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考えが"ぶれる"ということの意味 ~困った上司と最大の被害者~
»2011年11月16日
細島誠彦ブログ【参謀の戦略眼】
考えが"ぶれる"ということの意味 ~困った上司と最大の被害者~
株式会社TransamManagementSystem代表取締役。 中央大学法学部卒業後、ベンチャー企業その他企業の経営企画室長、管理本部長、CFO、取締役を歴任。経営戦略構築、マーケティング戦略構築、新規事業の立ち上げや財務戦略、M&Aなど、企業の参謀業務に従事。
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"考えがぶれる"ということはよくあることだ。
人間なら誰しも、絶対の確信など持ち得ないのだから、それは仕方がない。
しかし、それが国や企業のトップに立つ人がぶれるとしたら、どうだろうか?
「ぶれる」というのはどういうことか?
国語辞書によると
「態度、考え方、方針などがあれこれと揺れ動く」
ことのようだ。
では、ぶれるのではなく、考えを変えるということは"ぶれる"ことになるのだろうか?
「ぶれる」という意味には
「正常な位置からずれる」
という意味もあるようだ。
であれば、
正常な位置からずれない範囲で考え方を変えることは、
"ぶれる"ことにはならないと考えてよい。
つまりは、信念とか、理念、方針など中心となるべき概念が確立しており、
それから逸脱した場合には"ぶれる"こととなる。
その範囲内での考え方を変えた場合には、"ぶれた"のではなく、
正に考え方を変えたと言っていいのだろう。
そこで、冒頭の質問に戻る。
「国や企業のトップに立つ人がぶれるとしたら、どうだろうか?」
とてもじゃないが、下にいる人間、
つまりは、国ならば国民、企業ならば社員はついていけないだろう。
何を基本として考えるべきかが、全くわからないからだ。
寄って立つものがないということだ。
「朝令暮改」という言葉がある。
一般的には、批判的に使われる言葉だが、
いい意味で使われる場合もある。
間違っていることはすぐにでも変更することは悪いことではない。
しかし、意見を出し尽くし決定したことをトップの判断で覆すということは、
このいい意味での「朝令暮改」には当たらない。
なぜなら、それはただの"思いつき"に近い。
本来であれば、同じ手続を踏む、つまりは、
会議で決まったことであれば同じ会議で覆すべきであろう。
スピードが要求される社会において、
何という遅いことだと思うかもしれないが、
スピードよりも大事な問題、
つまりは、根本の寄って立つべき正しい位置から逸脱していることになるからだ。
決まったことは決まったことであり、決して覆すべきではないなどは言わない。
間違っていれば、大いに覆すべきである。
しかし、「正しい位置」から「ぶれ」ているとしたら、
それは決してあってはいけないことだ。
ちょっとした"ぶれ"が組織の崩壊のきっかけになるかもしれない。。。