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自己実現の欲求なんてない?
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昔、SE向けのキャリアアップの本を書いた。
その中でマズローの五段階説を説明の便法として取り上げた。僕の主張自体は間違ってはいないと思うが、マズローの五段階説を説明に使ったのは良くなかったかなと、最近は思っている。
だって、マズローの五段階説はなんだか変だと僕は思っているからだ(注)。
(注)マズロー自体の学説を僕は知らない。自己啓発セミナーや、会社でのモチベーション研修などで語られる「マズローの五段階説」をこの記事では批判している。マズローの研究者も、五段階説に対していろいろと誤解があると言っているようだ。
マズローの五段階説はご存知だと思う。一応おさらいのために下図にその内容を示す。
自己啓発セミナーや会社でのモチベーション研修などでよく見かける図だ。そこでの説明は、以下のようだったと思う。
まず人は、衣食などの生存の欲求を求める。それが満たされると今度は安全に生きられるようよい住まいや衛生、健康などを求める。それが満たされるとさらに地域や組織などに所属したいと願う。所属が叶うと、今度はその中で承認されたいと思う。ここまでを欠乏欲求という。
欠乏欲求がすべて満たされると今度は、自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求が起こってくる。これを自己実現の欲求という。自己実現の欲求のみを存在欲求(注)という。
なお、たとえば病気などで生存の欲求が満たされない場合は、いったん下に降りてから、また上に上がってくるとされている。
とっても分かり易い話だ。しかし、分かり易い話ほど疑うのがいい。
(注)マズローは、自己実現の上にさらに自己超越の欲求ということを想定していたらしい。これも含めて存在欲求というようだが、よく知られていない上、マズロー自体が認めている通り自己超越はおろか自己実現の欲求を達成している人さえもほとんどいないため、今回の記事では、自己超越の欲求は無視する。
若い頃は、あまりものを考えなかったのかもしれない。あるいは年長者や先生の言うことは素直に聞くべきというルールに囚われていたのかもしれない。
割と素直に納得したのだった。
ところが、年を取ってひねくれてきたからだろうか、正直変な話だなあと思うようになったのである。
確かに生存の欲求も満たされないようなところで、立派な人間になろうなどと思わないかもしれない。
しかし、生存と承認って分けられるのだろうか。赤ん坊であれば親の承認がなければ、そもそも生存もできない。
生存と安全もそうだ。安全なくして生存がありえるのか?
所属と承認も分けられるのであろうか? 所属できるということ自体が承認の証ではないのか?
神風特攻隊の悲劇は、(大日本帝国への)所属の欲求がための悲劇のように僕は思う。しかし、そこに承認の欲求はなかったか?
また、このように所属や承認の欲求のためには人は命を捨てることさえある。これは何故なのか?
多少、屁理屈も入っていると思うが、厳密に考えようとすればするほど、人間の欲求なんてそんなに単純ではないと思えてくる。おそらく階層構造ではないだろう。
そう考えると、自己実現の欲求なんて本当にあるのだろうかと思わざるを得ない。
自己実現者の特徴は、下記の通りらしい。
これら5つの欲求全てを満たした「自己実現者」には、以下の15の特徴が見られる。
1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
2.自己、他者、自然に対する受容
3.自発性、単純さ、自然さ
4.課題中心的
5.プライバシーの欲求からの超越
6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
7.認識が絶えず新鮮である
8.至高なものに触れる神秘的体験がある
9.共同社会感情
10.対人関係において心が広くて深い
11.民主主義的な性格構造
12.手段と目的、善悪の判断の区別
13.哲学的で悪意のないユーモアセンス
14.創造性
15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越
ざっと眺めただけでも分かると思うのだが、この15個って、人から認められていないと持てない特徴なのだろうか?
僕にはそうは思えない。15の特徴を全部備えていたらかなりの人格者だと思うが、このような人は、人に承認されているとか、何かに所属しているとか、安全で快適な生活をしているとかということと無関係に存在するのではないだろうか。
これらは、自己実現などとは関係なく、その人の人品に関わる属性のように思うのだがどうだろうか。
マズローの真意はよく分からない。ただ、自己啓発セミナー等での説明はなんだか変だと思うのだ。
ところが、こういう(僕には当然と思われる)疑問を、そのようなセミナーで講師に質問すると、説明してくれるどころか、「斜に構えていないで素直に聞けないから自己実現できないんだよ」とたしなめられたりする。
まったくもって不思議な反応である。何かこの辺にあやしい秘密があるとしか思えない。
どうも「自己実現」ということの大切を否定されていると感じると、このような反応になるようなのだ。
はっきり言わせてもらうと、自己実現の欲求なんて本当はないと思う。仮にあったとしたも、上図で示したような怪しい土台の上に成り立つものではないと思っている。
講師が変な反応をする理由は簡単である。自己啓発セミナーとは、自己実現が商品なのである。しかも、商品を売るために、その欲求を持たないのは人間として間違っているということを説くというかなりえげつない商法なのだ(と、僕はちょっと言いすぎと思いつつ、分かり易く書く)。
自己実現なんて言葉に振り回されないように。マズローだって、自己実現者のサンプルを身近で十分に集めることができず、 偉人の例も付け加えたのだが23例しか集められず、自己実現を達成できる人は全人類の1%に過ぎないと言い放っているのだ(先のWikipediaの引用による)。
たかだか人類の1%に過ぎない者になれと説く先生をあまり信用してはいけない。ましてや自己実現できない人と言われたからといって気にする必要はまったくないのだ。
自己実現を達成しようというような本(嗚呼、僕の本も含まれてしまうかもしれないのがイタイ)、セミナー、教材などは迷わず無視するのが、僕は賢明と思う。