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公平を求め過ぎると身動きが取れなくなる
とあるコンビニオーナーの経営談議
公平を求め過ぎると身動きが取れなくなる
とあるところで、とあるコンビニのオーナーをしている、「川乃 もりや」です。事情により、匿名です。とあるコンビニの元社員が仕事や感じたことを、時にはコンビニの内情のあれこれをブログにしちゃいます。みなさんお付き合い下さい。
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世の中のあらゆることが平等であるようにと、考える人が多くなっている気がする。
Aをすることは非常に良いのだが、それをすることによってAの恩恵を得られない人から不公平であると苦情が出る。代案としてBをする。しかし、Bじゃ誰も満足しないのでやっても意味がなくなる。結果、公平ではないAをする人は誰もいないので、物事が前に進まなくなる。もしくは、妥協に妥協を重ねてBをするので、全員が不満を持つことになる。
コンビニのようなチェーン店において、サービスを行なう際に迷うことが多い。こんなシーンを思い浮かべて欲しい。
店に来る子どもが泣き叫んでいる。3歳位の子どもというのは時々訳も分からず泣くことがある。親は慣れたものなので放置していることが多い。しかし、お客の中にはそれを嫌がる人もまた多いので、コチラとしては早く泣き止んでもらいたい所だ。そこで、飴を一粒子どもにプレゼントする。販売期限が過ぎた商品だ(賞味期限とは別に設定しているので食べる分には問題ない商品)。子どもは、飴につられて泣き止む。
と、ここまでならサービスシーンとしては、ベストの部類に入るだろう。問題はこの後だ。
それを見ていた、別の母親が「ウチの子どもは、もらえないんですか?」と、言ってくる。子どもは泣いているわけでもないし、飴を欲しがっているわけでもない。単に母親がその状況を見ていたというだけだ。あげなければクレームとなる。
飴くらいなら、そのままその子どもにあげても良いのだが、サービスの状況如何によっては、サービス対象者が限定されており、平等にとはいかないこともある。
その場合、平等に行えないサービスであるならばヤメるべきなのだろうか。それでは余りにも寂しい気がする。皆さんもこんなジレンマに出会ったことはないですか?
世の中は、平等ではないとみんなが分かっている。それなのに、何故、人は公平を求めるのだろうか?
答えは未だ闇の中だ。