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4月14日 奮起~「叱る」アレルギーになっていないか?(#326)
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なんだか最近「叱る」ということを極端に嫌っている人が増えていないか?――松下幸之助さんの言葉を読んで、そのことに思い至りました。
やはり人間は、叱られるべきときには厳しく叱られ、それを素直に受け入れ、謙虚に反省するとともに、そこで大いに奮闘し、みずから勉励していってこそ成長し、実力をつけていくのである。
(『松下幸之助 成功の金言 365』)
叱らないでどうやって人を育てるか(「人を育てる」という言い方を私は好みませんが、ここでは便宜上使います)?
受け入れることで信頼関係を作り、率先垂範で見本を示し、支援の姿勢でやる気にさせる。
これは、一つの理想的な形と思いますが、なかなかこうはいきません。
私は、叱っていいと思います。
たとえば、明らかに全部を読まずに、言葉尻だけで批判されることがあります。そういうときには、私は叱ります。自分の文章が悪いからという反省もしますが、しかしながらやはり人の書いたものを公然と批判するには、最低でも10回は読んでからと私は思うからです。
これを先ほどのように、「受け入れることで・・・」なんてやっているのは、まどろこしいだけでお互いイライラします。感情的にならず、きちっと礼を尽くした上で話をすれば、大概の人は分かってくれます。
このようなケースは、職場でも家庭でもいくらでもあるのではないか。
本質は、叱る/叱らない、などというところにあるのではなく、裏表があるかないかだと思うのです。
人前で叱らなくても、陰で批判している人はやはり信頼されませんし、逆でも陰で一切人の批判をしなければ信頼され、必ずその意図は相手にも伝わります。
松下さんの言っていることも、叱る人のこういった姿勢が前提になっていると思うべきでしょう。ただし、叱られる側は、そういうことではなく、文字通り解釈すべきとは思いますが。
今日の一言)本質は、叱る/叱らないではなく、陰で人をどう言っているか。