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大手企業2社の元請けとして事業を拡大し続け、工場で製造した製品を現場で設置する仕事にも手を広げ、ひたすら拡大路線を進みました。
数人だった従業員はあっという間に20人を超えて、それなりの大所帯になっていました。
私はメインの1社に入って仕事をしていましたので、もう1社は責任者に任せていました。
私は工場で仕事をしていたわけですが、また別の工場直属の管理の仕事をしていましたので、私の会社の業務は専務以下に任せてありました。
こうして、会社としてはうまく回っていきました。
短期間で従業員が増えましたし、さらに増やし続けているわけですが、会社が問題なく機能していたのは、組織化ができていたからです。
こう書けば立派な会社に思えるかも知れませんが、やっていることはめちゃくちゃの連発です。(笑)
また、組織化を意識したわけではありませんが、結果的に組織として機能していました。
その一番の要因は、完全に任せるということです。
それぞれの工場には、専務、部長といった責任者がいましたので、彼らに全権限を与えて、完全に任せていました。
口出しをしないというだけでなく、副社長くらいの権限を与えていました。
人材に関しては、人材の起用だけでなく、採用面も任せていたのです。
もちろん、実力のない者に任すことはできませんので、実力がある者をトップに持ってきて、それに完全に任せたのです。
そこまで任されると、それがやる気と責任につながります。
大きな権限を持たせてありましたので、その責任と立場を全うするようになります。
そして、トップ以下がそれなりの組織になって行きました。
そうして、無茶な連発だったにもかかわらず、事業を拡大し続けることができたのです。
任せるというよりも、「丸投げ」とか、「ほったらかし」と言われることもありましたが。(笑)
でも、任せるということは、そういうことです。
「全部任せたぞ!」と言いながら、あれこれ口出ししているのでは、任せているとはいえません。
任せる程度によりますが、任せると言った以上は、完全に任せなければなりません。
その場合の社長の仕事は、会社としての責任を取ることと、責任者で対応しきれなかったことに対して、ケツを拭くことなどです。
当時の私は経営者としての実力も知識もゼロでしたが、本能的にこうしたことが理解できていたようで、組織がうまく機能していたのです。
数人だった従業員はあっという間に20人を超えて、それなりの大所帯になっていました。
私はメインの1社に入って仕事をしていましたので、もう1社は責任者に任せていました。
私は工場で仕事をしていたわけですが、また別の工場直属の管理の仕事をしていましたので、私の会社の業務は専務以下に任せてありました。
こうして、会社としてはうまく回っていきました。
短期間で従業員が増えましたし、さらに増やし続けているわけですが、会社が問題なく機能していたのは、組織化ができていたからです。
こう書けば立派な会社に思えるかも知れませんが、やっていることはめちゃくちゃの連発です。(笑)
また、組織化を意識したわけではありませんが、結果的に組織として機能していました。
その一番の要因は、完全に任せるということです。
それぞれの工場には、専務、部長といった責任者がいましたので、彼らに全権限を与えて、完全に任せていました。
口出しをしないというだけでなく、副社長くらいの権限を与えていました。
人材に関しては、人材の起用だけでなく、採用面も任せていたのです。
もちろん、実力のない者に任すことはできませんので、実力がある者をトップに持ってきて、それに完全に任せたのです。
そこまで任されると、それがやる気と責任につながります。
大きな権限を持たせてありましたので、その責任と立場を全うするようになります。
そして、トップ以下がそれなりの組織になって行きました。
そうして、無茶な連発だったにもかかわらず、事業を拡大し続けることができたのです。
任せるというよりも、「丸投げ」とか、「ほったらかし」と言われることもありましたが。(笑)
でも、任せるということは、そういうことです。
「全部任せたぞ!」と言いながら、あれこれ口出ししているのでは、任せているとはいえません。
任せる程度によりますが、任せると言った以上は、完全に任せなければなりません。
その場合の社長の仕事は、会社としての責任を取ることと、責任者で対応しきれなかったことに対して、ケツを拭くことなどです。
当時の私は経営者としての実力も知識もゼロでしたが、本能的にこうしたことが理解できていたようで、組織がうまく機能していたのです。