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【テレ朝に学ぶコンサルタント的発想 その2】 シルシルミシルがダメ? なワケ 

【テレ朝に学ぶコンサルタント的発想 その2】 シルシルミシルがダメ? なワケ 

荒木 亨二

ビジネスコンサルタント&執筆業。荒木News Consulting代表。業界をまたいで中小企業経営者のサポートを行う「究極のフリーランス」。2012年より、ビジネス書の執筆ならびに雑誌の連載をスタート。

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ここ数年、マーケティングに勢いが出てきたテレビ朝日、かなりの高確率でヒット番組を生み出している。「今の視聴者」を惹きつける決め手はココだ! という<秘密の法則>を発見したようだが、使い過ぎれば陳腐化し「将来の視聴者」を逃すことになる。戦略修正のタイミングはとっくに過ぎているのだが・・・。

家電芸人の誤算?

伝説のバラエティ番組になるでのは? と密かに期待している『アメトーーク』。番組のスタート時から見続けており、なかでも家電芸人を初めて見たときの斬新さとインパクトは「ついに笑いもここまで来たか・・・」と感動を覚えた。思いっきり笑えた企画だから・・・ではない。芸人が商品の魅力を笑いで掘り下げる【新しいパブリシティー】・・・、その新発想に膝を叩いたのだ。

『ADとPR』。似ているようで質をまったく異にする宣伝戦略にして、マーケティングの"一部"である。このふたつの概念には誤解や知識不足がはびこっており、単純に<宣伝すること>と片付けられてしまうケースが多く、明確に分けて考えることのできるビジネスマンは非常に少ない。経営者ですらそう。

ADとPRは手法・目的・コストなどはかなり異なり、"賢く戦略的に"使えば多方面で効果を発揮でき、様々なシカケも可能となるカネになるフィールドである。話せば長くなるので割愛するが、私が家電芸人において感動したのは<新ジャンルのPR>としてであった。

私は笑い、そして感動したが、それは一瞬のことだった。人気企画となり続編が始まるとガッカリすることが増え、テレビは付けているものの、真剣に見ることはなくなった。こうした事態はこの企画のスタート時点から織り込み済みであり、やはりそうきたか・・・という無感動な反応だった。家電メーカーが芸人をCMに起用し始めたのだ。

芸人が自分の愛してやまない家電をマニアックに、熱く語ることに企画の命があり、メーカーを問わずに好き放題にやったことが視聴者の安心と好感を引き出した。特定メーカーを熱心にススメてくる家電量販店のような嫌らしさがないこと、それが大前提。ここに企業色が少し混じり始めたことにより、番組は大きくバランスを崩した。

第1回放映のとき、芸人は東芝だのソニーだの、企業名を呼び捨てにしていた。これは当たり前のこと、我々消費者もふだんの会話でいちいち"東芝さん"やら"ソニーさん"やら、企業名をさん付けで呼ぶご丁寧な人はいない。「さん付け」するのは該当する業界関係者、つまりビジネスで何らかの関わりがある場合のみに、相手を敬って使うものである。この珍妙な「さん付け」現象が番組内で見られようになってきた。

芸人全員が「さん付け」しているわけでなく、また「さん付け」を使う芸人が常にそうしているわけでもない。誰かがあるシーンで突然使ったり、しばらく出てこなかったのに誰かが気付いたように復活させると、その後は「さん付け」が暗黙の了解のように頻繁に使われたり、およそ法則性なく唐突に「さん」という言葉が芸人たちの口から出てくる。

割合としては「さん付け」は非常に少ないのだが、その不自然な使い方が、家電メーカーに対する"芸人の気遣い"を感じさせてしまう。全員が必ず「さん付け」なら筋は通る。使ったり使わなかったりという微妙な空気が、芸人とメーカー、もしかしたら何か裏であるのでは? と詮索をさせてしまう。記憶は定かでないが、昔はたぶん使っていなかったと思う。微妙に"ビジネスの臭い"が感じられてしまうのだ。

非常に細かい話である。言葉をどう使おうが普通の視聴者は誰も気にしないのかもしれないが、私は非常に気になる。気になって仕方がない。こうやって穿った見方で番組を見始めると、いろんな綻びが目につくようになる。

好き放題に感じられなくなってきた。今年から始まる国策「地デジ」の話題が異様に長すぎたり、特定の製品群に関してのトークを必要以上に引っ張り過ぎたり、芸人の突っ込みが所々で弱くなっていたり・・・。明らかに笑いの要素が薄れてきており、芸人たちはどこか真剣にPRしているような節がある。

熱く語る芸人たちの目は冷静になってきている。ときに芸人同士のアイコンタクトが増え、「アナタが今喋っているなら、オレ、ここは黙っておきます・・・」的な、譲り合いというか探り合いが見え隠れしている。絶妙なタイミングで飛び込むこと、「間」を読むことこそ笑いの最重要ポイントなのだが、その「間」に、何かが感じられる。タイミングを譲ることはよくあるが、それが笑いのためでなく、PRのためになってきているように感じられるのだ・・・。

芸人同士、お互いのスタンスやテーマを探り合っているような気まずさが、テレビを通して伝わってくる。こんな風に思っているのは、私だけだろうか? 

