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大地震から1年、大人にならなきゃーあるいは「踏まえる力」の提案
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明日で大地震から1年。
人災という意味で震災はまだ続いている。だから振り返るのはまだ早い。震災から1年という言い方もしたくない。
我々は65年以上まえの戦争だって、まだきちっと振り返れていない。本当に振り返れるのはたぶん100年後からだと思う。震災を経験した人が、ほぼいなくなってからだ。
区切りはあってもいいのでは
とはいえ、区切りはあってもいいと思う。我々は毎日震災のことばかりを考えてもいられない。命日やお盆に故人を偲ぶのと同じ感覚で、地震のことを考えてもいい。
まずは自分の振り返りを簡単にしておこう。
僕はその日何をしていたか。平日の午後だったが、自分で主催したセミナーの講師をやっていた。
テーマは、自分軸。「誰に」「何を」「なぜ」提供しているのか――これを僕は「自分軸」と呼んでいる。自分軸を発見することで、自分らしい生き方を見つけて幸せになろうという内容のセミナーだった。
当時の僕は、一時期は月商100万円を超えていた営業コンサルの仕事が衰退傾向にあったので、それをカバーするために自分軸を売り出そうと思っていた。セミナーの集客は、平日の午後にも関わらずうまくいっていた。それなのに。
皮肉だった。地震と一緒に、僕は自分自身の自分軸が見えなくなってしまった。「誰に」「何を」「なぜ」がまったくわからなくなってしまった。
起死回生のコンテンツだと思っていた自分軸に足下をすくわれる形になった。
いまは、「何を」がようやく見つかったところ。それだけで上向きつつある。自分軸は強力だと改めて思う次第だが、自分軸を自分の「何を」にする気はいまさら起こらない。 自分で確立できていないものを人に勧めることはできない。
我ながら子供だったな
この1年の自分を振り返ると、我ながら子供だったな、というしかない。
自分を見失っているところが、まず子供だ(これは後述する馬場中山集落の人たちと比較すれば明らかだ)。いまさら若気の至りだと言える歳でもあるまい。来年には50歳だ。
東電、政府、マスコミ(主にテレビ)といえば、復興を妨げる三悪という見方もあろう。そう思う人を、僕は否定できない。自分もそう思っていた。でも、子供のものの見方だ。子供で悪ければ、前近代人。勧善懲悪の世界観だ。僕は好きだけど、幼稚だということも自覚しないといけない。
大人はもっと公平な見方をする。
東電が情報を隠すのは、民間企業として株主を守るという観点から当然のことではないか。あとでそれを怒っていた株主がいたが、じゃあ何でも公開して、もっと早く株価が下がっていたのなら非難しないのか?
政府が情報を隠していたことも我々は非難してきた。でも、考えてみれば、治安維持は政府としてはもっとも大事な使命であり、それをまっとうしただけのこととも言える。政府は情報を隠していたから信頼できないと言うが、政府としても買占めに走る関東地方の住民を見ていたら、国民を信頼するのは難しいだろう。
マスコミで槍玉にあがっているのは主にテレビだろう。そのテレビにしたって、視聴者が求めるから、ああいう番組を作っている。
NHKは別として、民法はスポンサーがつかないと話にならない。スポンサーは敏感すぎるぐらい視聴者に気を遣っている。それは視聴率を気にするからだ。今の報道姿勢や番組作りがいいとは思っていないテレビ人は多いようだが、視聴者が求める=視聴率が高いという論理の前には屈服せざるを得ない。
東電も政府もマスコミも、「想定外」の事態にあたふたしていただけ。「想定内」の事態ならもっと上手にごまかしていた。これがこの1年間の真相ではないか。
そして、彼らは我々自身の映し鏡だったように思われる。
「東電は我々」なのだ。
「我々」というのは、僕と同じような感性の人――公平でないと言われたときに、そうかもしれないと自省できる人――に訴えかけている。自分はいつでも公平だと胸を張って言える人は本当にすばらしいと思うし、公平なんてことはどうでもよく責めるべきは責めるという人も自由だ。少なくとも僕は、誰かを責めようとか、誰かを馬鹿にしようとかと思って書いているわけではない。
自分としては物事はもっと公平に見たほうがよかった、というのが大地震から1年経ってのようやくの気づきだ。
