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Stand up! Japanese
アラキングのビジネス書
Stand up! Japanese
ビジネスコンサルタント&執筆業。荒木News Consulting代表。業界をまたいで中小企業経営者のサポートを行う「究極のフリーランス」。2012年より、ビジネス書の執筆ならびに雑誌の連載をスタート。
当ブログ「アラキングのビジネス書」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/arakinc/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
『明治維新以来のカルチャーショック』が沸き起こった1年・・・。将来、2010年という年はこんな刺激的な見出しで回顧されるかも知れない。今年の消費トレンドを振り返ると、今後の日本の消費シーンに重大な影響を及ぼすであろう事象が数多く、そして同時多発的に見られた。それは「Facebook」「Twitter」「iPhone」という"3つのアメリカンカルチャーの本格上陸"である。
私は最初、Facebookを怪しげなサイトと勘違いしていた
2年ほど前のことだと記憶している。突如、知人から「あなたをFacebookに招待します」なるメールが届いた。当時、日本ではほとんど知られていない存在のFacebook。「何? これ超アヤシイ・・・」、私はこの"招待"をシカトすることに決め込んだ。フィッシング詐欺かも知れないし、メールを開いた途端に高額なお金を請求されるのかも知れないと、判断した。
このメールをくれた知人はIT業界のスペシャリストだった。日本のみならず世界的なIT事情に精通している優秀なビジネスマンだった。今思えば時代の先取りのご招待だったのだが、当時の私は、この知人の存在すら名前を不正利用されているに違いない、と思った。あれから数年が経過し、FBが何たるかを知るに至り、ようやく始めることにしたのが今年の春。
FBに登録してみて驚いた。とりあえず国内・海外に暮らす20人ほどの"実際の友人"がすぐに見つかったのだが、その多くが実名・顔出しという非常に"オープンな環境"で、すでに様々なコミュニケーションを楽しんでいるではないか。「あら、楽しそう。こんな世界がいつの間にか作られていたのネ」。ネット=匿名という常識しか持っていなかった私には、FBの新たなビジネスモデルに少なからずの衝撃を受けた。何か違うコトが始まろうとしている、そんな予感。
FBは情報過多で使いづらい
まずPCで始めてみたFBだが、その第一印象は最悪なものだった。友人の写真がズラリと並び、彼ら・彼女らが投稿した写真やら文章やらブログのURLが、所狭しとずらずら並ぶ。Twitterからのリンクをはっている友人もおり、短い呟きがとめどなくPCの画面上に溢れている。延々と下までスクロールしても呟きは止まらない・・・。
画面を見渡せば「イベント」「~さんの誕生日」といった知らない情報、右上には「知り合いかも?」という言葉の下に、まだFBでは友人となっていない"実際の友人の写真"が掲示されていることに驚く。どうやって探してきたのよ? 何とも不思議なサイトである。
次第に、見ているだけで疲れてくる。「何だか情報過多な世界だなあ~」「こんなに友達の情報ばっかり知ってどうすんだよ!」というのが、当初の印象。親切とおせっかいが入り混じったイメージ。しばらく会っていない友人の近況を知ることができる利便性に感心する一方で、それらを延々と読まなければならないことに苦痛を感じる。
FBの"使い道"にはなはだ疑問を持ってしまったのだ。しかし、何事も経験が大切と言い聞かせ、いろんなボタンを押してはページを開き、FBの探検に出かけてみたのだが・・・。
無礼者! 勝手に話しかけてきて、勝手に切るな
「おはよう! 荒木君もFB始めたんだね!」。登録したその早朝、いきなりPCの右下のチャットなるスペースに、友人からのコメントが飛び込んできた。ほほお~、チャット機能があるのかと、この友人に返信コメントを書き込んで、いざ送信しようと思ったら・・・あら? ない・・・。送信ボタンが、ない! 「送信ボタンがないじゃん!」と、オロオロ。
オロオロしている間に、またまたチャット画面に「FBはどう?」という友人のコメントが出てくる。「いやあ~、こちとら送信ボタンを探すのに忙しいんでねえ。ボタン、ないんだけどなあ・・・」と独り言を呟きながら、オロオロ。困り果てた。チャットなどしたことない。必要性が分からない。
チャット相手に「送信ボタンどこ?」って携帯メールでたずねると、「PCのEnterボタンを押せばいいよ」と、何故かTwitterにメッセージが届く。なぜ携帯メールに返信を寄越さない!と怒り、疑問に感じつつ、ようやくチャットの書き込みを送るべくEnterボタンをとぉ! ってな感じで押したのに・・・。すでにチャットの画面が消えている。なぜ? と再び携帯でメールを送ったら「ああ、ゴメン。こっちでチャットもう閉じちゃったからサ」と。何だそりゃあ!
