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今日は日曜日ですので、関西の電力会社での私の勤務実態を書いてみたいと思います。
(なんのこっちゃ?)
少し前に書きましたが、当時は入社と同時に「何とか学園」という全寮制の強制収容施設に1年間収容され、専門教育を受けます。
その軟禁が解かれると、配電工事所と呼ばれる施設への勤務になります。
(配電コースの場合で、他のコースはまた違います)
その名の通り配電設備の工事をするところですが、実態は強制収容施設に次ぐ第二の訓練所です。
強制収容所の実習は構内で模擬的に行うのに対し、配電工事所では実際の設備工事を行います。
しかし、半分以上は訓練所での実習で、そのまた半分は「全社技能コンクール」の練習ですので、工事所とは名ばかりの訓練所でした。
そこへ9ヶ月ほど行き、次はやっと営業所への配属になります。
高卒の事務系社員はすぐに営業所勤務になるのに対し、技術系は1年半以上遅れて営業所勤務になりますので、立場や仕事内容などは、1年下の事務員より下のような状態です。
私のように態度がでかい奴には関係ありませんが、同い年の事務系社員を先輩と同じ「さん付け」で呼んでいる人もいました。
それから1年くらいは一番下っ端ですので、現場に行くのはいつも先輩社員と一緒です。
1年後には後輩が入ってきますが、その後輩と一緒に現場に行けることはなく、まだまだ先輩社員と一緒です。
そのまた1年後には後輩が入ってきます。
この頃になると、仕事もそこそこできる状態になっていますので、たまには後輩と一緒に現場に行くこともありました。
それからしばらくして転勤がありました。
今まで勤務していた所は営業所全体で200人以上いたのですが、次は20人もいない小さな営業所です。
仕事内容も少し変わり、人数が少ないこともあって、一人で現場に行くことが多くなりました。
そうなったらこっちのもので、半分くらいは休憩です。(笑)
ひどい時には後輩と一緒の時、営業所を出てすぐ喫茶店に直行し、昼前に一旦帰ります。
午後からは琵琶湖畔に直行し、車内休憩と昼寝をして夕方に帰るという日もありました。
その業務は配電線巡視と言って、車に乗りながら電柱や電線に異常がないかを見る業務でした。
「こんなもん、適当に行ったことにしとけばいいんじゃ!」という勢いでしたね。(笑)
その営業所に行った直後にネットワークビジネスをやり始めましたので、何があっても定時で退社していました。
配電線巡視のような楽な業務は少なく、需要家を何件も回って点検や送電の処理などをする業務は、日によって忙しい時もありました。
そんな時は急いで現場を回り、時には現場に行ったことにして処理し、超スピードで伝票処理をして定時で終わります。
暇な時は動作もゆっくりで、現場でもゆっくり作業して、何かある度に休憩を入れながら、ひたすらゆっくり現場を回ります。(笑)
車内での伝票処理も超スローモードになり、そして定時で帰るのです。
こうして、現場が20件でも3件でも同じ時間現場にいて、必ず定時で帰る日々が続きました。
その結果、1年間残業ゼロという名記録(珍記録?)を打ち立てたのです!
内勤だけならまだしも、現場に行くと何があるかわかりませんので、1年間のうちで30分の残業もないのは普通は考えられません。
これぞ、私だからできたことだと言えます!
はっきり言ってかなり手は抜いていましたが、最低限のことはやっていましたので、問題も何もないという状態でした。
何か恨みがあったわけではありませんが、「いずれ辞めてやる!」と思っていましたので、かなり極端な態度だったのです。
念のために言っておきますが、これは私の勤務実態で、ほとんどの人はまじめに勤務していますので、くれぐれも誤解のないようにしてください。(笑)