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友人との差

»2011年10月 1日
事業のヒント

友人との差

神 真一

事業アドバイザーとして、滋賀、京都で「楽しく正しい事業」に導く事業アドバイスをしています。

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私と同時に軽貨物運送を始めた友人は、軽トラを使う仕事になりました。詳しくは覚えていませんが、宅配の請負だったと思います。

キャリアも年齢も住んでいる住所も全く違っていましたので、私としては、特に何も差が付いているとは思いませんでした。

私は月額40万円の売上の仕事で、仕事先のトラックに乗って荷物を運んでいました。

黒ナンバーを取った軽トラは、通勤にしか使っていませんが、月々のローンは5万円も支払っていました。簡単にいえば、人材派遣として派遣先で仕事をして、通勤の車のローンを支払っていたということですね。

その仕事は、早朝に県外の工場で荷物を下ろし、得意先に商品を配送して会社に戻ってきます。そして、工場で宵積みをして、家に帰るというパターンでした。

拘束時間が長い割に売上は少なかったのですが、同じパターンの仕事を繰り返していました。ただ、配送先は日によって違いましたので、そこは、いかに効率的に回れるかを考えていました。

しかし、決まった取引先ですので、場所さえ覚えてしまえば、結局は似たような仕事を淡々としていたということです。

この間に得たことは、・・・特に印象に残っていることはありませんので、何もなかったということでしょう。(笑)

何かを得ようという意識を持っていれば、あちこちの会社を回っているわけですので、得るものはあったと思います。しかし、そういった意識はなかったので、勉強になることがあったとしても、気が付いていないということですね。

友人は、 軽トラで宅配の仕事をすることになりました。売上は変動しますし、燃料代などの経費も自分で持たなければなりません。

私は、自分の状況と比較して、「どっちが得なんだ!?」ということしか頭にありませんでした。

しかし、友人は間もなくして、軽トラが1台増えていたのです!自分で交渉して、一人分の仕事を取ってきて、ドライバーを雇っていたということです。

元会社を通していたのかどうかは忘れましたが、この事実には驚きました。私は何も考えずにトラックに乗っている間に、友人はきっちりビジネスをやっていたということです。

実績も実力も全く違っていましたし、事業をするにはぴったりという人でした。その点を見れば、その事実は当然と言えますが、あまりの違いに愕然としたのです。

私は、ただトラックに乗って荷物を運んでいるだけに対して、友人は、これからも台数を増やそうと、事業として進めているのです。

同じスタートだったのですが、最初から差が付いていて、あっという間に周回遅れになったような気分でした。

私もボーッとしているわけではなく、「何とかせねば!」と思ったわけですが、何をどうすればいいのかもわかりません。また、自分には「そんなことはできないだろう」という気持ちもありました。

その結果、このままではダメだと思いながら、日々の同じパターンを繰り返すしかなかったのです。

ネットワークビジネスでは、ちょっとは業績を上げていたものの、大企業のサラリーマンから、ただのトラックの運転手になっただけですので、仕方かなったのかも知れません。