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結局クラウドって何?(4) - コンピューターが纏ってしまった「パソコンという鉄仮面」

結局クラウドって何?(4) - コンピューターが纏ってしまった「パソコンという鉄仮面」

生内 洋平

EGGPLANT楽団主催 株式会社デザインバンク代表 & アート・ディレクター 株式会社アニー・デザインオフィス アートディレクター ジャンルの垣根なく、仕事活動中。二娘のパパ。音楽は家族。デザイン・アート人生の相棒。創り続ける目的は自分と関連あまたの豊かさ創りです。

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パソコンに纏わる輝かしい歴史は、MicrosoftがOfficeパッケージを完成させ、AdobeやDigidesign(現Avid)がプロユースクリエーター向けのアプリケーションを整備し終えた時点で、ある意味既に完成されていたと言える。
その後も様々な観点でパソコンの活用方法は模索し続けられたが、パソコンのプラットフォーム上で上記のような代表的なアプリケーションを操作する以上の根本的な価値を生み出すことができなかった。
現在パソコン上で動くあらゆるアプリケーションは、全てがその頃の操作体系に基づいた派生品であるという事実は、そういったアプリケーションエンジニアのプロフェッショナルであればあるほど、否定のしようがなくなっている。
マウスとキーボードを介してGUI上で実現する中で、最も価値のある作業インターフェイスは、MicrosoftやAdobeなどによって草創期に原型がリリースされた老舗アプリケーションが一部の専門家の創作道具に足る存在になった10年ほど前に、既に円熟期を迎えていたのだ。

そしてどんなにパソコンが進歩しても、どんなに動作するパソコンプラットフォームのスペックが向上しても、パソコン上で動くすべてのアプリケーションは、人間が怠け者の己の意志を奮い立たせないと1ページ目が開けない『分厚い説明書(ハードコピー・オンライン含め)』という呪縛から抜け出すことはできなかったし、相変わらずパソコンに不慣れな人間に対しては「アっ!そんな事も知らないで触ると危険だぜ!」という暗黙のメッセージを頑な態度のまま纏い続けた。
そしてアプリケーションもハードウェアも、信じられないくらいよく壊れた。

幾多の苦難を乗り越え、なんとか使いこなそうとする意志を貫く人間にさえ、アプリケーションやOSのアップデートによる新しい操作体系や、スペック不足によるハードウェア買い替えなどのイベントを容赦なく、何度となく起こし、幾人もの有志が志半ばに振り落とされていった。

「見放されてもしょうがないのではないか?」
そう思われても仕方がないような仕打ちを、パソコンは人間に対し、長い期間続けてきたのだ。


★パソコンと人間、両者が歩み寄り、距離が縮まる事はなかったのか?

パソコンは誕生以来、決して自分から人間に歩み寄ろうとはしていない。

そもそも「パソコン=パーソナルコンピュータ」とは、それまでただ無機質で冷たくて、人間の手では不可能な計算などを代行する以外に利用し様などとは誰も思いもよらなかった、ましてや自分の家に置こうなどという人すらいなかった「コンピューター」が驚異的なスピードで人間に近づき、それまで考えもつかなかったようなフレンドリーな眼差しで人間に握手を求め、友人となった記念につけられた愛称だ。
それまで人間とは全く別の世界に住んでいたコンピューターが、80年代のスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツら、70年代USのスーパーギークのぶっ飛んだアイディアと、それをなんとしても実行しようという飽くなき情熱の果てに、「パソコン」の愛称を獲得し、人間との「関係」を築き始めた。

そしてパソコンはその革命的な出来事の後、自分を生み出した存在であり、唯一の友人である人間への歩み寄りをすこしずつ鈍らせていく。
GUIというあまりにも新しいインターフェイスを人間に快適に表現するするだけの体力(スペック)もなければ、GUIを使って何が出来るかを真っ当に考えられる技術者は一握りで、最新鋭のGUIを纏ったパソコンの次の一手は簡単に生み出せるものではなかったのだ。
そうした状況の中、生まれて以来はじめて出会った友人に戸惑ってしまったのか、あまりにも急激な歩み寄りのあとに、次の一歩をどう踏み出せば良いかわからなくなってしまったのか、あまりにもエネルギッシュな先人によって人間との衝撃的な出会いを遂げたコンピューターは、パソコンという鉄仮面をつけて立ちすくみ、そこから一歩も動けなくなってしまったのだ。
 
それでも人間はパソコンを使い続けた。
主にパソコンをでなければ得られない成果を必要とする人間が、ガチガチになってしまったパソコンに対して不器用な、時にはある器用さを持った、様々なアプローチを試したのだ。
夜な夜なこっそりアダルトサイトに群がる至極健康な男性諸君や、部屋の中がICチップやハードディスクでいっぱいなギークたちは、パソコンのあらゆる使い方を編み出しては、世に広めていった。(とは言ってもやはり愛好家の間だけで活発なコミュニティが存在するなど、「広く一般に」と呼べるような状況ではなかったが)
またIT業界も、鉄仮面上に施す様々な装飾をとしての様々なアプリケーションを試行錯誤し、仮面のフレンドリーさを増そうと努力したり、鉄仮面自体の素材を工夫したりして「外見の魅力」をブラッシュアップしたりと、様々な手法をまさに今日まで試し続け、それなりの成果を上げてきた様に思う。

「分厚い説明書」と「壊れやすさ」と「わかりにくさ」という根源的な欠点については目をつむり、人間がひたむきに行った「パソコンとしての使いやすさ」を地道に少しずつ向上させたり、「使いこなせば出来る事」を増やしたりする取り組みを経て、パソコンは完成された仮面に一輪ずつ花を添えてきた。
中学校のパソコンをはじめて起動させた日、はじめてインターネットに接続した日、ワードプロセッサの代用品としてはじめて使ったMicrosoft Wordにワープロにない可能性を感じた日、デジカメで撮った家族の写真をはじめてスクリーン上で見た日、レイアウト作業のすべてが画面上で行えるAdobe Illustratorを使って作品を作り上げた日、パソコン仮面への花はいつも人間が添えるモノだったが、パソコンは人間の生活の1ページにもささやかながら不器用なお返しをし始めることができるようになった。当然、無表情で。

そしてそういった努力の中で特にパソコンが好きでたまらないテクノロジー業界は「パソコンでないと出来ない事」の発掘に注力し始める。
インターネットやSNSに例えられる、それまでの世界にはなかった「全く新しい事」をはじめ、デジカメのデータを写真にするプリンターや、デイトレードシステムなどの「それまで家庭の中では実現し得なかった事」など、「パソコンがそこにあれば出来る事」を模索し始めた。
そういった成果には、消費者に「少々の取っ付きにくさに目をつぶってでも導入したい」と思わせる程のワクワク感があったため、ビジネスとしての即効性があったのも一つの要因だろう。

そうしてパソコンはオフィスの事務機から、リビングでのエンターテイメントの中核に至るまで、人間生活の様々なシーンに登場するようになった。
相変わらずある一定の他人行儀さを保ちながら。

つづく