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ぶどうは返すぞ
読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~
ぶどうは返すぞ
アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。
当ブログ「読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/idea-marathon/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
飛行場珍体験記
ぶどうは返すぞ
西アフリカのナイジェリアの大都市ラゴスに駐在していた時のことだ。
ある日、私は近くの国ガボンに出張した。当時のナイジェリアは石油ブームで沸き返っていたが、旧英国の植民地だった。
ナイジェリアの両側の諸国、カメルーン、ガボン、トーゴなどは、旧フランスの植民地だった。だから、これらの国ではフランス語が話され、フランスパンが美味しく、葡萄酒も造られていた。
当時のナイジェリアではお目にかからなかった大粒の葡萄が、ガボンの市場で売られていた。私はごく自然に葡萄を一房買って、家族へのお土産にすることにした。買ってホテルに帰ってから気が付いたのは、この葡萄をナイジェリアにいかに持ち込むかだった。
動植物を持ち込むことは、ナイジェリアでも禁止されている。葡萄はもちろん植物検疫に引っ掛かる。
私は迷った。検疫に引っ掛かるようなものが、何も無ければ、ラゴスの空港は時間が掛かるとは言え、最終的には問題無く通過できる。どうしようと思った。最終的に持って帰ることにした。没収されればそれでも仕方がないと考えた。大きな一房の葡萄を、新聞紙で包んで、大きなスーツケースに入れた。
ガボンからフランスの航空機に乗って、帰途に付いた。ラゴスの空港に到着したのは、真夜中を越していた。ガボンからラゴスで降りた乗客は7名ほどだった。
入国手続きはスムーズに終わった。パスポートには、
「ポ、ポ、ポーン」と、ゴムのスタンプが押され、入国係官のサインと日付が記入される。後は税関だ。
私達は、荷物用のコンベヤの前で、座るところもなく待っていた。1時間ほど待ったが、荷物が出てこないので、空港ビルの滑走路の駐機側のドアから、100メートルほど離れた飛行機を見ると、飛行機が貨物の収納庫を開けたままで、その前に立っている飛行機のパーサーが私達乗客に手を振っている。
乗客全員で歩いて駐機場まで行くと、私達の荷物が飛行機の外に並べられていて、
「ひどい。ここの空港では、夜中になると荷物の引き取りの車が来ないんだ。全員、自分の荷物を引き取って、持ち帰って下さい」と言っている。後にも先にも、飛行機から自分の荷物を直接引き取ったのは、この時以外にない。
さて、荷物を引き取れば、税関検査だ。私はいつも荷物の検査は自発的にスーツケースを開けて、
「どうぞ、ゆっくりと見てください」という態度を取る。そうすれば、毎日多数の入国者がいる税関では、荷物を開放して見せている者を徹底的に検査するほど閑ではない。だから、かばんの蓋は一端開いていても、そのまま素通しとなったり、無事に通過さしてくれるくれる可能性が高くなる。
税関の係員も、私が大きなスーツケースを自分で開けるのを見て、また私のパスポートに多数の入出国のスタンプが有るのを見て、何も無いと思ってくれたのか、手のひらでさっさと行きなさいという合図をしてくれた。
さあ、残りは検疫の係官の前を通るだけである。私は税関で開けかけて、また蓋を閉めたスーツケースを押して、検疫係官の前を通過しかけた。すると、
「こっちにおいで」と、顔に部族を示す傷(オヨマークという)のある係官が手招きしてくれた。
「何か検疫に引っ掛かる、動植物は持っていますか」と、検疫係官が私に尋ねた。
「いいえ」と、私は思わず嘘を付いた。
「じゃ、開けなさい。パスポートを」
(まずいなあ)とは思った。それでも仕方がない。スーツケースを横向けて、鍵をがちゃり、がちゃりと外して、蓋を持ち上げた。服の着替え、小物入れ、本、書類など、多数のものに混ざって、新聞紙の包みがある。係官はチラッと見て、