Twitterって何の意味があるの?
同時期に始めたTwitterも、当初はまったくもって意味が分からないシロモノだった。「140文字以内で呟くこと」、ただそれだけのルールは知っていたのだが、いったい自分の何を呟く必要があるのか? Twitterへの猜疑心が深まる。休日、近所のスタバで奥さんとお茶しているときに、ノリで登録してしまった。する気などまったくないのに。ということで、何も呟かないまま数カ月が経過した。
驚いたのは誠ブログを始めてからのこと。急にフォロワーが増え始め、え? 私の呟きなんて読んでどうするの? 楽しくないよ。なぜフォロワーが増え始めているのかと不思議に思っていたら、私が書く誠ブログの画面の右端を見て、ビックリ。「あ! なんでこんなところにオレの呟きが出てんだよ!」と、慌てる。どうやらそういう設定にしていたらしい。自身のTwitterの存在に気が付かなかったのだ。ヤバイ!
最近はそうでもないが、当初は知っている人だけでフォロー・フォロワー関係を結んでいた。なので、私の呟きも知人だけが読むことになるのだからと、けっこうフザけていた。そんなおりTwitterをやっていない友人から「お前、野グソしたんだあ~。ウフフ」とメールがきた。誠ブログの右端には、畑で野グソの呟きが・・・。恐ろしや。
iPhoneは最後の砦
携帯にはもともと興味がなく、1つの機種を壊れるまで使い続けるのが、これまでの携帯ライフだった。「それ、いつの携帯?」とよくからかわれたが、何でも最先端なモノやコトが嫌いなのだ。大量消費社会へのアンチテーゼ、流行への抵抗といっては大げさだが、何か偏屈なところがあり、みんなが持っている・流行っているというものに関してはなかなか受け入れようとしない性質がある。そんな理由から長らくiPhoneも遠ざけていた。
FB、Twitterを始めるのと同時期に、遂に携帯が壊れた。そこで購入したのがiPhoneだった。iPhoneには興味があった。しかし、この所有者はみなやたらと持っていない人に機能や便利さの自慢をするので、それを羨ましく思いつつ、何か嫌だった。お前はソフトバンクの回し者か? マージンもらってんのか? てな勢いで面白さを語るものだから。
でも、いざ使い始めると、私がまさに回し者になっていた・・・。
日本の消費は、アメリカンカルチャーに牛耳られた?
今年、一気に広まった「Facebook」「Twitter」「iPhone」という3つのツール。最初は文句を言いながら、戸惑いながら使い始めた私も、今ではすっかり生活の一部に溶け込んでしまった。そして、気付く。
「これって、すべてアメリカンカルチャーじゃん・・・。」右手にはコーラ、左手にはマックのハンバーガーを持ちながら・・・。
これらの恐ろしいところは、知らぬ間にライフスタイルを大きく変えてしまう可能性を秘めているコト。大袈裟に言えば「カルチャー」「コミュニケーション」「エンターテインメント」といったこれまでの"日本人の知的消費"が、アメリカによっていとも簡単に占拠されたようなもの。 新しく優れたオモチャに、みなが一気にココロ奪われてしまい、ありがたがり・・・。
来年は本格的な普及期に突入すると思われるが、大切なのは"自分なりの使い方・ルールを見つけること"だろう。ツールはツールに過ぎず、情報は情報に過ぎない。雑多なモノ・情報があふれはじめると、必ずそこにはコマーシャリズムがさりげなく入り込んでくるものである。友達のふりをしたり、オーソリティのふりをしたり、いろいろなものが。そのような時に求められるのは自分の確かな目と、感性。自分力を養うこと。今後はそういう時代になる。
先日、友人から携帯にメールが届いた。「今、Twitterに呟きました! 見てください」って、意味が全然分からない。思わず噴き出す。でも、私はそんなヒトが好き。
(荒木News Consulting 荒木亨二)
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