝わってしまいます。一番多かった時は6社あった顧問先のうち、2社の仕事が震災前になくなっていました。
震災後は1社減り、2社減りで、とうとう1社(これは今も続いています)だけになってしまいました。
それなのに、まったく新規開拓する気が起らなかったのです。
この間、2008年に始めた法人の預金残高は減っていく一方でした。
■ 無為な1年間を送った後に |
コンサルの仕事が急速にしぼんでいく間、執筆やセミナーの仕事がちょっとだけ増えたので、なんとかしのいでいました。また、一時期停止していた333営業塾のセミナーも夏から再開し、小遣い程度の稼ぎは得ていました。
しかし、自分軸を再開するという発想はどうしても出てきませんでした。自分が何をしたいのか分からない人間がどうして、他人の自分軸の発見支援ができるだろうかと思ったのです。
投げやりで先の見えない日々が続きました。私は、約1年間、昔のよしみでいただいた仕事以外、何もしないで過ごしていたのです。
2011年末には、なんとか4期続いた法人をたたむことにしました。3年間増収増益を続けてきたのですが、4年目は壊滅的な減収減益でした。また、その頃は執筆の仕事がほとんどで、企業向けの仕事はほとんどが間にエージェントが入っているため、法人である必要性もなくなっていました。
面倒な財務処理がなくなったのでせいせいしたのですが、しかし、やはり失意もありました。
そんな頃に、ある方からメールが来て、思わぬ方向転換が始まることになりました。
長くなりそうです。次回に続きます。