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従業員が30人を超えた頃は、外国人労働者も何人か雇っていました。
起業して人を雇い始めた頃にペルー人を雇っていたこともあって、別に抵抗も問題もなく、採用の一環という感じでした。
滋賀県は工場が多く、確か工場地帯か何かの比率では全国一番だと思います。
そんなこともあって、多くの外国人が工場で仕事をしています。
この辺りはブラジル人が一番多く、次にペルー人となっていました。
でも、私はブラジル人を使ったことはなく、ペルー人とボリビア人だけでした。
なぜかというと、外国人労働者は横のつながりがありますので、ペルー人はペルー人の友達が多く、すぐに紹介などにつながります。
よって、ほとんどがペルー人だったのです。
多い時でも数人くらいでしたので、外国人労働者の派遣会社とかに比べれば、かわいい数字です。
でも、入れ替わりもありましたし、良い日本人がいなくて、次々に外人を入れていた時期もありましたので、私の会社が彼らの中で広がっていたようです。
時々、こんな電話がかかってきました。
「ハイ!ワタシ、ペルージン!チゴト、アリマシュカ?」
「あー、今はないなあ~」
「アー、アー・・・、イツ、アルヤ?」
「ペルー人いるから、今は無理や」
「チゴト、アリマシュカ?」は、「仕事、ありますか?」です。(笑)
電話をかけてくる人は違うにしても、こんな似たような電話が時々かかってくるようになりました。
どうやら、外国人の派遣会社と思われていたようです。(笑)
ついつい「今はない」と答えてしまうのですが、日本で「今はない」ということは、ほぼ、その後もないということです。
でも、彼らにすれば「今ないのなら、いつになったらあるんだ?それはいつだ?」となるわけです。
それからは、はっきりと「ない」と言うようにしました。
日本人には適当で偉そうな口調に聞こえるかも知れませんが、日本語があまり通じませんので、用件だけをはっきり言ってあげる方が親切なのです。
そうして電話がかかってくるまでもなく、一人から話は広がりますので、外国人労働者の採用にはあまり困りませんでした。
稼ぐために日本に来ていますので、言葉の壁とか仕事内容の制限はありましたが、誰もが一生懸命に仕事をしていました。
甘っちょろい考えで、すぐに辞めていく日本人の若者もたくさん見てきましたので、彼らの姿勢は見習うべきものがあります。
外国人労働者が事業拡大の一役だったのは間違いありません。
起業して人を雇い始めた頃にペルー人を雇っていたこともあって、別に抵抗も問題もなく、採用の一環という感じでした。
滋賀県は工場が多く、確か工場地帯か何かの比率では全国一番だと思います。
そんなこともあって、多くの外国人が工場で仕事をしています。
この辺りはブラジル人が一番多く、次にペルー人となっていました。
でも、私はブラジル人を使ったことはなく、ペルー人とボリビア人だけでした。
なぜかというと、外国人労働者は横のつながりがありますので、ペルー人はペルー人の友達が多く、すぐに紹介などにつながります。
よって、ほとんどがペルー人だったのです。
多い時でも数人くらいでしたので、外国人労働者の派遣会社とかに比べれば、かわいい数字です。
でも、入れ替わりもありましたし、良い日本人がいなくて、次々に外人を入れていた時期もありましたので、私の会社が彼らの中で広がっていたようです。
時々、こんな電話がかかってきました。
「ハイ!ワタシ、ペルージン!チゴト、アリマシュカ?」
「あー、今はないなあ~」
「アー、アー・・・、イツ、アルヤ?」
「ペルー人いるから、今は無理や」
「チゴト、アリマシュカ?」は、「仕事、ありますか?」です。(笑)
電話をかけてくる人は違うにしても、こんな似たような電話が時々かかってくるようになりました。
どうやら、外国人の派遣会社と思われていたようです。(笑)
ついつい「今はない」と答えてしまうのですが、日本で「今はない」ということは、ほぼ、その後もないということです。
でも、彼らにすれば「今ないのなら、いつになったらあるんだ?それはいつだ?」となるわけです。
それからは、はっきりと「ない」と言うようにしました。
日本人には適当で偉そうな口調に聞こえるかも知れませんが、日本語があまり通じませんので、用件だけをはっきり言ってあげる方が親切なのです。
そうして電話がかかってくるまでもなく、一人から話は広がりますので、外国人労働者の採用にはあまり困りませんでした。
稼ぐために日本に来ていますので、言葉の壁とか仕事内容の制限はありましたが、誰もが一生懸命に仕事をしていました。
甘っちょろい考えで、すぐに辞めていく日本人の若者もたくさん見てきましたので、彼らの姿勢は見習うべきものがあります。
外国人労働者が事業拡大の一役だったのは間違いありません。