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遅刻=自責の念=厳しい社会

遅刻=自責の念=厳しい社会

細島 誠彦

株式会社TransamManagementSystem代表取締役。 中央大学法学部卒業後、ベンチャー企業その他企業の経営企画室長、管理本部長、CFO、取締役を歴任。経営戦略構築、マーケティング戦略構築、新規事業の立ち上げや財務戦略、M&Aなど、企業の参謀業務に従事。

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遅刻いうのは社会人では認められない。
これは当たり前だ。
しかし、電車が遅れたなどの不可抗力によるものは、
結構認められたりする。
だから、電車が遅れた場合、
駅の改札では遅延証明書をもらう列が見られる。

随分前のことだが、苗木邦王氏の講演で、遅刻の話を聞いた。
内容はだいたい以下のようなものだった。


A君が遅刻をした。
そのとき、なぜ遅刻をしたのかを聞いた。
A君の答えは、「電車が遅れました」というものだった。
そこで、「では、君は例えば高校入試や大学入試などのときも、そうしたのか?」
と聞いた。A君は黙っている。
「そういうときは、もしもの場合に備えて、早めにでるのではないか?
君は仕事を遅れてもやむを得ないものとしてとらえているのではないか?」
人はすぐに他責(他人の責任)にするが、ほとんどのことは自責(自分の責任)なのだ。


この話を聞いたとき、かなり厳しいなという気持ちの反面、
そりゃそうだ!という気持ちもあった。
いつも会社の始業時間ギリギリの電車に乗っていれば、
何かあれば、必ず遅れる。
それは自分のせいではなく、電車のせいだ!というのは言い訳にすぎない。
その電車に乗った自分のせいなのだ。
さらに、仕事を遅れてもいいものと捉えているということだ。

その話を私の部署で話したところ、それ以降、
「電車が遅れました」
という言い訳はなくなり、
「遅れた電車に乗ってしまいました」
という自責の言葉に変わっていた。
遅刻しているという結果は一緒なのですが・・・。

様々なことをこうして考えると、
違った視点が開けてくる。

「他責」と「自責」

ふとしたときに、考えてみると変わる人生もあると思う。