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どうして無茶な法令がまかり通るのか?

どうして無茶な法令がまかり通るのか?

森川 滋之

ITブレークスルー代表、ビジネスライター

当ブログ「ビジネスライターという仕事」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/toppakoh/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


先日の「夜行バスの事故はいったい誰が悪いのか?」は、大勢の方に読んでいただいた。誤字の指摘から内容への賛否まで多数のコメントやツイートをいただいた。感謝しています。

今回は、その続き。僕の問題提起自体があまり理解されていなかったように思うので、補足をしたい。

※法令、規制、基準という言葉がランダムに出てくるが、あまり深い意味はなく、なんとなく区別して使っている。法律に詳しい人はイライラするかもしれないが、法律論をやっているわけではないので、ご容赦ください。

 

ずは、僕の知り合いの運送会社の社長A氏の繰言から聞いていただきたい。いきなり是非を決め付けず、現場の社長たちはこう言っているということに耳を傾けてくだされば幸いである。

「運送会社に対する規制って無茶苦茶なんですよ。安全第一というのは当然なんだけど、すべての規制をまともに守ると、絶対に赤字になります。なので、多くの運送会社ではかなりごまかしています。大手も例外じゃない」

上の話は、A氏が経営する会社がなぜ赤字になるのかについて説明してくれたときのものだ。裏を返せば、A氏の会社は規制を守っているということだ。真偽のほどは分からない。ただ、友人なのでA氏の言うことを信じたいと思う。

 

からといって、陸援隊の法令違反をかばおうという気はない。

▼関越道バス事故:「陸援隊」に多数の法令違反...運輸局監査
http://mainichi.jp/select/news/20120503k0000m040075000c.html

これはひどすぎる。点呼だとか飲酒チェックだとか、そんなことにコストがかかるとは思われない。完全な怠慢業務である。

しかしながら、陸援隊が悪かったからでは、何の解決にもならない。

陸援隊がなぜこんな風になってしまったかについては容易に想像がつく。

あまりにも無茶な法令を適当にごまかしているうちに、良いことと悪いことの区別がだんだんなくなってしまったのだろう。つまりモラル・ハザードを起こしたのだ。

陸援隊の罪は免れないとしても、多数の陸援隊予備軍がいるというのが現実であり、これこそが問題なのである。

いみじくも陸運局自体がそれを証言しているではないか。「こんなに守っていない例ははじめてだ」と。

要するに陸運局自体、完璧に守られるような法令・規制ではないと白状しているのである。

 

ちらの記事を見てほしい。

▼<関越道バス事故>「あすは我が身」運転手たちの不安と不満
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120502-00000092-mai-soci

運送業界の実態がよく分かる。

そして、運転手たちもこう思っているのだ。

運転したこともない役人が基準を作っている。基準を作る人は夜中にハンドルを握ってみてほしい

この記事に関して言えば、どちらかというと運転手、つまり現場の実態が分かっていないということであり、先ほどのA氏の話とは直接結びつかない。運転手の意見を全面的に取り入れて規制を作ったら、ますます経営不振の運送会社が増えることであろう(だから、運転手の意見を取り入れてはいけないと言っているのではない)。

だが、いずれにしろ現場のことも経営のことも分かっていない人間が、無茶苦茶な法令を作っているのだと感じている人が多いということは分かる。

だとすれば、現場が分からない人間が法令を作っているのが悪いという結論でいいのであろうか?

 

こで、寄り道になるが、話をややこしくする要因を排除しておきたい(余計ややこしい?)。

それは、規制を完璧に守っていたとしても事故は起こるということだ。

A氏の会社でも、過去いたましい事故があった。原因は居眠り運転。運転手は無事だったが同乗していた若者が亡くなった。

先ほどの記事(<関越道バス事故>「あすは我が身」運転手たちの不安と不満)にも書いてある。

 大阪のバス会社に勤務し、観光バスを運転しているが、繁忙期はツアーバスのシフトに入る。「原則、2時間で交代。月に4~5回の休みもある。それでも夜の運転はきつい」。1日のワンマン運転の上限を670キロとする国土交通省の指針を事故後に知り、「机上の空論」と感じた。総務省によると、約9割の運転手が睡魔に襲われたり居眠りしたりした経験があるという。

