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パーソナルブランドで勝ち組になった男たち④

パーソナルブランドで勝ち組になった男たち④

宇田川ガリバー哲男

R&Bバンドでメジャーデビュー後、独立アーティストとして活動中。アーティスト目線の音楽プランニングブランド「Umami+」で、国内外で音楽を身近にする企画に挑み続けている。

当ブログ「こじつけ力 ―闘う現代アーティスト論―」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/udagulliver/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


 パーソナルブランドを最大限に生かして成功した音楽実業家の話。

今回は最終回です。

 

 《パーソナルブランドで勝ち組になった男たち》

 ①はじめに(ライセンス契約とエンドースメント契約)

 ②HIPHOPビジネスマン(ジェイ・Z、ドクター・ドレー、P・ディディ)

 ③ライセンスの鬼(マイケル・ジャクソン)

 ④時代は巡るのか(Yoshiki、吉田拓郎、スティーブ・ウォズニアック、本田圭佑)

 

こじつけ力

▼Yoshiki

 ハリウッドで最も有名な日本人アーティストと言われるYoshiki。
現在もリーダーをつとめるバンドX JAPANの作品の流通は、配信はエイベックス、アメリカのEMI、ウィリアム・モリス・エンデヴァー、DVDはジェネオン、ユニバーサルへと、全てアーティスト主体で動いて管理しています。
 近年は実業家としても注目されており、日本でもよく見かけるエナジー・ドリンク「ロックスター」のエグゼクティブ・プロデューサーという意外な肩書きから、本業の音楽ではゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングを2年連続で手がけたり、グラミー賞の投票権を持つ「ボーティング・メンバー」の1人でもあります。
<Yoshikiブランドの例>
●着物ブランド「YOSHIKIMONO」
●「桑山」とコラボしたジュエリー・ブランド「YOSHIKI Jewelry」
●プライベートブランド「ラルム」で、コーセーと香水を、ワコールと女性用ランジェリーを開発
●ハローキティとのコラボレーション・キャラクター「yoshikitty」
●モンダヴィ・ファミリーとコラボしたカリフォルニア産ワイン「Y by Yoshiki」を発売
●タカラからリカちゃんシリーズ初の実在の人物をモデルとした人形「STARLIGHT YOSHIKI」発売
●三井住友カードが会員限定の特典がある「UNDERGROUND KINGDOM VISAカード」を発行
●ソーシャルネットワークサービスや研究機関への出資
●アメリカのアーティストのプロデュース
●天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典の奉祝曲
●愛知万博の公式イメージ・ソング
●「日本社会と文化に貢献した人物」として文部大臣表彰を受ける 
 そもそもの始まりは、20歳でエクスタシーレコードという会社を立ち上げたところからで、この時点で音楽業界の仕組みを理解していたといいます。
アメリカの有名なレコーディングスタジオを制作用に買い取り、空いてるときはマドンナやマイケル・ジャクソンに貸すなどしていました。
 いかに効率的に稼ぐかというビジネスセンスを持ち、何よりも音楽に貪欲である姿勢は見習うべきところです。
彼があるインタビューの中で言っていた「外国人になりたくて外国でやっているわけじゃない」という言葉も印象的でした。
 
 

▼吉田拓郎

 実は日本でも中間マージンに不満を抱くアーティストのムーブメントはあって、ちょうど前回までの話と同年代の1975年に、あるレコード会社が生まれました。

フォーライフ・レコード株式会社です。

2001年まで存在した日本のレコード会社で、小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるのフォークシンガー4人が設立したレコード会社です。

現役ミュージシャンがレコード会社を設立するという当時も大きな反響を呼んだそうです。

 通常、アーティストはレコード会社、プロダクション、音楽出版社の3社と契約しますが、有名アーティストが制作の主導権を握っていれば、既にネームバリューがある状態で営業をスタートできる上、機能分担会社の伝手もあるため、余計なコストをかけずに作品を発表できます。

 特に大きいのが原盤権です。

レコード会社や提携しているレーベルは、制作を自社で手掛けても、プレス・販売・配給・宣伝を他の大手レコード会社や資本元の親会社(プロダクションなど)に委託することがあります。