黒柳徹子にブレが生まれた?

同じく人気企画の「徹子の部屋芸人」。何度聞いても徹子さんにヤラれた芸人の悲惨なトークは愉快至極であり、友近さんのシュミレーションも回を重ねるごとに完成度が上がり、一見問題ないようだが?

黒柳徹子さん・・・、アナタ、そんな感じでしたっけ? 

続編が生まれてもアメトーークに変化はなく、いや笑いは徐々に大きくなっているのだが、反対に、肝心の「徹子の部屋」に異変が生じているように思えて仕方がない。

内部事情は知らないが、徹子さんは「徹子の部屋芸人」を事前にチェックしていると推測する。彼女本人が見ていないとしても、テレ朝サイドがかいつまんで情報を伝えていると考えるのが普通である。友近さんがこんな感じでシュミレーションしてましたとか、こんな話題が出ましたとか。アメトーークが前振りなら、オチは徹子の部屋で・・・という流れである。

さて本番。どうも徹子さんの様子が最近オカシイ。いや、おかしくない、普通どおりに進行していくのだが、事前情報が頭によぎっているのか? 彼女らしい容赦のないシャープさ、突拍子のなさ、いわば<徹子らしさ>が薄まっているように思える。たまにアメトーークで出てきたキーワードを彼女自らポロリと漏らすこともある。

ちょっとした違和感である。いつもの徹子さんならここで視線が素に戻るだろうというタイミングがコンマ5秒ほど遅かったり、速かったり・・・。自分のペースで勝手に喋るはずの彼女が、少しだけ相手に合わせてあげたり・・・。普段ならすぐに打ち切るようなテーマで、意識的に間延びをさせて芸人に笑いのチャンスを用意してあげたり・・・。

前振りを学んできた? 徹子さんを前にして、芸人もとてもやりにくそうだ。「やりにくいのがウリ」だったのに、やりやすく設定されたことで反対にやりにくくなってしまったという珍現象。たまに合う徹子さんの視線と芸人の視線、そこにお互い何かが違う! というような哀しみや戸惑いを感じる。

徹子の部屋芸人が生まれた背景にあるのは、彼女の純粋無垢かつ個性的なキャラクターが芸人をひん死に追い込むこと、そのドキュメンタリー性を笑おうではないかという"子どものような悪だくみ"である。打ち合わせや台本などはないだろうが、前振りのアメトーークがオチをどうにも邪魔してしまっているように感じる。私だけか? これも。

・・・・・・・・・

人気企画の生命線はどこにあるのか。成功したひな形は優秀なビジネスモデル、使い続けたい心理は十分理解できるし、優れたビジネスモデルはなかなか死なないものである。しかし、崩れかけようとするときは必ず、ほんの小さな予兆があり、これを見逃せばせっかくの企画も台無しになる。

これはアメトーークというひとつの番組に限ったことではない・・・。

どうやらテレ朝は"戦略修正のタイミング"をはかるのが苦手なようだ。ついつい成功法則を乱用・多用し、むやみに引っ張り、視聴者のココロを置き去りにしてしまうことがある。

テレ朝流マーケティングの真骨頂は?

不況の時代、テレビ各局は予算の削減を迫られており、何とか低コストで良質の番組を作ろうと知恵を絞っている。そのようななかで頭一つ抜け出した感があるのがテレ朝のマーケティングである。ポイントはいたってシンプル、【企業PR】に活路を見出したことである。

広告枠でなく"番組内"で、ひとつの企業を大々的に取り上げる手法。舞台はバラエティ、PR対象は飲食メーカーや飲食チェーンという構図を基本形としている。PRする企業のメニューを芸人に面白おかしく食べさせつつ、メニュー開発の裏側やちょっとしたエピソードなどを織り交ぜ、イメージアップや宣伝を兼ねてしまうというスタイルである。

例えば「帰れま10」という企画。芸人が数名で外食チェーンのリアル店舗に出向き、お店のメニューを次々と食べていきながら、最終的には人気トップ10を当てるまで帰れない=食べ尽くすという趣向である。