被災地の人たちだけが大人になっていく
僕が自分のことを子供だと思い知ったのは、恥ずかしいことだがつい最近である。
先日このブログで『自助論』のことを書いたら、懇意にさせていただいている誠ブロガーの一人から『「自己啓発病」社会』(宮崎学、祥伝社新書)という本を薦められた。
『自助論』について僕が誤解していたことがよくわかった。それは日本中の誤解であることも知った。僕がこのブログで書きたいと思っていることと重なる部分も多かった。稿を改めて本格的に紹介したいと思う。
この本の中に、南三陸町の馬場中山集落の事例が載っていた。著者の宮崎氏がこれからの日本人のあるべき姿として提示している事例だ。
NHKスペシャルに「孤立集落 どっこい生きる」というタイトルで取り上げられていたので、ご存知の方も多いのではないだろうか。ちなみに筆者はその番組を見ていない(後悔している)。
前掲書での関連部分を要約する。
馬場中山集落は、小さな漁港を中心にワカメや近海魚の漁で暮らしている、約200名からなる漁村だ。
大津波は、漁業施設、漁船、漁具、住宅を根こそぎさらい、彼らは自主避難所を作って、避難した。
町とは細い道でつながるだけだが、その道も通れなくなり、孤立してしまった。救援物資がすぐに来ることは望めない。
幸い自主避難所は自炊ができたので、泥土の中から使える食料品を拾ってきて、水で洗って調理した。
救援物資はなかなか来ない。町の避難所までとり行くことにした。まだ使える軽トラックを自分たちで修理し、道をふさいでいた津波で流された家を壊して道を開いた。
食料はなんとかまかなえるようになったが、男たちは野宿していた。いつまでも続けられないと、自分たちで小屋を建てた。
自然発生的にリーダーが現れた。クラさんという人である。クラさんは地区長の協力を得ながら、集落の全員をまとめ、役割分担をして、避難生活を運営した。
4月になってから、行政当局から別の土地に集団避難してはどうかという提案があった。自主避難所暮らしは限界に来つつあった。受け入れたがる住民もいた。
だが、リーダーのクラさんは、住民が各地に分散して結束が崩れたら、村の再建はできないと直感、全員が参加する寄合を開く。どうやって全員が参加、結束して村の再建をおこなっていくかを相談した。
寄合を重ねた結果、全員が自主避難所に残って、村の再建にあたることになった。そして自分たちで仮設住宅を作った。
ところが行政当局がそこには水道を引けないという。道路も延ばせないという。そこで住民たちはネットを使って、全国のボランティアに援助を求めることにした。多くの人たちからアドバイスが寄せられ、建設のプロたちも遠くから駆けつけてくれた。
ざっとこんな話である。著者の宮崎氏は以下のようにまとめている。
馬場中山地区の人たちは、自力で復興に取り組むことを基本にしていたが、それは行政や外部のボランティアの手は借りないということでは、もちろんなかった。むしろ彼らは、受け身の自助、狭い自治に閉じこもるのではなくて、外部に対しては、(中略)援助を具体的に求め、行政に対しても、要求をするだけではなく、プランを逆提案するなど、開かれた自助、外に伸びていく自治を実践してきたのだ。
だから、行政当局にそういわれても、あきらめることなく、プランを練り直し、行政に認めさせようとした。(中略)このような自助復興の取り組みが、馬場中山地区だけではなく、さまざまな地域で、さまざまな形で見られるということだ。
ここにあるのは、薄っぺらい感動物語ではなく、自分たちの土地や先祖代々の伝統を守ろうとする民の底力である。
もちろんきれいごとばかりではない。
たとえば、リーダーのクラさんに対して公平な視点で書いてある記事がある。興味があれば読んでほしい。他の記事も併せて読むと、被災地ボランティアの実態についても知ることができる。
▼集落を守るための豹変 被災半年の歌津・馬場中山(3)
http://einshop.sakura.ne.jp/shinsai2011/blog/2011/11/post-52.html
馬場中山の住民の生の声や写真はこちらだ。
▼馬場中山地区ホームページ
http://www.babanakayama.jp/
我々は子供のまま、被災地の人たちだけが大人になったと思うのは僕だけだろうか。
※書籍の画像はアマゾンのサイトから拝借しました。
「踏まえる力」が必要なのでは?
