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人工知能が人の仕事を奪う
仕事と生活と私――ITエンジニアの人生
人工知能が人の仕事を奪う
グローバル ナレッジ ネットワーク株式会社で、Windows ServerなどのIT技術者向けトレーニングを担当。Windows Serverのすべてのバージョンを経験。趣味は写真(猫とライブ)。
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前回に続いて人工知能の話である。今回は「人工知能研究の結果として生まれた技術の成果」についてである。
●人工知能が仕事を奪う
「人工知能が人の仕事を奪う」という話を最近になってまた聞くようになった。社会的な影響が議論されるのは、技術が進歩したということなので、こういう話題が出るのは良いことである。
では本当に人間の仕事を奪うのだろうか。答えはYESであるしNOでもある。
昔から、人間の仕事を奪わなかった技術はない。自動車の発明は馬車産業の仕事を奪ったし、工作機械の発明は職人の仕事を奪った。写真製版の発明は活字職人の仕事を奪ったし、パソコンの普及はタイピストの仕事を奪った。
もちろん新しい技術は新しい仕事も創出する。自動車産業はかつての馬車産業よりも規模が大きいだろうし、工作機械の発明は「工作機器の製造と保守」という仕事を作った。しかし、ほとんどの技術は効率を上げるために作られた以上、人間は楽になるか暇になるかのどちらかである。人間が暇になることは「仕事を奪う」ということである。短縮労働という概念は経営者にはあまりないらしい。あったとしても給料が減る。
特に、コンピューターは省力化の効果が大きい。日本で最初のコンピューター事例は、富士フイルムによるレンズ設計用自社開発(事実上の個人開発)コンピューター「FUJIC」だった。経営者への公約は「人間の1,000倍の計算速度」で、実際には2,000倍を実現したという。
Wikipedia「FUJIC」によると
労働組合は計算手のリストラを憂いていたが、そういった事態は発生しなかった
ということだが、では余った人はどこに行ったのだろう? その他、電話の自動交換機の発明は、交換手のニーズを大幅に削減したが、この人たちはどこに行ったのだろう? 一説には「職を失ったのが女性だったので、問題にならなかった」という話もあるが、本当だろうか。
そういうわけで、他の技術と同様、人工知能(正確には人工知能研究の成果)も人の仕事を奪う。たとえば、新幹線の列車運行システムCOMTRACには、人工知能の考え方が導入され、ダイヤ作成者の負担(および人員)を大幅に減らす計画があった。実際にどのようになったのかは聞いていないが、何らかの影響を与えたことは確からしい(前回書いたように、それを「人工知能」と呼ぶかどうかは別である)。
省力化を目標としている以上、仕事を奪うのは当然である。そういうものである。
●なくなった仕事はやりたかった仕事だろうか
さて、「仕事を奪う」というが、新しい技術によってなくなった仕事のうち、本当にやりたかった仕事はあっただろうか。
趣味としての楽しさはあるかもしれない。たとえば、デジタルカメラとデジタル画像加工技術の発達で、写真の化学的な現像処理は全くなくなった。昔は「プリンター」と呼ばれる職人さんが、フィルムから印画紙に焼き付ける作業をしていたものである。
確かに(フィルム現像は全く面白くないが)印画紙のプリント作業はなかなか面白い。経験者の誰もが言うように、現像液から画像がふわっと浮き出てくるのはわくわくする。露光時間を間違えて、画像が出てきたあと真っ黒になってしまうことすら楽しく思える。
しかし、これが仕事だとするとどうだろう。納期が決められた状態で(まともな仕事にはたいてい納期がある)、暗室で化学薬品を使い、明るさを調整しながらプリントを繰り返すのが楽しいとはあまり思えないのである。
現在、フィルム撮影やアナログプリントを行っている人は、芸術作品か趣味のどちらかで、商業写真を撮っている人はほとんどいないはずだ。
コンピュータの登場で、計算担当者(「コンピューター」と呼んだらしい)の仕事はなくなったが、数表を見ながら計算尺を使う計算担当者の仕事が楽しかったとは思えない。対数表とか、三角関数表とか、別に面白くはないだろう。計算尺だって、(宮崎駿の劇場アニメ「風立ちぬ」で、主人公がいつ持っている道具である)ちょっと触るには面白いが、1日中使っていたいとは思えない。
●人工知能が仕事を作る
1980年代の人工知能ブームのときは、専門家の知識を移植した「エキスパートシステム」の保守要員としてKE(ナレッジエンジニア)が増えると言われていた。前回紹介した盾は「ナレッジエンジニア養成コース」修了記念として作成された。当時、KEはSEの一種として位置付けられていた。
現在は、専門家の知識を明文化してソフトウェアに展開するのは難しいことが分かったので、自動学習させる方法が注目されている。しかし、今のところあらゆる分野に使える自動学習はなく、分野ごとにチューニングをしているようである。ソフトウェアエンジニアは、このチューニングを行う。SEとプログラマーの両分野にまたがる仕事だ。
計算担当者(コンピューター)の仕事はなくなったが、SEやプログラマの仕事が新しくできた。SEの仕事は大変だが、1日8時間計算尺を操るよりもやりがいはあるだろう。そして人工知能はSEとプログラマーの仕事の範囲を広げた(個人の仕事量は変わらないが、人数は減ると言われた)。
新しい技術は既存の仕事を奪ったり変えたりする。この時、同時に新しい仕事ができるはずである。古い方法にこだわらず、新しい流儀を身に付けたい。
そして、できれば以前よりも楽になるか、短時間で同じ給料が欲しいものである。
●今週のおまけ写真
東京都写真美術館で開催された銀塩プリントワークショップに行ってきた(詳しくは個人ブログ「銀塩プリントワークショップ(銀塩ネガフィルム方式)に行ってきた」に書いた)。
▲少しずつずらしながら露光し、その写真に明るさを決める(段階露光)
▲右の影の部分が暗すぎるので、右側だけ露光時間を調整(覆い焼き)
覆い焼きの効果は現像後でないと分からないため、満足できない明るさの場合はプリントからやり直しである。