バラエティ的には、芸人がお腹いっぱいで苦しみながらも食べ続ける映像が欲しい。飲食店としては、なるべく多くのメニューを食べてもらう(紹介してもらう)方が嬉しい。芸人たちはお腹いっぱいでもう食べたくないと泣き言をいいながらも「これ、超美味い~」などと、笑いのない賛辞の言葉を送る。

テレ朝は低予算で視聴者の関心を集めることができる。スタジオでなくお店収録のためセットを組む必要がなく、少ない出演者でギャランティーを抑えることができるなど、製作費を抑えることが可能となる。

取り上げられる企業は最大限にPRの恩恵を受けることができる。莫大な広告費用がかからない上に、企画の主役であるために露出時間は大変長く、細部に渡って紹介されるため、通常のAD・PR以上の大きな成果を得ることができる。

もちろん、視聴者にとってもメリットがある。どこの町にもある"身近なグルメ"であるため親近感を持ちやすい。ヘビーユーザーでない限り紹介されるメニューは新たな発見ともなり、明日にでも久々に行ってみようかしら? という楽しい気持ちにさせる。

カタチを変えたグルメ番組である。グルメ番組のふりをしたバラエティである。正確にいえば【バラエティの体裁を整えた企業PR】であるのだが、この手法は大変優れたマーケティングによって作り込まれている。

テレビ局、飲食企業、視聴者・・・、三者が誰も損をしないのだ。これで数字が獲れるのならテレビ局は万々歳、飲食企業は売り上げがアップし、視聴者は喜んで食べる。完璧なトライアングルが出来上がっており、テレ朝のマーケティングセンスが見事に具現化されている。

どこに問題があるのか?

使い回しで食傷気味となる恐れあり

非常に優れたビジネスモデルである。しかし「良いこと見つけた!」とばかりに、テレ朝はあまりにもこの<秘密の法則>を使い回し過ぎている。ここ数年、テレ朝の夜の時間帯はほぼ企業PR的なバラエティに独占されているかのような雰囲気だ。類似番組・類似企画があまりにも多いのだ・・・。

芸人がお店のメニューを食べ尽くす「帰れま10」。メニュー開発エピソードや企業の裏側レポートなどを主軸とする「シルシルミシル」。有名シェフが辛口批評を交えながらお店のメニューをランキングする「お願い!ランキング」。切り口は違えどもすべて企業PRであることに変わりはない。

例えばチェーン企業A社を例に挙げると・・・A社のメニューをさんざん食べまくる「帰れま10」で多くのメニューが登場し、「シルシルミシル」でA社のこだわりなどを紹介して雑学的な勉強をし、プロの視点のメニューランキングで再び消費者の関心を引き出すのが「お願い!ランキング」。

一気に露出度を高めた方が効果的と考えているせいか? 制作スケジュールの都合上まとめ撮りしているのか? そこは預かり知らないが、ひとたびA社がひとつのPR的グルメ番組に登場すると、間を置かずに次々とA社が出てくるのが普通である。

「帰れま10」で見たばかりだというのに「シルシル~」ですぐさまA社特集を見ることになり、露骨なPRだなあと嫌気がさしている深夜、ふと気付くと「お願い~」にまたまた登場しているといった状態。これはデジャブか? つい先日も放映してなかったか? となるのだ。

両者にメリットがありタッグを組んだ企業PRバラエティという新手法は、視聴者の関心をひく点においても優れている。普段は見ることのできない工場、メニュー開発の裏側など、オトナの勉強心をくすぐる心理もよく計算されている。

PRして欲しい企業は無数にあるだろうし、消費者もまだまだ飽きてはいないだろう。この点、確立されたビジネスモデルはいくらでも使い回しがきく。しかし延々と繰り返されると、もうお腹いっぱいである。

テレ朝のマーケティングは非常に学ぶところがある一方で、残念なことも多い。深夜で人気が出れば"ゴールデンに格上げ"という古びた発想により、深夜で育てた優良番組をみすみす放出してしまっていることも残念なことのひとつである。さすが! と思うコトと、何でそうする? という深い疑問が交錯するのだ。いろいろ理解できないのがテレ朝だ。

ただし、このようにも思う。しつこいまでの企業PRにしても、類似番組の再生産にしても、ゴリ押しこそがテレ朝流マーケティングの真骨頂かとも。

「アメトーーク」を"ゴールデンに格下げ"することだけは避けてほしいと、いちファンとして願うばかりである・・・。

(荒木News Consulting 荒木亨二)

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