大人にならなければいけないとは言わない。子供のまま自閉できるのは、それはそれで幸せなのかもしれない。
被災三県では、がれきの廃棄を助けてほしいという。これに答えている都道府県は、一都二県だけ。ある県で受け入れようと住民説明会を開いたら、説明も終わらないうちに、金切り声で反対する(たぶん)主婦。なんら論理性を感じない感情的な反対論。僕はこれを大人とは認めないが、否定するつもりもない。僕が否定したって、社会はこれを許しているのだし。
だから、以下は大人になりたい「我々」にだけ提言したい。
大人は難しいことから逃げてはいけない。たとえば、放射能が怖いと逃げ回っているのは大人の態度ではない。とはいえ原子力に関する専門書は僕には難しい。
となると、それらを踏まえている人たちを見分けて、仲良くなることだ。
では、踏まえている人たちとどうやって仲良くなるのか。それ以前に、踏まえている人を見分けるにはどうしたらいいのか。
二つの課題があるが、解決策は一つだ。
それは自分も何かを踏まえること。
自分の専門領域を持つことが「自助」だ。「専門領域」ではハードルが高いというのであれば、「職業」と言いかえてもいい。バイトなどではない職業だ。
職業のためには多少は難しい本も読まないといけないこともあろうし、そうでなくてもきびしい修業も必要だろう。自腹を切って学びにいくこともある。もちろん実践が一番大事だ。
自助できている人は、他の自助できている人がにおいでわかるようになる。自助できている人は同じく自助できている人を引き寄せ、助け合うようになる。これが「互助」だ。
互助が社会のしくみになることを「公助」という。
前掲書の著書の宮崎氏は、いまの日本の閉塞感は、公助と互助のしくみが徹底的に破壊された(共同体の解体という言い方のほうがわかり易いだろうか)ことに原因があるという。細かい部分は措くとして、僕もその説には賛成だ。
このような状況の中で必要にかられて、互助のしくみが被災地にはできてきているということなのだろう。
踏まえている人たちが助け合う。これが大人の世界というものではなかろうか。
「教養」というのも何だか気恥ずかしいし
僕がこのブログに書くまでもなく、成功哲学というのはなんだか恥ずかしいものだという人が増えているようだ。
次も前掲書で紹介されていた例だ。
『週刊東洋経済』2011年11月26日号の「さらば! スキルアップ教」という特集が評判を呼んだらしい。成功するにはスキルアップ(資格取得や英会話などをさす)のための自己啓発だ、という風潮に一石を投じたものらしい(これも読んでいない)。
この記事の中で、スキルではなく「教養」が大事だと書かれていたそうだ(特集のサブタイトルは「教養こそ力なり」)。
学問や先端技術の教養は、難しい本を一生懸命読まないと身に付かない。教養が身に付く本が難しいのは、内容が難しいというよりも、その本が書かれた以前の議論を踏まえて書かれているからだ。読者にも踏まえていることを要求しているので難しい。
それ以前の本をすべて読む必要はないとしても、何冊か読んでおかないとさっぱりわからない。教養は、階段を踏むように一つ一つ身につけていかないといけない。だから「踏まえる」という。
こういう話は何も学問や先端技術だけではない。漁業や農業にもあるだろう。こちらは書物ではなく、経験としての踏まえだ。魚を釣るスキルはもちろんあるが、何年も漁に出ている人の潮の読み方などはまさしく教養だ。踏まえて身につけたものだ。
どんな職業でも、スキルだけではなく教養が必要だ(暗黙知といってもいいのかもしれない)。
すべての教養を一人で身につけることはできない。教養ある人と連携しあっていくことが重要だ。ただ、教養ある人を見分けるためには、自分にも教養がないと不可能だ。
だから、我々は教養を身につけよう。教養を身につけて自助し、自助できるものどうしで互助しよう。できれば、それを公助にまで広めていこう。
ただ教養というのもいまどき気恥ずかしいから、「踏まえる力」と僕は呼びたい。