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20年前の美浜原発事故の真相

»2011年7月 1日
事業のヒント

20年前の美浜原発事故の真相

神 真一

事業アドバイザーとして、滋賀、京都で「楽しく正しい事業」に導く事業アドバイスをしています。

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20年くらい前の話ですが、美浜原発で放射能漏れの事故がありました。その時は対応が遅れて、漏れた放射能が多くなってしまったのです。その遅れた事故対応をしたのは、私の友人でした。

直接、放射能が漏れたわけではありませんので、被害はあまりなかったのですが、放射能が漏れたという事実は、社会的に大きな影響を与えました。

事故が起こった当日は、私の友人が当直していました。普段通り仕事をしていると、今までに聞いたことがない警報が鳴ったということです。そして、何をどうすればいいかわからずパニックになって、対応が遅れたと話していました。

その遅れた分だけ、余計に放射能が漏れたということです。

事故の原因は、冷却水がハンマーのように作用して、配管が破裂したことです。(この現象の名前は忘れました)ハンマリングかな?いや、これはギターの指使いのことでした。(笑)

確か、何時間か放射能を含んだ冷却水が漏れ続けたと思います。

関西電力では、現場社員は一年間の訓練を実施します。高卒の技術職は全寮制です。何百人もの新入社員が集まって、丸一年、寮生活をして技術の習得をするのです。

その寮は、4人一部屋でベッド(二段ベッド)と机とロッカーしかありません。どこかに座ろうと思えば、ベッドか机のいすしかありません。それ以外のスペースは、必要最小限のタイル張りの廊下だけです。

部屋にはテレビも冷蔵庫もありません。照明も22時になったら強制的に消えます。布団のたたみ方や並べ方が悪ければ、ペナルティを加えられます。

「まるで刑務所だ・・・」と感じる人も少なくない生活環境で、一年間の訓練をするのです。

あ、話が脱線しておりました。(笑)

その一年間の訓練では、事故の対応もあります。机上の勉強だけでなく、訓練施設も充実していますので、実際の現場と同じ環境で訓練ができるようになっています。

そして、一年間の訓練が終われば、訓練所のような施設に配属されます。ここでは、実際の現場に近い仕事をすることになります。第一線の現場ではなく、予備的な現場という感じですね。

ここで数ヶ月から一年の経験をして、それぞれの職場に配属されることになります。

この時点では、現場作業については普通にできるようになっています。現場作業をこなしながら、書類の書き方などの事務仕事を覚えていくのです。

職場に配属されれば、日々の仕事だけで手一杯になりますので、事故時の対応のことは忘れています。定期的な訓練は年に1,2回ありますが、形式的な訓練という感じですね。

そんな状態ですから、実際に事故が起こると、訓練のような対応ができなかったということです。これは、避難訓練のようなものですね。いくら避難訓練をしていても、実際に避難するとなったら、訓練のことなど頭にありませんよね。

それで、実際に事故が起こっても、訓練のような迅速な対応ができなかったのです。

最初は、何が起こったのかわからずに、パニックになって、警報器の誤動作と思ったらしいです。それで、事故だとわかって、さらにパニックになったということでした。

その後は、何をどのように報告するかに時間がかかったと言っていました。何を隠そうかと悩んでいたのかも知れませんね。(笑)

「もうちょっと早く事故処理できていたらなあ・・・」と言っていました。

ついでに書いておきますと、事故が起こってからしばらくして、次々に事実が判明していきました。福島原発のパターンと同じですね。

当時の美浜原発の考え方としては、「原子力は安全だ!」というのが前提にありました。そして、誰もが同じように思っていました。

その当時も、反原発運動はありましたが、「反原発運動をしている人は、原発の安全性を知らないからだ!」と関係者は思っていたのです。

だからこそ、事故の大きさよりも、事故が起こったことの方が大きな影響だったのです。

そんなことがあったのを思い出しておりました。


福島原発で原発についての反対論が多くあるようです。その気持ちはわかりますが、少なくとも、関西では原発に頼らなければなりません。

頭から反対するのではなく、過去の教訓を生かして、建設的に考える必要がありますね。