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「ソーシャル・ネットワーク」 と 尖閣映像 の共通点(一部だけネタばれ)
理系博士研究者の一人が考えるビジネスマインドと実践例
「ソーシャル・ネットワーク」 と 尖閣映像 の共通点(一部だけネタばれ)
ポスドク&非常勤講師生活を経て、私立大学の教育・研究職に従事する一方でポスドク時代に不動産投資を開始。職場の行き帰りの生活だけでは極めて危ういことを知るに至り、現在は会社・社会・国に過度に依存しない生き方を少しずつ実践中。
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先入観なしに、この映画を見たい方は見ないでください(笑)。
公開に先駆けて試写会で「ソーシャル・ネットワーク」を見せていただいて以来、1年に1回も映画に行かない私ではありますが、絶対にもう一度見たいと思っておりました。今日の午後に時間ができて都内の某映画館に行きました。次回上映の1時間くらい前に到着しましたが、既に大半の席がうまっており、わずかに残った席からなんとかよい席を確保できました。
● 冒頭を見ないと!
ちょっと(実際はかなり)残念だったのが、上映が始まったというのに、次から次へと遅れて入ってくるお客さんのせいで、冒頭のあの攻防をしっかり見ることができませんでした。この映画にとって、あの一連のやり取りは、映画のベースとなる部分として極めて重要な部分であると思いますので、なんというか、冒頭を見ないままその後を見ると言うのは、基礎工事が十分でないまま家を建てるようなものではと思ってしまいます。
映画を制作する側は、勿論、お客さんは全体を見てくれるだろうというのが大前提だと思いますが、もしかしたら、上映については、遅刻して入ってくるお客さんを想定した工夫が必要かもしれません。というか、遅刻したら入れないでほしいというのが正直なところの実感です。
話は脱線しますが、野球の試合を球場で見ていても、イニングの間ではなく、ピッチャーが投球している時に、前を通るのはやめてほしいというのとよく似ています。
● 違法行為でも評価に値する?
前に書いたブログでも一言だけ触れましたが、最初のキーワードは「評価」です。映画の中で最初にうれしく思った点です。
主人公は、ハッキングにより学生のデータを入手するわけですが、違法行為として指摘されます。ただ、主人公は、「セキュリティーの脆弱性を示したわけだから、むしろ、評価されてしかるべき」と答えています。
この部分が、例の尖閣映像の漏えい事件とよく似ていると思ってしまいます。セキュリティーが万全でないといって非難するのか、それともハッキングした方を単純に悪いといって済ませてしまうのかによって意味合いは全然違うと思います。
尖閣映像も(他の機密?情報も)、漏洩しないようにセキュリティーを強化するのか、そもそもが、万全というのは原理的に困難であると考えて、最初から、漏洩することを前提に考え直すのかの攻防だと思います。
セキュリティー担当者が「セキュリティーは完ぺきです」と言っている部分も印象深いです。完ぺきなら、セキュリティーは破られないだろうし、もし、完ぺき(出来る範囲の限界)なのに、破られてしまうのであれば、前述のことを考えなくてはならないことに相当します。
話はまた脱線してしまうのですが、こんな話を聞いたことがあります。ある芸能人の方だったか、第三者に暴露されては困るような個人情報を握られてしまい、暴露されそうになったのを阻止したそうです。その方法というのが、先に自分で暴露してしまうというもの。一度、世の中に情報が出てしまえば、次にその情報を出す行為は暴露には相当しないというわけです。
天空の城「ラピュタ」で最後に自爆の呪文を唱えて、ムスカ(悪い奴)からラピュタを守ったというエピソードにも共通点を感じます。
● 情報は暴露するためにある?
尖閣映像の件について、もうすっかり報道されなくなってしまいましたが、情報社会の中でのセキュリティの定義って、いわば、バーチャルな世界の話でもあるので、表に出てしまうことが前提で考えるべきなのかもしれません。FACEBOOKが、そもそも個人の情報を自分で暴露してしまおうという考えの元にできている仕組みであるならば、守られるべき個人情報というのもかなり限定されてしまうのも事実と思われます。
● 想定外のことが起こるから楽しいのでは?
もう一点は、「この先どうなるかわからない」という言葉です。登録者数が4000人?になった場面でしょうか? 利益を上げることを優先するのか、無料で普及させることを優先するのかの選択です。
FACEBOOKはインフラの最先端の話なので、最先端のことがどうなるかなんてわからないのです。
学術研究の世界にも競争的資金を獲得する場合など、研究計画を立てるのですが、そもそも、計画を立てられうるということは、この先どうなるかがわかっているということで、わかっているんだったら、そもそも研究にならないんじゃないかとすら思うわけです。
もちろん、ある程度は立ちますけど、想定内のことだけに限らず、想定外のことだって起こりうるわけです。
そんな時に、当初の計画に縛られてしまうというのは、いささか残念なことなので、研究計画に縛られないように、本来は、研究なんて自分の金でできれば一番いいのに! と思いながら日々暮らしております。でも、実際、自分の専門外のことに手を伸ばそうとすると、予算は使いづらくて、自分の場合は、自腹で収入の5%~10%くらいはそのための予算に充ててしまっています。
また余談ですが、研究と調査というのは全然違います。調査研究などというおかしな言葉がありますが、それは調査であって、研究ではないですね。これについてはまた書きたいと思います。
最後にもう一点、映画の紹介ポスターですが、どうもしっくりこない部分があります。
天才、裏切者、危ない奴、億万長者 の4つの言葉のうち、「天才」と「億万長者」は当てはまるでしょうが、「裏切者」と「危ない奴」というのは当てはまらないのではというのが映画を見ての私の感想です。
この映画の楽しさの1つは、おそらく複数回見ることで、最初に見た情報をfeedbackさせることで、一層、理解と興味が深まるところにあると思います。