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5月15日 信仰三昧~信仰がいいかは別として、科学的・進歩的思考だけでは足りないものがある(#357)
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お客様を神様・仏様と思い、ありがたいと手を合わせる――「信仰三昧」という気持ちになって仕事に打ち込めば、商売繁盛は間違いない、と松下幸之助さんはいいます。
私は、千葉が長いのですが、両親が大阪出身で、子供のころから大阪商人の生活を見てきました。このような気持ちを大阪商人は多かれ少なかれ持っているように思います。
ちょっと昔までは、東京にもこんな人はいたようで、松下さんも上京すると訪れていた銀座の理髪師の米倉さんという方は、「業即信仰」と書いた風呂敷を作って、利用組合の人たちに配ったのだそうです。
私自身は、このような生い立ちなので、神仏に祈ることには抵抗はないのですが、中には神頼みではいけないだろうという人もいるかもしれません。
そのような人の多くは、たぶん科学的・進歩的の思考の持ち主ではないでしょうか。
私にももちろん科学的思考はあります。
ただ、最近自分の中で分かってきたのは次のようなことです。
誰を嚆矢とするかはいろいろと意見が別れるでしょうが、たとえばデカルトのような分析⇒統合というヨーロッパ的な思考方式が、進歩思想と結びつき、20世紀中盤までのヨーロッパの繁栄を作ってきました。
ところが、20世紀前半から、相対性理論、不確定原理、不完全定理、不可能性定理など、従来の世界観を覆す発見が続き、どうも科学的な考え方にもなんらかの限界がありそうだと分かってきました。
哲学・思想の世界でも構造主義などが出てくることによって、進歩的な世界観にも疑問が呈されるようになりました。
科学自体は、自己改良を続けてきた歴史があるので、限界はないのかもしれません。ただ、多くの人が、科学的思考一辺倒ではダメなのではないかと思い始めているのも事実です。
次のような事実が、そのように考える人が増えることに拍車をかけているように思います。
- 宇宙と素粒子を研究すればするほど、矛盾する事実が現れ、それを説明するための理論は一般人にはすでに意味不明(※)であり、また証明の目処がたっていないこと(宇宙論は年々混迷を深めているように感じられます)
- 脳を研究すればするほど、心や意識とは何かが分からなくなってきていて、こちらも解決の目処が立っているには程遠い状況であること
- 科学の善用のはずだった原子力の平和利用や技術開発が、かならずしも人類に幸せをもたらしていないようであること
※暗黒物質までは多くの科学者がありそうと思っているようですが、暗黒エネルギーに関しては多くの科学者がそれがないと宇宙の膨張が加速していることが説明できないとしつつも、意味は分からないと言っているようです。なにしろ、宇宙全体のエネルギーの10の62乗パーセント(!!!???)のエネルギーを持つ粒子が見つからないと言っているわけですから。私は単純なので、そのようなものを想定しないと説明のつかない理論は何か間違っているように思うのですが・・・
だからと言って、すぐに宗教だ、スピリチュアルだというのも短絡的だと思います。
いま大事なのは、科学も宗教も哲学もスピリチュアルな世界も、一度前提を外して、素直な気持ちで吟味し、自分にとって何が大事なのかを見極めることではないでしょうか。
今日の一言)科学一辺倒の人も、信仰一辺倒の人も、これからは弱い。あらゆることを前提を外して、虚心に吟味しよう。