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目の前のことに取り組めないから困ってるんでしょうが
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成功哲学に突っ込めるということは、成功本をそれなりに読んでいるということだ。
実際、成功本は好きだ。古典的なものはいちおう押さえている。
成功本がこの150年進歩していない理由
スマイルズの『自助論』などは今読んでも感動的だ。初版は1858年。日本では安政5年。日米通商修好条約が調印された年だ。翌年が桜田門外の変。
多くの成功本は、はっきり言って、この『自助論』の焼き直しである。
アマゾンのレビューにこういうのがあった。
「ビジネス書を書くのなら、また読むのなら、他の本を読む前に、まずこれを読むと良い。ハズレを引く確率が減る。」
心から同意するが、もう少し正確を期すと、「書かなくていい本を書いたり、読まなくてもいい本を読んだりする確率が減る」だろうか。ただ、このレビュー、読むほうだけでなく、書くほうにも向けているのがさすがだ。誰とは言わないが、読まずに書いただろうと思う人も多いし、読んだくせに書いたなという確信犯も多い。
かように成功哲学は、ここ150年ほどほとんど進歩していない。
なぜだろうか?
それは、『自助論』が書かれた頃に、西欧列強による資本主義が完成し、それからずっと形を変えながらも続いているからだろう。
成功哲学というのは、資本主義の社会でどうやって立身出世するかというノウハウ本なのである。けっして世界史レベルで普遍的なものではないし、現代世界においても普遍的とは言いがたい(グローバルスタンダードのようなものである)。
しかし、資本主義社会で生きていくのであれば、読んでおいたほうがいいだろう。大切なのは文字通り受け取らないことだ。
※上の画像は、アマゾンより拝借しました。
マイルストーン中のマイルストーン
『自助論』は現代でも通用する成功本であり、今もその焼き直しが毎年何千点も出版されている。
ただ、時代に合わせてマイナーチェンジが施されているのも事実だ。そのマイナーチェンジの中でも、マイルストーン的な傑作がいくつか存在する。
近年では『7つの習慣』。これは名著だ。
だが、マイルストーン中のマイルストーンを挙げろと言われると、デール・カーネギーの『人を動かす』と『道は開ける』になるだろう。
この2冊もいまだに売れ続けており、たくさんの人に影響を与え続けている。
今回は、『道は開ける』の論旨は、循環論法の代表例だということを示したい。
※上の画像もアマゾンから拝借しました。
さすがはアメリカ、病んでるなあ
カーネギー氏が『道は開ける』を書いた理由は、当時(『道は開ける』の初版は1944年発行)のアメリカには、悩みについて書かれた本がなかったからだと言う。
驚いたことに、この図書館の「悩み」という事項索引に取り上げられている本は、わずかに二十二冊しかなかった。おもしろいのは「回虫」という項には百八十九種類の本が挙げられていた。回虫についての本が、悩みについての本よりも九倍も多いとは!(中略)
その結果はどうか? わが国の半分以上のベッドが、神経症や情緒障害の患者で占められることになるのだ。(『道は開ける』 D・カーネギー著、香山晶訳、創元社)
最後の一文が事実か、僕には知る由もないのだが、さすがはアメリカ、第二次世界大戦中でもこんなに病んでいたのだ、ということは分かる(注)。ベトナム戦争を契機に変わったわけではなさそうだ。
さすがはカーネギー氏、目の付け所が違う。出したとたんに大ベストセラーとなった。
(注)戦争中だからという人も多いかもしれないが、戦争中はそれどころじゃないということでかえって神経症になる人が減るのだと、僕は聞いている。
目の前のことに取り組めと言われても
『道は開ける』はカーネギー氏より読み方が指示されている。重要と思うところに赤線を引けというのだ。僕の手元にある『道は開ける』は、赤線を引いていないところを探すほうが大変だ。そのぐらいすばらしい本である。
すばらしい本なのだが、やはり突っ込みどころはある。
悩みで神経症や鬱病になる人が多いから、その人たちのために書かれた本である。当然だが、そのような状況から正常に復帰するための方法論が書かれている。
それが、どう考えたって循環論法なのである。
カーネギー氏は、悩みから解放されたければ、一日の区切りで生き、目の前のことに取り組めと言う。
これは、正常な精神状態(というのがどういうのかは措くとして)の人とっては、十分に正しい態度である。このような習慣ができれば、毎日は達成感と充実感に満ちたものになるだろう。
しかしながら、このような態度が取れないのが神経症や鬱病の症状ではなかったか。そこまでいかずとも悩みで頭がいっぱいの人にはこのような態度は取れない。
これでは、風邪を治すには、風邪を治せと言っているに過ぎない。
図にしてみよう。
ここまで単純な循環論法は珍しい(注1)。マルクスの労働価値説は循環論法だが、図に描いてもらわないとよく分からない複雑さがある。なので、いまだにマルクスのこの説を信じている人がたくさんいるようだ(注2)。
上の図に戻ると、これは僕にも経験がある。何度もある。最近では、昨年の震災以降半年ぐらい図のような状態だった。
目の前のことに取り組むことで悩みが解消するのではない。目の前のことに取り組めるようになったら、悩みないし病気から抜け出しているのだ。
何らかの契機がなければ、抜け出せるものではない(このあたりは、僕の誠Biz.IDの連載「518日間のはいあがり」を読んで欲しい。契機にあたる回はこれ)。
抜け出す契機は適切な治療だったり、ショッキングな出来事だったり、周囲の隠れたやさしさに気づくことだったり、人それぞれである。
一番いけないのは、目の前のことに取り組めない自分を責めることである。そのようなときは、クリニックにいくもよし、信頼できる人に話をきいてもらうもよし。とにかく人に会うことだと思う。
成功哲学を端からバカにするのもよくないと思うが、真に受けすぎる人もよくない。
成功本に書かれていることができないのが普通なのだ。
(注1)この図は、わかり易いように描いている。循環論法というのはこういうものではないという反論をされる方がいるかもしれない。もうちょっと循環論法っぽく書くとこんな感じだろうか。「悩みを解消するには目の前のことに取り組めばいい→なぜなら悩みのない人は目の前のことに取り組めるからだ→つまり目の前のことに取り組めない人は悩むから解放されない→ゆえに悩みを解消するには目の前のことに取り組めばいい」。回りまわってきた。
(注2)労働価値説が循環論法だという主張の論旨はそれほど複雑ではない。マルクスは、市場価格は労働時間で決まると言った。これに異論を唱えたのがベーム・バヴェルク。単純労働だけならそうかもしれない。しかし、単価の高い高級サービスがあるでしょうと。そこでマルクスが持ち出したのが、平均労働と言う概念。単純労働に比べて高級サービスの価値が10倍なら、時間を10倍とすればいいでしょうと。そこで再反論。では、平均労働はどうやって決めるんだ。市場価格から考えればいいでしょうとマルクスは言い、労働価値説は循環論法だと判明した。