これについては、僕は実感を伴って頷ける。

つい先日、ゴールデンウィークに中央高速を走っていたときのことだ。日中であったにも関わらず、僕は一瞬意識を失ったことを自覚した。時間にして0.5秒程度だと思う。

愛車は軽バンで登りの多い中央では80kmぐらいしか出ない。それでも0.5秒で22m、もし1秒だったとしたら44m進む。道路が空いていたので無事だったが、運が良かったとしかいいようがない。

その後は恐怖感から一気に目が覚めたが、それでも次のPAで運転を交替してもらったのは言うまでもない。

妻と二人で交替で運転していてもこれなのである。しかも、妻の実家が愛媛にあり、犬を飼っている都合上、よく千葉から愛媛まで往復する。長距離運転には人より慣れているはずなのに、これなのである。今回の目的地は、愛媛と比べると目と鼻の先ぐらいの山梨県だった。

日常的に運転している運転手の「約9割」が「睡魔に襲われたり居眠りしたりした」というのは多分嘘だ。

ほぼ全員が睡魔に襲われ、そのうち9割が居眠りした、というのが僕は本当だと思う(あくまで想像です)。

したがって、無茶な基準・法令なのにも関わらず、安全性にはほとんど寄与していないと言って差し支えないだろう。

運送会社のコストを度外視して安全な基準を考えるとすると、運転手が2人で交替ではとても足りない。運転手のほかに監視者を乗せて不眠で運転手の状況を監視させる必要がある。監視員が居眠りしないか不安だということであれば、交替制にするしかない。そうなると都合4人乗せて、はじめて安全だと言えることになる。

それでも100%安全かと言えば、世の中に完璧などない。ほとんどゼロに近い確率だが、監視員と運転手が同時に居眠りするかもしれない。

いずれにしろ、長距離運転の場合4人同乗なんて規制を作ったとしたら、運送会社は1割ぐらいに減り、我々はかなり高い運賃を払わざるを得なくなる。なので、決してこんな規制は作られない(はずだ)。

こういう事情なので、安全性に関する問題については、少し議論の外においておきたいと思う。今のところは、規制を守れば、それなりの安全性が確保されるという理解にとどめておきたい。そうでないと議論が分散しすぎてしまう。

 

全性の議論を一時棚上げした上で、我々が議論しているのがどういう問題なのかをはっきりさせておく。それが下の図である(クリックすると拡大図が出ます)。

2012050701.jpg

ここまでの議論をまとめると、左から2番目の枠からの話となるであろう。

現場を知らない役人や政治家が無茶苦茶な法律を作るため、経営危機に陥った経営者たちが適当にごまかしながら経営する。そのうち何が良いのか悪いのかも分からないモラル・ハザードの状態に陥り、悲惨な事件や事故が発生する。

陸援隊の社長会見だけを見ていると、かなり深読みする人でも、これで結論が出たと思うことだろう。

しかし、これでは教訓にならない。被害者も遺族も浮かばれないというのが僕の意見だ。

一番左の「根本原因」を突き詰めないといけないのだが、それが何だか僕にはよく分からない、でもそれを探す努力をしないと何も良くならない。

これこそが僕が、「夜行バスの事故はいったい誰が悪いのか?」で一番訴えたかったことなのです(それが伝わっていなかったとしたら、もちろん僕の文章が悪い)。

 

々は、なぜ「現場を知らない役人や政治家」の存在を許しているのだろうか?

国民主権という限り、それは国民がそうしているのである。だから、我々は有責ではないだろうか?

いや、国民主権などという言葉はすでに形骸化しており、制度的にしかたがないという意見もあるだろう。しかし、そこで思考停止して本当にいいのだろうか?

みんなが選挙に行かないから? 僕は、それも違うと思っている。もっと根深い問題があるはずだ。

投票率が低いということは、選挙制度への絶望があるはず(実際、2012年4月現在で投票したい政党がないという人が5割だという)。では、なぜ選挙制度(もっと言えば政党政治)への絶望が起こっているのか?

この数年、失策続きで総理がバタバタと代わるから? じゃあ、失策しかしないような人間が何で総理大臣になれるんだろう? 優秀な日本人はどこにいってしまったのか?

大げさと思われるだろうが、こういった根深い問題を追求しない限り、財政破綻も少子化も不況も解決しないと僕には思えてならないのです。

 

追記

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