「これは何ですか」と、パツイチで新聞紙の葡萄の入った包みを指差した。さすが、プロである。即発見されてしまったのだった。
「はあ、それは、あの、葡萄です」と、私は穴でも有ったら入りたい自己嫌悪の気分だった。
検疫の係官も、通関の係官と同じ濃い緑色の制服を着ている。新聞紙に包まれた葡萄の一房と私のパスポートを手に取って、係官は私に、
「私はあなたに『動植物を持っていますか』と、尋ねましたね。その時に、『ない』と、言われましたね。明確に嘘を付いたことになります。こちらに来ていただきましょう。荷物は片付けて、スーツケースをこちらに保管します。私に付いて来なさい」と、非常に落ち着いた口調で、ドスを効かせて話しながら、私のスーツケースを検疫のカウンターの横に置いて、腕を掴んで、私を連行して歩き出した。
(こりゃ、えらいことになってしまった。こんな葡萄の一房で)検疫係官は、私の腕を掴んだまま、廊下を歩き出した。そちらには事務所や、臨時の拘置所などがある。廊下は真っ暗だった。
廊下は薄暗かった。誰も歩いていない。扉のどこかから人の気配がしたが、空港拘置所だったかもしれない。強烈な恐怖感を感じ始めた。(どこに連れていかれるか分からない。どうすればよいのだろうか)
20メートルほどある廊下の真っ暗なところに来ると、係官はふっと立ち止まった。私の方を見ないで、
「あなたは、入国の際に外貨の現金を80ドル申請していますね。これを払いなさい。そうすれば」と、ボソリと、つぶやいた。
あたりは真っ暗である。
私はこのまま歩いていくと、事務所に行くのか、あるいは臨時の拘置所に行くのか分からない。
この顔に傷のある係官は、パスポートに挟んであった黄色の外貨持ち込み申請書の用紙を見ているのだ。そこには確かに80ドルと書いていた。実際の所持している現金の金額だった。
私は黙って、胸のポケットから、財布を取り出して、80ドルを渡した。
すると、その係官は、歩く方向をくるりと変えた。さっきの空港検査場の方向にさっさと歩き始めた。そして、私に葡萄の新聞紙の包みを渡して、
「早く出て行きなさい」と、指示する。もう私は、腹の底から、早くこの場を出たくて、ゴンゴン来ていた。
荷物をまとめて、葡萄の一房が入った新聞紙を抱えて、スーツケースのローラーの音を響かせながら、空港警備兵の着剣された自動小銃の前を通過して、外に出て、自分の運転手を見た時には、どっと疲れが出た。
「いつも早いのに、えらく長い時間、掛かりましたね。飛行機が到着してから、もう3時間ほども経っていますよ」と、運転手が荷物を押しながら、私に話し掛けても、私は、
「...」だった。
車が空港の敷地を離れて、ラゴスの市内へ向けて走り出した時、涙が出てきた。
屈辱感で涙が出た。なんであの葡萄を持ち込もうとしたのだろう。馬鹿だった。そして、国の役人が、貧困からか、なぜあのように公然と賄賂を要求しているのだろう。
悔しくてならなかった。もちろん嘘を付いた私は悪い。だけど、それ以上に、巧妙な恐怖感を煽るやり方で、賄賂を要求する検疫の係官。そのような連中がいる空港。これがこの国のイメージをどれだけ損なっているかが悲しかった。
ひどいのは、最後に葡萄の一房を没収しないで、私に与えたことだ。
車はラゴスに向かって、一直線に走っていた。ラゴスというのは島である。本土(メインランド)と島の間には橋が幾つか有る。その橋に向かって全速力で走っていた。すでに空港から40分ほど走っていた。私はガラス窓を通して、外の明かりを見ている内に、メラメラと気分が燃え始めた。
「悪い。アントン(運転手の名)、車を空港に戻してくれ」
「何か忘れ物ですか。ミスター樋口」
「そう、掃除するのを忘れた」
「へえ、何ですか、それは」
私は、それまで黙っていた体験をすべて運転手に話した。
「だから、私は今から空港に戻って、その検疫係官を告発してやる」
「ちょっと待ってくださいよ。下手をするとあなたもやばいですよ、これは」
「もちろん。それは承知だ。だけど、お前が証人になってくれ。そして、もし私も逮捕されたら、すぐに総務部長の自宅へ行って、彼を起こして、私の救出を開始してくれ」
「分かりました」
「空港では、私が誰のところへ行くか、見ていてくれ」
「私も一緒に空港に入りますよ。荷物は車に乗せていますから」
