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ナマ池上彰の衝撃 そこで学んだものは ~前置き編~
ファイリングは捨てることと見つけたり
ナマ池上彰の衝撃 そこで学んだものは ~前置き編~
キングジムファイリング研究室でファイリングや机の整理のしかたなどの指導・提案をしています。
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「こんな番組があったのか...。」
「週刊こどもニュース」で、「分かる」という快感を教えてくれた「お父さん」。今は時の人となってしまったけれど、僕も及ばずながらも頑張って、誠ブロガーになる機会を与えていただきました。そして今、「お父さん」の前にやってくることが出来ました...。
ナマ池上ですよ。
誠ブロガー枠として、津田大介×池上彰のUSTREAM配信の収録現場に立ち会えるチャンスがあるというのです。
分不相応甚だしくも、1も2もなく参加を希望しました。
私はお客様の前でプレゼンするのが仕事です。ファイリングについて、「伝える」のが仕事というわけです。
と、なれば、池上彰さんの言葉、調べ方、伝え方から私生活の過ごし方まで、一挙手一投足すべてが学ぶ対象と言えるではありませんか。私は、会場で、「その瞬間」を誠ブロガーの方々と一緒に待ちました。
津田大介さんと共に、池上彰さんも会場に入ってきました。
「来た...!」
50人以上の幸運な会場の聴衆と、USTREAMで見ている400名以上の人々。開始後この人数は1700名に近づく勢いを見せ、この時間のUSTREAM視聴者数世界第4位を記録することとなります。
私は息をのみましたが、周りは静まり返る様子もありません。中継機材を操作する方々はこれまで通りの仕事を淡々とづづけています。
みんなの目線は注目するどころか、下を向いています。ただ、押し寄せる波のようなキーボードをたたく音。直後、天井から吊下げられたの画面にはものすごいスピードでTwitterのコメントが流れだしました。みんな、この様子を実況中継しているのです。
ちなみに、このような作業のことを「Tsudaる」(津田る)と言うそうです。失礼ながら津田大介さんをこの日まで全く知りませんでしたが、今日のために予習して、そこで始めて知った言葉です。
池上彰さんとお会いするのは当然ながら、津田大介さんも、USTREAM中継の現場もすべて初めて。こうなったら初めて尽くし、決して速いとは言い難いONKYO製の超小型ノートパソコンを取り出し、WiMAXでネットにつなぎ、僕も「Tsudaる」ことにしてみました。もちろん、初めての試みです。
-ダジャレに期待-
これが、私の記念すべき最初の「Tsudaり」です。送信ボタンを押して、1秒後くらいには画面に表示されましたが、そこに留まることができたのもまた1秒程度、すぐに流れて画面から消え去りました。池上さん、津田さんの目にとまったかは全く不明です。
週刊こどもニュースを見始めたのは、私が大学生の頃です。
その後、中学校の社会科教員となり、この番組は自分自身が理解するにも、「伝え方」を学ぶ上でも超重要な番組となりました。池上彰さんは私の中でも「お父さん」だったのです。生徒にも「週刊こどもニュースを見ろ」と言っていました。
その後、こどもニュースが終わり、私もキングジムに勤めるようになって生活が変わると、「お父さん」池上彰は僕の生活から姿を消します。そして、次に目にしたのは、数年後。書店の本、本、本...。
これもこの日に知りましたが、このような現状は「池上バブル」と称されるそうです。
尊敬していた「お父さん」が時の人として遠くに行ってしまったことにささやかな、そして根拠のない嫉妬もあったと思います。書店に氾濫する池上彰の言葉と顔写真に気おされ、手に取る気が沸きませんでした。
「池上バブル」とは良く言ったものです。
当時から尊敬していた僕の気持ちが、「大衆」と同じになってしまうような気がして嫌だったのです。
その気持ちは、今でもあります。
しかし、最近になって、ようやく遠くなってしまった「お父さん」の書を、手に取るようになりました。ファイリングコンサルタントとして、お客様に少ない言葉で正確に伝えたい。「そうだったのか」と思わせたい。
尊敬しつつも、一方では根拠のない反抗期的な感情を懐に隠し、私はついにナマの「お父さん」、池上彰と対面したのです。