誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。
当ブログ「事業のヒント」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/kami/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
仕事の順序を教えることによって、彼は仕事の流れを覚えるようになりました。しかし、仕事の意味については、あまり理解を示そうとしませんでした。
もちろん、話としては聞いていますし、返事もすごくいいのですが、「聞いて終わり」だけになっていることがほとんどでした。それでも、何度か聞いていれば、それなりに覚えて考えるだろうと思っていたのです。
仕事を一通り覚えた頃には、仕事の流れが変わります。また、作る製品が変わると、金型から変わってきますので、仕事そのものが変わって、さらに流れも変わるのです。もちろん、その説明はしています。
そして、ある現象が起こりました。
仕事の流れが変わっているのに、彼だけが前の流れのまま動いているのです。仕事には優先順位があるのですが、優先順位が変わっても、前の通りに動いていたのです。
私は、しばらく様子を見ることにしました。流れが変わったことに気が付いて、自分で考えて行動してくれるだろうと思っていたのです。
しかし、その考えが甘かったことにすぐに気が付きました。
何も言われないのを良いことに、前の流れのまま淡々と仕事を続けていたのです。こっちが必死に仕事をしている時に、一人だけどうでもいい仕事をしているという状態です。
さすがに、手が足りない時は彼を呼んで手伝ってもらいました。でも、それが終わると、元の急ぎでない仕事に戻って行ったのです。
この時は、「この場合は、どうしたらいいんだろう・・・?」とかなり悩んだので覚えています。
自分で気が付いてくれることを期待していたのですが、それがどうも無理だと思って来ました。また、いやな顔をして仕事をされてもお互いに気分が悪いので、言いたくてもいえない時が続いていました。
「まあいいか!?遊んでいるわけじゃないし」と考えて、放っておくこともありました。しかし、そうすればするほど、気が付いてもくれないんですよね・・・
一難去ってまた一難。
さて、これをどう修正するのでしょうか?
----------
もうしばらくは、彼に焦点を当てた内容にしようと思います。話が枝分かれすると、訳がわからんようになってきますので、このブログの第一回目の話に戻るまでは、この調子で書いていきます。
この当時は、人を使うことの難しさを思い知っていた時でした。
「自分なら何とかなる」と思っていたので、それほど気にしていなかったかも知れませんが、こうして記憶が残っているということは、それなりに大変だったのだと思います。
もちろん、話としては聞いていますし、返事もすごくいいのですが、「聞いて終わり」だけになっていることがほとんどでした。それでも、何度か聞いていれば、それなりに覚えて考えるだろうと思っていたのです。
仕事を一通り覚えた頃には、仕事の流れが変わります。また、作る製品が変わると、金型から変わってきますので、仕事そのものが変わって、さらに流れも変わるのです。もちろん、その説明はしています。
そして、ある現象が起こりました。
仕事の流れが変わっているのに、彼だけが前の流れのまま動いているのです。仕事には優先順位があるのですが、優先順位が変わっても、前の通りに動いていたのです。
私は、しばらく様子を見ることにしました。流れが変わったことに気が付いて、自分で考えて行動してくれるだろうと思っていたのです。
しかし、その考えが甘かったことにすぐに気が付きました。
何も言われないのを良いことに、前の流れのまま淡々と仕事を続けていたのです。こっちが必死に仕事をしている時に、一人だけどうでもいい仕事をしているという状態です。
さすがに、手が足りない時は彼を呼んで手伝ってもらいました。でも、それが終わると、元の急ぎでない仕事に戻って行ったのです。
この時は、「この場合は、どうしたらいいんだろう・・・?」とかなり悩んだので覚えています。
自分で気が付いてくれることを期待していたのですが、それがどうも無理だと思って来ました。また、いやな顔をして仕事をされてもお互いに気分が悪いので、言いたくてもいえない時が続いていました。
「まあいいか!?遊んでいるわけじゃないし」と考えて、放っておくこともありました。しかし、そうすればするほど、気が付いてもくれないんですよね・・・
一難去ってまた一難。
さて、これをどう修正するのでしょうか?
----------
もうしばらくは、彼に焦点を当てた内容にしようと思います。話が枝分かれすると、訳がわからんようになってきますので、このブログの第一回目の話に戻るまでは、この調子で書いていきます。
この当時は、人を使うことの難しさを思い知っていた時でした。
「自分なら何とかなる」と思っていたので、それほど気にしていなかったかも知れませんが、こうして記憶が残っているということは、それなりに大変だったのだと思います。