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言いがかりには妄想がいちばん
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軽バンが似合う男、ビジネスストーリー作家の森川滋之です。
昨年の11月にスポーツタイプの3ナンバーから、軽バンに買い換えたのだが、やっぱり釣りに行くならこっちですな。
さて、今回は言いがかりに近いような指摘をされたときの対処法としての妄想について書く。
某中堅企業A社に勤める30代の会社員、田村浩志の所属はマーケ部門。
プロモーションの一環として取引先向けにメルマガを発行することになり、文章力を買われた浩志はその担当になった。
事前調査も万全で、内容も面白く、アンケートの結果も上々であった。浩志を抜擢したマーケ部次長も鼻が高い。
ところが、某事業部で閑職に追いやられている三池諭(52歳)から、長文の"意見"メールがよせられてきた。
「全般に何がいいたいのかよく分からない」との書き出しで、添付のExcelファイルに30個所近い指摘が書き連ねてあった。
浩志は人間が練れていたので腹は立たなかった。参考になるところは参考にしようと、感謝しながら丹念に読んだ。
しかし、いくら温厚な浩志でも、半分以上はいいがかりだと思えてならなかった。
文章の指摘だけならまだしも、そんなことおまえに教えてもらわなくても知ってるよというような指摘もあった。それには、少々閉口し、怒りは湧かないが、心に少しさざ波が立った。
こんなことではいけない――と感じた浩志は、妄想で対応することにした。
(浩志の妄想)
三池諭52歳は、W大学のちょっとメジャーな文学同人の出身で、文章にはいささか自信があった。
その同人の出身者には、某有名作家もおり、あいつを育てたのは俺だと、酔うたびに吹きまくっている。もちろん会社の同僚は信じていない。
学生時代には文学新人賞にも応募したが、佳作にもならずにすべて落選。ただ、自分をよく言うのは得意だったので、A社に採用された。当時の人事部長(現副社長)は、いまだにその過ちを悔いているという。
W大出身と言うことで期待もあったのだが、ここまで裏切らなくてもいいだろうという働きぶり。会社のお情けで45歳で役付きになったが、部下のいない閑職。現在は事業部付という待遇だ。
いまだに書いているらしいが本を出したことはない。業界誌に寄稿が載ったことが一度だけあるが、その後依頼はどこからもない。本人はちょっとあの雑誌には格調が高すぎたかなと言い訳している。しかし、その雑誌が三池の机の中には何冊もあることを社内で知らぬ者はいない。
マーケ部の部長とは同期で、同期会があったときに、部長から今度メルマガを発行するんだという話を聞く。いま暇だから書いてやってもいいぞ、と本人はさりげないつもりでアピールしたが、部長は「考えておくよ」とお茶を濁したらしい。周囲の証言では、同期会が終わるまでずっとアピールをしていたらしいが......。
「考えておく」という部長の言葉を内定と思っていた三池は、マーケ部の田村浩志が担当に決まったと知った瞬間、激怒したという。「あの若造が、いまに思い知らせてやる」と言ったそうだ。
メルマガ発行後3回目に、「こいつはものを知らないな」と思う個所があったので、思い切り指摘することにした。その個所は浩志が文脈から明らかだろうと考え省略しただけだったのだが......。
妄想しているうちに三池諭がなんだかかわいそうになってきた浩志であった。
浩志の妄想のうち、事実なのは下線を引いた部分だけである。
すばらしい妄想力であるといえよう。
ここまで妄想できれば、それこそ妄想にエネルギーを使うので腹は立たなくなってくるはずだ。
言いがかりをうけたときに、相手をかわいそうなやつだと思うことで対応できる人もいるが、それは相当な人格者である。
しかし、ここまで妄想してしまえば、本当にかわいそうになってくる。それこそ「春風(しゅんぷう)を以て人に接」する(※)ことも可能になるであろう。
なお、今回の話が、僕が某社に納品した原稿に関して、手厳しい指摘を受けたことと関係があるかどうかは、ここでは伏せておくことにする。
(※)幕末の儒者佐藤一斎の「春風を以て人に接し、秋霜を持って自らを粛(つつ)しむ」から。春の風のようなやさしく暖かい気持ちで他人には対応し、秋の霜のような厳しい心構えで自分を律しよう、ぐらいの意味。僕の座右の銘。