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【次世代PR試論】紛らわしいのはもっと嫌われる
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前回は、宣伝臭の強いものがどれだけ嫌われているかということの例証の1つとしてFAX-DMの話をした。
凝ったデザインのいかにも広告という感じのFAX-DMよりも、ただ文章だけ書いたFAX送付状のようなもののほうが10倍も反応がいいのだ。
では、宣伝臭を消せばいいのか?
そういうわけではない。
● 「4つ星から2つ星に評判を落としたGunosy」
前回の記事とほぼ同タイミングで、知人の赤澤仁士さんが広告に関するブログ記事を書いていた。
▼4つ星から2つ星に評判を落としたGunosyに学ぶ
http://www.akazah.com/4to2stars-gunosy/
Gunosyというのは、Googleが提供している(元々は)ネット記事のキュレーションサービス(今はただのニュース配信サービスと評価する人が多い、下写真)。
今朝(2014年3月12日)時点では、広告に関してはいちおう「Sponsored」と表示されるようだ(写真)。
以前はどうだったかは記憶にないが、さすがにこの表示はあっただろう(当時の画像をお持ちの方がいたら教えていただきたい)。
だが、普通の記事だと思ってタップしたら、広告だったので違和感を感じた記憶はある。
● アンフェアなことはとても嫌われる
赤澤さんのブログ記事によると、以前は★4つの満足度だったのに、最近になって広告と記事の見分けがつかなくなったので★2つに満足度が落ちてしまったとのこと(ただし記事掲載当時の「Itunes Storeのレビュー」(ママ)での評価とのこと。Playストアでは3/12時点で★4つ)。
ユーザーの反応はリンク先を見て欲しいのだが、キーワードだけ引用すると「吐き気がする」、「evil」などかなりの拒否反応を示す言葉が見受けられる。
これを読む限りでは、広告が配信されてくるのは(少なくとも無料サービスにおいては)しかたがないのだが、やり方に問題を感じている人が多いということのようだ。
まあ考えるまでもなく、テレビCMやネット広告で、無料媒体が宣伝だらけなのには我々は慣れているわけだ。
ただ、宣伝は宣伝と分かる形になっているので、見たくなければ避けることができる。こういうやり方ならフェアという合意が出来上がっているということだ。
なので、宣伝が宣伝と分からないと、アンフェアということになり、5段階評価で2段階も評価が下がるという事態になってしまうのだ(ただし、僕の考えでは、評価が下がった理由はこれだけではない。前述したようにキュレーションサービスだったのが、ただのニュース配信サービスになったと感じて怒っている人が多いことも関係していると思われる)。
ステマが嫌われるのも、もちろんこの理由からだ。アンフェアなことはとにかく嫌われるのである。
● 記事広告の今後は?
さて、これと似たような話はGunosy以前からもあった。雑誌の記事広告というやつだ。
記事と同じような形式で広告を出すものである。
記事広告に関する規制を調べてみたのだが、ネットでこの手の情報を調べるときにやっかいなのは、何が最新の規制なのかがなかなか分からないことだ(消費者庁には、最新の規制がどうなっているのかが分かるようなHPを作って欲しいと切に希望する。他の省庁も同様)。
ということで、現時点ではWikipediaを(ある程度)信ずることとする。
新聞においても記事広告は多いが、有力紙では「記事の隅に『PR』『企画広告』といった文字を載せる」「編集協力者として企業名を明示する」など、一目で広告とわかるような注意書きがなされるのが普通である。(Wikipedia 「記事広告」より引用)
「一目で広告とわかるような注意書きがなされるのが普通である」という部分を読めば分かるように、記事広告かどうかを明記するのは自主規制だということだ。
現実には、どう見ても広告だと分かるものに限って「PR記事」などというような表示があるような気がする。どういう記事かというと、広告主であるメーカー等が作成しているのが明らかな記事だ。
● 巧妙なものほど露見したらダメージが大きい
気をつけて欲しいのは、このような一目瞭然と思われるものでも、紛らわしいのでもっと分かり易く表示せよと怒る人達がいるということだ。
しかし、実際の記事広告はもっと巧妙だ。
商品紹介の記事などでは、広告料が支払わているケースも中にはある。また、広告料が支払われなくとも、無料で商品を提供するようなことは当たり前に行われている。
安いものならまだしも、数万円もするものをタダでもらった上で、批判的な記事を書ける記者がどれだけいるだろうか?
このような記事では、もちろん「PR記事」とか「広告記事」の明記はないし、それでいて別に悪いことだという認識もない。現実として、このようなことはいくらでも行われている。
メーカーがアルファブロガーを集めて、新製品を無料で配布し、好意的な記事(提灯記事)を書いてもらうなどということは、既にプロモーションの一方法として認知されている。「いつも辛口のあの人が、妙に褒めてるな」と思ったら、この手のやつだと思って間違いないだろう。
しかし、「Sponsored」と明記してあっても、見せ方が紛らわしいだけで「evil」とまで言われる時代である。このような巧妙なものほど、露見したらボロカスに書かれるのは言うまでもない。
これからの広告においては、フェアであることが最重要な要素であるようだ。