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老舗プレス工場の倒産

»2013年2月21日
事業のヒント

老舗プレス工場の倒産

神 真一

事業アドバイザーとして、滋賀、京都で「楽しく正しい事業」に導く事業アドバイスをしています。

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ステンレスプールの製造をすることになって、知り合いの会社が入り込んでいるプレス工場でパーツを作れると思っていたのですが、全然無理なことがわかりました。

ブログの趣旨からそれますが、先週、そのプレス工場に関するニュースが飛び込んできましたので、今日はそれについて書きたいと思います。

そのプレス工場は80年くらいの歴史があり、社長は創業者の孫で三代目でした。

滋賀と大阪に工場があり、年商は30年くらい前がピークで、20億円くらいだったということです。

滋賀県は工業団地が多いことで有名ですが、大きな工業団地に昔から滋賀工場はありました。

いつも通る道だったので、プレス工場の元請けと知り合う前から会社名は知っていましたし、プレス工場なのも知っていました。

そのプレス工場ですが、先月、倒産しました。

友人から聞いてネットのニュースを見ると、自己破産申請と書いてありましたので、完全に消滅することになります。

当然ながら、私の知り合いで、そのプレス工場に入り込んで元請けだけの会社をしていた社長は、当時につぶれることになります。

1社に依存しているわけですから、親会社がつぶれたら、当時につぶれてしまうことになります。

ただ、その工場の敷地を借りて小さな工場をやっていましたので、自社工場をドンと構えているよりは傷は浅いです。

かなり大変な状態だと思いますが、規模が小さく身軽なこともあって、おそらくどこかの会社に入り込むなりして、事業は継続されると思います。

でも、プレス工場はどうしようもありません・・・。

当時、私がプールのパーツの話を持って行くと、工場長は「ぜひうちに仕事を回してくださいね~」という態度になりました。

このことからわかりますが、下請け仕事だけをやっていました。

「○○プレス工業」という社名を聞けば、プレスだけをひたすらやっているイメージがあるかも知れませんが、金属加工が全部できる設備が整っていました。

だから、私もプールのパーツが製造できると思って話を持って行ったのです。

私の場合は大きな勘違いでしたが、実際に何でも作れる設備がありました。

元請けの会社は溶接がメインだったので、それこそ何でも作ることができます。

その社長は、プレス工場に何度もオリジナル商品を作る提案をしたけど、「忙しい」とかいう理由で、話も聞いてもらえなかったと言っていたのを思い出しました。

そうして、ひたすら下請け仕事に精を出していたのです。

溶接などの金属加工ができる人は、「金属は木と違ってやり直せるから何でもできる」と言います。

木は削りすぎたら元に戻せないけど、金属は溶接して削ったら元に戻すことができますので、それこそ、作ろうと思ったら何でもできるということです。

そのプレス工場には、小さな鉄工所にはない大型のプレス機が何台もあるのですから、それこそ大きな物から小さな物まで、何でも作ることができるわけです。

それなのに、そういった意見が出ても耳を貸さずに、下請け仕事だけをやっていたのです。

その結果、業績が右肩下がりになって、先月、ついに倒産してしまったのです。

下請けをしながらオリジナル商品を作るなど、下請け以外の事業展開をしていれば、倒産が防げただけでなく、違う展開になっていたかも知れません。

ならなかったかも知れませんが、下請けだけをやり続けていて、倒産したのは事実です。

今となってはどうしようもありませんが、今までにチャンスはたくさんあったと思います。

でも、「忙しい」とか、「やったことがない」という理由で、すぐに却下していたのでしょう。

長年、下請け仕事をしていると、それが当たり前になり、それ以外はできないようになります。

それが悪いことではありませんが、こうなる可能性が大きいということです。

ちょうど、このプレス工場の話を書くタイミングで飛び込んできた話ですので、当時を振り返りながら、いろいろ考えさせられました。