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経営は人に親切にして一生懸命でいいんです。
次世代マーケティングリサーチから見る、考察と戦略
経営は人に親切にして一生懸命でいいんです。
2012年、数名の仲間と一緒にデジタルマーケティングの領域で会社を設立。新しい社会を作る上で、今後「自分たちが担える役割とは何か」を、日々議論しながらチャレンジしていきます。
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お人好し経営で未来を創る
前回のブログ『起業してわかったこと、本当に人に優しくしていいんです。』で書いたのは、簡単にいうとお人好しってこれからは、経営すればいいんじゃないかなぁって話でした。
小学校や中学校のとき、ボランティア活動って言葉が教育の現場で使われてて、やりたくなかったが、よくやらされてました。しかも、これは、厄介なことに、ボランティアを率先してやる女子たちからすると、怠ける男子は目の敵。⬅これ私
『もう!!なんでちゃんとやんないの!!』
もはや、そういうものだと理解してほしい。男子は飛んでる虫やら動く自動車に、意識がいっているので、やるはずもない、、、とまぁそれは置いておく。
ただ、これは私の経験則ですが、そういった活動をやる/やらないはさておき、本当にお人好しな人はたくさんいて、心の優しい人は多いんだと思います。まぁ、数的感覚はないのですが、少なくとも、そういう人はいたなぁって感じです。でも、今の時代は、そういうお人好しに人が集まり、商売が成り立ち、人は心から感動するのではないでしょうか。
『今の時代』の少し前
これを話す前に伝えたいのは、前提として、コレは私の感覚を書きます。昭和58年今年30歳の男の一つの意見です。造詣が深い人からすると、なんとも稚拙かと思うかもですが、ほっといてくれ。さて、私は今の時代の少し前は、資本主義経済に疲れきった時代だと思っています。私が生まれた時期あたりにバブルが崩壊。その影響は実態経済まで少しづつ影響を及ぼしていて、私の小学校のクラスには、半ば夜逃げのように、転校する人や転入する人がいてて、子どもの間では、どこそこの家はお金があるやないやのウワサがあった。まぁ、世間的にも思いっきり暗いニュースばかり流すものだから、そういう影響もあったと思います。そんな負け意識や劣等状態な子ども時代を過ごした人は、貨幣に対して嫌悪感を抱いたり、仕事に対して夢を描けなかったり。。
さらには、高校、大学、社会人と進む過程の中で、一時の成功(良い企業に入社!!とか海外留学!!とかいい大学に合格!!みたいな)を周りが勝ち取ると、余計に"競い合うこと"が嫌になったりして、過去の記憶(小学校時代)がよみがえり、なにか嫌な気分になる。今の時代の少し前は、そんな感覚もあったと思うわけです。
だから、社会貢献?ボランティア?
と、まぁ過去を振り返ると、そんな時期もあったんですが、『 ボランティア×経済衰退期 』のような計算式はなにを生み出したのか。だから、社会貢献?人に優しくする?ボランティア?どうもここは私は合点がいかなく、心穏やかではないのです。私が高校3年生のころに9.11は起きてアフガニスタン戦争が起きて、国際間の社会貢献やNGOや国連、など国際系トピックスが頭をよぎるようになり、一時期はそういった活動にも、着手しようと思ったりもしたが、どうも合点がいかない。人と人の関係性は、物々交換のようなものが、最適な関係性だと思うからです。社会貢献事業やボランティア活動、国際間の国連の活動の中には、、、ここは要注意、、の中には一方的な提供ばかりしていることも時としてある。さらに要注意なのは、これは人と人の関係であって、自分ではない。自分自身に置き換えて話すならgive、つまりは、提供することのみに考えや行動を集約したほうがいいと思っているが、それについてはまた他のブログで、、。
社会貢献やボランティアはこの重要な人と人の物々交換のような、考えがなにか欠落した時がときとして起きる。(※天変地異などの天災や非常事態における貢献活動など、特殊な例は除く)だから長く続かなかったり、なにか問題も起きたりする。そこに経営というバランサーの役割を担う考えを入れることでなにか事が上手くいくような気もしてきたのである。
と、いうように、資本主義的経済において、心のキズが若干あり、それに半旗をひるがえす如く、ボランティア活動が学校に導入され、延長線上に日本の国際貢献が目に入り、感動を覚えたものの、どうもなにか違う。優しさからくる貢献だけでは、なにかバランスが悪いように思い始めたわけです。そして、答えの無いまま、社会人になり、成り行きもあって経営を始めたのですが、なにかようやくここで分かった気がするのです。という、具体的なお話は次回のブログで。