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「見えないもの」を大切にする、ふるさとからの再生

「見えないもの」を大切にする、ふるさとからの再生

東 大史

2008年より“地域再生の仕掛けニスト”として活動しております。 主な活動内容はコチラにまとめております。 http://matome.naver.jp/odai/2138270881064964401

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先日来から地域おこしに関する駄文を連ねてまいりましたが、それも最後にしたいと思います。地域おこしがどうして復興に繋がっているのか、実際に全町避難している浪江町において、最前線でご尽力された玉川啓さんの寄稿文から読み取ることができます。


私たちにとっての等身大の「復興」ってどういうことなのだろうか。子どもたちの父親であり母親である若手職員との度重なる勉強会、町民の方々が多く集う検討委員会において、悩みに悩みつつ、議論が白熱しぶつかり合う中でたどり着いた先が、次の考えでした。

私たちにとって、まず大切にすべきなのは、「一人ひとりの暮らしの再生」なのではないかということ。今、町民全員が町を離れている。もしかしたら今後、一人ひとりがそれぞれの選択をし、近く、さらに遠くに離れるかもしれない不安を持っている。「町に残る人だけが町民」ではなく、震災前に暮らしていた私たち全員が町民と考えよう。もともと多様なバリエーションで暮らしていた一人ひとりの暮らしが、少しでも平和になっていくことを願いたい。町に戻ることが幸せと感じる方のためには、安心して帰って来れる環境を作ろう。一人ひとりがどちらも選んでも良い。そんな想いから復興ビジョンのサブタイトルとして「~どこに住んでも浪江町民」の言葉が引き出されました。

「どこに住んでも浪江町民」は人がいてこその自治体にとって、非情な重さを持っています。よそに住むことを認めていくことは、ある意味自治体を否定するものでした。ただ、過酷な現実、そして一人ひとりの選択が一様ではないことの事実を踏まえていく中では、何より町民が第一、その考え方にならざるを得なかったのです。これは町民による委員会だからこそ導くことが許された基本方針だったのではないでしょうか。


「復興」においても「地域おこし」についても、抽象的なワードで必要性は理解できるのですが、具体的に何をするのか?というところで各論が立ち止っているケースは多いですね。そもそも何のために「復興」や「地域おこし」をするのかという問いに対して、「安心な住民を増やすため」「幸せな地域になるため」といった目的で議論が行なわれているのか、だんだん論点がズレてしまうことがあります。これらは「見えないもの」で、普段の暮らしでは潜在的に存在しています。それが有事や議論を重ねていくうちに顕在化していくるケースが多いですね。


象徴的なものが原子力発電所とその事故だと思うのですが、政府と電力会社は新しい安全基準をつくり、避難計画などを各自治体に策定してもらうことで、「原子力は安全」というメッセージを打ち出して再稼働を進めようとしています。一方で周辺住民は、事故によって地域コミュニティが分断され、再び有事が起こった際に頼るべきものが存在しない部分を不安に思って、再稼働には慎重な姿勢を崩していません。政府や電力会社といった大きな組織がマニュアルやハードを整えることでの「見えるもの」としての"安全"と、地域住民が拠りどころとする有事の際の情報の信頼度や地域コミュニティといった「見えないもの」としての"安心"が乖離しているからこそ、これほどまでに大きく顕在化していると言えます。


この浪江町の事例においてスゴイと思ったところは、「全世帯アンケート」ではなく、高校生を含む「全町民アンケート」および「子どもアンケート」を行なったところです。そしてその答えがふるさとに対する熱い想いに満たされていたことも、福島原発から20km圏内は見捨てるべきという無責任な大人の論調とは一線を画していました。"安全"という観点で言えば、浪江町に戻る選択肢はなかなか示すことができません。ところが、この地域の将来を担う子どもたちからの声には、なんとかふるさとを再生させてやるんだという意志に満ちていたのです。


曲りなりにも「地域おこし」に関わってきた身として、この事実を知った時にそれまでの考え方を恥じた自分がいました。「原発の不安や風評被害のない岡山に移住してくれば良いのに」といった自己本位の思い込みで、被災地支援をしようなんて思ったこともありました。合理的に考えれば、向こう10年以上は帰還できないであろう地域に住み続ける理由はほとんどないでしょう。でも、この震災をきっかけに地域がどのような未来を描くべきか、その当事者とは誰なのかを議論し始めたというのは、まさにプライスレスな価値なのかもしれません。そのことが長期的に見れば、「見えないもの」によって守られた地域の"安心"を醸成していくのだと思います。


物心つく頃からずっと東京に住んでいて、受験や就職といった競争社会を走ってきた自分にとって効率性や経済性は当たり前のものでした。そんな自分がなぜ「地域おこし」という分野に関心を持ったのかという初心についても、むしろ先祖から受け継いできたものや伝統的な文化や知恵といった、ふるさとという存在に拠るアイデンティティに対する憧れがあったからでした。いつの間にか東京では、各戸で鍵をかけるのが普通になって、子どもたちですら遊ぶためにアポを取るような社会になっています。お金をかければセキュリティを高めて"安全"にすることはできるのかもしれませんが、隣近所ですら疑心暗鬼になるような地域コミュニティでは"安心"は得られないでしょう。


競争社会においては、ある正解があってそこに早くたどり着いた者が勝者という分かりやすい世界でした。でも、我々はそれを求めているわけでもないと気づき、もっとそれぞれの役割を「エンパワーメント」しながらお互いに高めていく社会の方が居心地が良いのではないかと思い始めています。実際に数年間、岡山の中山間地域に住んでみて、鍵もかけずにいきなり隣のおっさんが上がり込んでくる社会にカルチャーショックを受けました。でもそのおっさんは農業の達人で、いざ我々が困ればいろいろ教えてくれるし朝にはたくさんの農作物を持ってきてくれる、人生の先生でした。


霞ヶ関界隈や学術的な世界で語られる「地域おこし」は、人口が減少して可哀そうな地域を助けてやろうといった文脈で、予算や政策をつくっていこうというものでした。でも現実に田舎では、ただのおっさんが当たり前に無意識に行動していて、隣近所から「エンパワーメント」している社会が残っています。果たして学ぶべきはどちらの方なのでしょうか。そしてこれは、競争社会における資本主義をもう一歩前に進める福音となる、そんな予感を信じつつ、「地域おこし」という文脈から「復興」に関わる自分自身の役割を見出していきたいと思います。



幸福度をはかる経済学
幸福度をはかる経済学







当エントリに関連する過去エントリは以下のとおり。

地域おこしを志す若者へ
産土(うぶすな)を守りたい人へ
地域おこし協力隊という、時代の切り込み隊

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