「ようし」
車は空港へ再び戻って行った。私は、運転手のアントンを連れて、空港のロビーへ向かった。たまたま私も知っている旅行業者の案内係が一人いた。彼にも証人になってもらう必要がある。彼に事情を話した。
「ミスター樋口、それは微妙ですよ。彼らは仲間意識が強いですから、賄賂はあなたが先に提示したと言いますよ。共謀して、言われても、防げませんよ」
「...、構わない。この際に徹底的に闘ってやる」と、私は空港の検査場の方に進み出した。
慌てて、旅行業者の係員が、私を追ってきた。そして、私の腕を掴まえて、
「ミスター樋口、私も一緒に行きます。そうでなければ、まず、間違いなくあなたは今晩は逮捕されて、収監されるでしょう。下手をするとそのまま国外追放となるかもしれませんよ」
私は、うなずきながら、すでに検査場の中にずかずかと入って行った。
フランス航空の後、今度はイタリアからのアリタリア便が到着していて、乗客が通関で検査を受けていた。
「えーと、顔に傷のある...、ああ、いた、いた」
彼は、検査台のところで、イタリア人の旅行者のスーツケースを開けていた。私はつかつかと、彼らのところに歩んで行った。覗いてみると、そのイタリア人は結婚式か、何かで貰ったプラスチックのケースに入った花のブーケで脅されている最中だった。
「あーあ、また、お前はこの旅行者から、金を脅し取ろうとしているのか」と、私は開口一番、怒鳴りつけた。
それまで、真剣に検査に打ち込んでいた顔に部族の傷のある係官が飛び上がって驚いた。まさに目を白黒させている。前にいる、イタリア人の旅行者も、おったまげている。
「な、何だ、お前は」
「また、お前は、この人から、金を強請っているのだろう。お前のことをお前の上官に告発するために、空港に戻ってきたのだ。これから、空港の当直の監督官のところに行って、お前を告発することにした」
また、また、その係官は、飛び上がって仰天した。
「ちょちょ、ちょっと、こちらへ」と、傷の係官は、そのイタリア人を、壁の方に呼んで、そこで簡単に処理しようとした。私はズイズイとその壁の近くまで接近して、
「おい、おい、お前はまだ、この旅行者に金を要求するのか」と、大声を張り上げた。
イタリア人の旅行者は、えらい迷惑なという顔をしている。
すると、回りにいた2名ほどの検疫係官たちが、さっと、動き出した。
「葡萄は返す」
(私は逮捕か)と、思ったら。それらの係官たちは、どこかへ行ってしまった。つまり逃げたのだった。関り合いになりたくなくなったのだった。
もう、その傷の係官は、あきらめて、イタリア人に、
「行きなさい」と、手を振った。イタリア人は警官に踏み込まれた不法露天商人のように、かばんを閉めるのももどかしく、こそこそと空港を出て行った。
(さあ、一騎打ちだ。このおっさんと。見ておれ、さっきのようには行かんぞ。こっちには2名も助っ人証人がいる)
顔に傷の係官は、大きく深呼吸をして、私の腕を引っ張った。
「お前は、ここをどこだと思っている」
「ラゴスの国際空港だ。おれは葡萄を不法所持して持ち込もうとした。だから、おれはそれで処罰を受けても仕方がない。しかし、お前は許せない。お前のような役人がいるから、この国のイメージが悪くなるのだ。お前はまさにこの国のばい菌だ。おれはこの国が好きだ。お前を告発し、逮捕させてやる。おれの金を脅して、奪った」と、私は、今までの生涯で、正式の役人に対する、英語で言える限り罵詈雑言で一番強烈な一発をかましてやった。
「あれ、おれは知らないよ。そんな金なんか、知らないよ。誰のことだ」
「ざけるんじゃ、ない。おれから、80ドル強請り盗った」
もう、係官の顔色が変わって来ていた。
「俺は知らない」、と必死の顔をして、声を下げるように懇願している。
「俺は、お前に盗られた。だから空港の監査官のところへ、今から行くのだ」
「お前は、この国のしきたりを知らないのか」
「そんなもの知るものか。俺の金を返せ、お前を刑務所にぶち込んでやる」と、息巻いた。
もう、その係官は半泣きの状態になっていた。
「白人よ(註、日本人も、黒人アフリカでは、『白人』と、呼ばれる)」と、怒りと恐れで震えながら、
「お前は、俺に払っていない。空港のポーターに払ったのだ」
「大嘘つき。やっぱり監査官だ。監査官だ」
