誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。

原子力論考(44)イデオローグとアジテーターの分業関係

原子力論考(44)イデオローグとアジテーターの分業関係

開米 瑞浩

社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。

当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


 前回、「承認欲求に駆られた善意の活動家が、いびつな社会運動を引き起こす」という話をしましたが、純然たる善意の活動家はいわばアマチュアです。それに対して、プロ筋の「活動家」にはおおまかに「イデオローグ」型と「アジテーター」型があります。



 根底にあるのは、「不満・不安があると、悪者を探して非難したくなる」という人間の心理特性そのものです。これはよっぽど人間的に「悟りを得た」人でもなければどうしてもそうなってしまうので、それ自体は別に悪いことではありません。パニクったときはおかしくなるのは誰しも普通のことです。

 ただ、その心理を利用して「扇動(アジテーション)」する者が出てくると社会的な悪影響が大きくなります。有名なところではヒトラーをイメージしてもらうと分かりやすいでしょう。

 そして、アジテーターに対してそのアジ演説の根拠を提供する「イデオローグ」が別にいる場合が多いものです。「イデオローグ」は、「悪者」と認定した対象グループの行動を観察して非難できるポイントを探し、

あいつらはこんなことをしている (事実認定)
これはこれこれの理由で (理論付け)
許し難い非人道的な行いである (断罪)
断固阻止しなければならない (行動指針)

 という形で理論構成します。アジテーターはその理論構成を使ってアジテーションを行い、「大衆を扇動する」というわけです。

 実例としてはたとえば日米安全保障条約が1960年に改定されたとき(60年安保)、条約改定に反対するグループは下記のような理論構成をもとに反対運動を展開しました。

岸内閣は日米安保条約を改定しようとしている (事実認定)
これは日本を戦争に巻き込む条約であり、(理論付け)
断じて許してはならない (断罪)
国会へ突入し実力をもって阻止せよ (行動指針)

 この行動指針にノセられた数十万人のデモ隊が実際、国会を包囲して機動隊と衝突し、死者も出る抗議運動が展開されたわけですが、ところが当時60年安保反対運動の中枢で活動していた西部邁(元東大教授)などは「安保条約の条文は一行も読んだことがなかった」と証言しています(田原総一郎による西部へのインタビュー)。日米安全保障条約というのは全10条しかないきわめて短い条約なのに、それを一度も読んでいなかった、というわけで、その事実認定と理論付けがまともなはずがありません。結局のところ「イデオローグ+アジテーター」のコンビは、どんなアジテーションをしたいか、という都合に応じて空理空論を組み立てるクセがあります。とくにアジテーターの目的は「問題解決」ではなく「大衆扇動」にあるので、「大衆扇動」に都合のいい理論でありさえすればよく、事実認定や理論付けに対する誠意がまったくないのがこの種の活動家に共通する特徴です。

 ちなみに、なぜ「イデオローグ」と「アジテーター」が分かれるかというと、「イデオローグ」は「悪者」の対象分野ごとに専門知識が必要なので、いわば「学者の領分」なのに対して、「アジテーター」の仕事は広告宣伝と組織マネジメントだからです。

 さて、「アジテーター」というのは大衆を扇動して動かすことを通じて「ビジネス」をしている人々です。具体的には、新聞を売ったり本を売ったり健康食品を売ったり講演会をしたり組合費や寄付金という名目でお金を集めます。そのため、「アジテーター」は、大衆扇動の道具を常に必要としており、「その時その時の話題のテーマ」に一斉に群がるという行動パターンがあります。それってどこのマスコミ? という気がしますが、その連想も当たらずといえども遠からず。

 原発事故はそのアジテーションのための格好の材料なのは言うまでもありません。

   (つづく)


■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