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 ここまで載せるか、満載の荷物

 ここまで載せるか、満載の荷物

樋口 健夫

アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。

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飛行機搭乗珍体験集
 ここまで載せるか、満載の荷物

 アフリカ、中近東、南西アジアなどのバスや列車では、屋根の上に人が鈴なりになったり、トラックの荷台に膨大な荷物を載せてゴソゴソと走っていくの写真を見たことがあるだろう。

 30年前だから、今は良くなっているかな?案外、今も同じかもしれない。
出張した後、カイロからナイジェリアの北部カドゥナ経由、ラゴスまでのエジプト航空に乗ることになった。
(言っておきますが、これは30年前のエジプト航空ですからね。私自身の体験ですからね。今の成田から飛んでいるエジプト航空は、素晴らしいものに違いありませんからね。また911事件以降は、何が何でも、こんな状態じゃ...!?)

 カイロの国際線ターミナルの中のゲートの前で座っていたら、右の方から、長さが1.5メートルほどの白い布(要はベッドシーツ)の布団袋のような紐で括った荷物を頭に載せたオジサンが二人並んで歩いてきた。

 (頭に載せているあれが手荷物か。あれは頭上荷物ではないか。あんなの機内のどこに入れるんだろう)と見ていたら、
『あ、危ない』 
 前を歩いていたオジサンは、空港の柱に荷物がぶつかって、後ろのオジサンもひっくり返った。漫画のような場面だった。
 
 ナイジェリア行きのエジプト航空の便のゲートほどすごい光景を見たことがない。人も満員、手荷物も満載予定となっていた。当時の大きめの新品の日本製のテレビの段ボールの箱もある。
(あの膨大な荷物を手荷物として認めるのか!そんな馬鹿な。絶対にあり得ない)
 要は、当時の荷物検査、そのもののルールがなかったのだ。
(ああ、分かった。飛行機の屋根に荷物を載せるんだ!)

 搭乗時間となった。
 私は前から数列目の座席にさっさと座った。荷物を持ったオジサンやオバサンがどんどん乗ってきて、頭上の収納棚は、当然いっぱいになって、その後は、全部、後ろからの通路に置き始めた。
 布団袋も、何もかも、全部、通路にびっしりと詰め込んだ。通路の荷物の高さは、多少遠慮してあって、我々の膝の上程度だった。なるほど、これが秘密だったのだ。さすが、通路の荷物が頭の上から落ちてくるほどの高さということはない。

(これで飛行機が飛ぶのか)と、私はただただ茫然としていたら、あっさりと飛んだ。飛行機って本当にすごい余力を持っているんだ。

 聞いたところでは、ナイジェリアの商人たち(あるいはエジプトの商人たち)は、カイロで繊維、布地を買って、それを(昔ならラクダで数カ月かけて運んだのを)8時間ていどで運んで、ナイジェリアの北の大きなスーク(市場)で売る。大いに儲かるという。ラクダの隊商と同じ考えと伝統がここに根付いていた。荷物を売れば飛行機代なんて目じゃないと言っていた。
 アフリカ商人たちは、これだけ気軽に、気さくに飛行機に乗っている。まったくすごい。

 その状態で8時間程度飛行するが、スカートをはいたスチュワーデスは、前後に数名ずつ分かれて滞在し、まったく前後の交流はなかった。まったく動けない。インターフォンの世界だけ。

 食事も飲物も全部、頭の上でバケツリレーならぬ、トレイリレーで運ぶ。乗客全員の協力体制が必要だった。

 トイレに行くためには、荷物の上を跨ぐ必要があった。短足の私は、荷物の上に、一々おっちんしながら、行ったが、普通の女性のお客はまずトイレは無理だったろう。でっかいおばさんが真ん中の座席から、荷物を超えて来るのを見た時には、飛行機が傾くのではないかと思ったし、はちきれんばかりの民族衣装を着たおばさんが、ごつい裸足を荷物に載せて、前に来るのは、その年に見た最悪の景色だった。

(そうだ、あのテレビの段ボールはどうしたんだろう)と、前の座席から後ろを眺め見ると、何と、テレビはオジサンが座席の膝の上に抱えて置いて、飛行中だった。

 もう呆れてしまって、寝ることにした。

教訓 このエジプト航空の飛行機に乗ってから、私の空の旅の概念が変わった。