「お前は、ポーターにいくら支払ったのだ、白人」
「俺は、お前に80ドル渡した」
「80ドルも払っていないだろう」
「何おー、お前は泥棒だ、許せない」
その時だった。後ろから、旅行会社の係員が、私の腕を引っ張った。彼は、私に顔を近づけて、
「ミスター樋口、そこまでだ。それ以上やると、危険だ。彼ら、検疫係官全員がけったくして、あなたの敵になり、あなたが国や、黒人を侮辱する言葉を吐いたと言うでしょう。それが先に走ってしまうと、あなたは負けるかもしれない。ここからは、私に任せなさい。大人の話をすることだ」
「うーん、...、分かった、任せるよ」
旅行会社の係員は、さっと、その検疫係官のところへ行って、ぼそぼそ話している。検疫係官も、こりゃ大変な危機だと、真剣かつ小声で話しているや、胸の制服のポケットから、ナイラ(ナイジェリアの通貨)の札束を取り出して、旅行会社の係員に渡した。
旅行会社の係員が私を手で招いている。
「ミスター樋口、彼は、彼はポーターが貴方から預かったお金を立て替えました。あなたの被害を弁償するそうです」と、金の束を私に渡した。
「なにい」と、私が息巻くところを、旅行会社の係員は抑えて、
「まあ、まあ、まあ、ここまでです」
私は金を計算すると、正式の換算レートで70ドル程度しかない。
「何だ、こりゃ、少ないぞ」
「それは、交換レートの違いなのです」と、旅行会社が言う。きっと、闇ドルのルートで処理してしまったのだろう。
私は呆れて、アーアとため息が出た。
旅行会社の社員が必死に私をなだめようとしている。これ以上は絶対に危険です。一刻もここを早く出た方が良いでしょう。
怒りがだんだん静まった。何ということだ。すると、その顔傷の係官が、私の側に来て、
「おい、白人。今度、ここを通る時には、大歓迎するぞ」と、一言捨てぜりふを言う。
「ふざけるな」と、言いながら、私はすでに、旅行者の係員と運転手に引っ張られて、空港の外へ向かっていた。
旅行会社の係員には、正式チップを払い、興奮気味の私の運転手と、意気揚々と帰途に付いた。
「ミスター樋口、とにかく彼らは貧しいのです。彼らは、知っている者たちには、すごく優しくて、親切ですよ。だけど、旅行者のような、二度と顔を見ないという人にはたかるのです。悲しいことです。だけど、今日のような、思い切ったことをよくやりましたよ。ミスター樋口は」
もう夜が明けかけていた。
この話を会社の総務部長に話したら、
「私に相談無くて、そんな危険な、無茶なことをするものではない」と、厳しく叱られた。
ところが、それから2週間後に今度は、ロンドンに出張となった。そして、出国の時は、その入国の検疫の検査場を通らないので、関係は無かったが、帰国する時は、もちろん通ることになる。
(また、いるかな)
この時には、私はまったく法律に触れるものは、もちろん、熱ものに懲りての口で、持っていなかったが、例の顔傷の係官がいるかどうかは、心配だった。どのような仕返しをされるだろうか...。今度は真っ昼間だった。そして、外には、私が万が一の場合には、この前の旅行者の係員と運転手を配置してある。
パスポート・コントロールを通過し、税関を終わって、見ると、
(いる、いる)、確かに見覚えのある顔傷の男がカウンターに立っている。(さー、行くぞ)と、深呼吸をして、スーツケースを検疫カウンターに押して行った。その顔傷の男の前を通りかかったら、顔傷の男が、
「おー、私の友人。ようこそ、ようこそ」と、両手を出してきた。私の腕を取り、握手して、
「はい、どうぞ、どうぞ、通って下さい」と、満面笑みをたたえている。
(どうなっているんだ)と、狐につままれたようであったが、私はスーツケースを押して、外に出て、旅行会社の係員にこのことを話すと、彼は腹を抱えて笑って、
「彼は、あなたの顔に見覚えがあったのですね。だから知り合いだと思ったのですよ。もう2週間前のことは忘れてしまっているのですね」
「あーあ」(何と言うことだ)
教訓 若気のいたりだった。正しいものが勝てるとは限らないが、許しておけないこともある。だけど、嘘をつくのもよくない。
(著者より 飛行機や飛行場に関係している読むBizワクチンは、今のところ、このブログで出しつくしました。この後は、私の旅行からの体験です)