利益分配をする代わりに、より大きな流通網で販促してもらうということです。

 フォーライフのケースは、アーティストはプライベートスタジオを持っていて(現代ならもっと手軽に低コストで)制作ができるため、原盤権を独り占めできるわけです。

 結局フォーライフは、吉田拓郎が社長になってから創設メンバーの足並みの乱れが生じ、1982年に副社長だった後藤由多加氏が社長に就任。その後、2002年からフォーライフミュージックエンタテイメントして設立し直され、現在もメジャーレーベルや芸能プロダクションの資本下ではない独立系レコード会社として存在しています。

 企業生存率が20年で0.3%と言われている現代においては成功した会社と言えると思います。

  

▼スティーブ・ウォズニアック 

 僕が生まれた年に音楽業界に伝説を残した破天荒な人物、スティーブ・ウォズニアック。

あのアップルの創設メンバーでありスティーブ・ジョブズの相棒です。

 AppleIIを開発し、ヒューレット・パッカードを退社してアップルの経営に専念すると、1980年のアップル社の株式公開で1億ドル以上(当時のレートで200億円以上)にも及ぶ莫大な資産を得ました。

 この時、30歳のウォズニアックは、大物プロモーターのビル・グラハムも巻き込んで史上最大規模のロックフェスとなった『US FESTIVAL』(アース・フェスティバル)を開催しようと考えます。

https://www.facebook.com/pages/The-US-Festivals/92684147411

 彼らはこのイベントのために、UNUSON(unite us in song)という会社を作りました。

UNUSONが唯一のスポンサーとなったため、ウォズニアックが嫌う余計な広告は無しで、カリフォルニアの郡立公園で開催されました。

http://en.wikipedia.org/wiki/US_Festival

 1982年は3日間で約50万人を動員しながらも1200万ドルを損失。

 1983年は4日間で約67万人を動員し、またしても1200万ドルの損失。

ヴァン・ヘイレンには150万ドルというギネス記録にもなったギャラを払うなど、とにかく破格の出費がかさんだ上、場所柄もあってか、正規の入場料を払った参加者は少なかったと言われていて、3回目は開催されることはありませんでした。

 しかし、当時冷戦中だった米ソを衛星中継で結んだり、IT機器の展示ブースを設けるなど、音楽とテクノロジーの融合をいち早く実現させたのです。

 大損失をしても伝説となったフェス。開催したモチベーションは「音楽が好きだから」だそうです。カッコいい・・・。

 

▼本田圭佑

 ここで特に触れることもなかったんですが、こちらのインタビューで語っている内容が素敵すぎて載せてしまいました。

本田圭佑・直撃取材

「俺にとってサッカーは人生のウォーミングアップだ」

http://contents.newspicks.com/news/699083/index?app=true

 サッカースクール「ソルティーロ」を、2018年ロシアW杯までに300校にし、さらにその先には世界的なビッグクラブの創設を考えているそうです。 

ACミランといえばピッチ外でもセレブ関係のあるクラブチームとして知られていますが、そこも彼にとっては魅力だったのかもしれません。

彼が個の力をどこまで伸ばすか、楽しみですね!

▼まとめ

  2014年現在、音楽ソフトや配信の売上が下降の一途であることはこれまでも書いてきましたが、音楽ビジネスの仕組みは莫大な収益をもたらしていた時代の機能分担・利権配分システムのままです。

 21世紀は原盤・ライセンスビジネスの終焉と言われています。

今では、中間コスト・組織を挟まずある程度のことは実現できるので、自分でできることを増やしつつ、それ以外の機能をどう獲得していくかをアーティスト自身が考えなければなりません。

 お金がある人なら誰でもできるようなことをやっても価値は無いのかもしれませんね。

結局、ビジネスもテクノロジーも、大事なのは中心にいる人物の情熱と実現力がどれだけあるか、ということだと思います。

 長々と書きましたが、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

 

[参考記事]

あのIT起業家が約50億円を自腹で投じて開催した夢のロックフェス

http://www.tapthepop.net/extra/10582