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迷惑のはなし
そろそろ脳内ビジネスの話をしようか
迷惑のはなし
株式会社プラムザ 代表取締役社長。システムコンサルタント。1998年に28歳で起業し、現在も現役のシステムエンジニア、コンサルトとして、ものづくりの第一線で活躍しつつ、開発現場のチームとそのリーダーのあり方を研究し続けている。
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ちょっと脳内ビジネスもネタが尽きてきましたので(もう?)、少し趣向を変えまして、個人主義とか仕事とか社会とかのお話です。
一般に「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」というのが今の日本では金科玉条のようにまかり通っています。
確かにこの行動指針は、人が空気のような存在としてふわふわと、誰かの影で寄生して生きていくのであればいいのですが、一個人が社会にしっかりとコミットして、「価値あるメンバー」として皆から認めてもらう上ではあまりにも不十分です。
本当は大人になったのであれば、「何をしてもいい」ではなく「何をしてもいいので、あなたの好きな方法で社会に貢献しましょう」だと思うのですが、どうもこの後半が端折られてしまっています。
この後半部分のない行動理念をベースに「仕事」を捉えようとすると、「何でもっとも大事な自分の自由が奪われるんだ?」ということになり、なかなか納得するのが難しいように思います。
いきおい、「そうか、自分が苦痛ではない、やりがいのある仕事を探せばいいんだ」という発想になりますが、それが社会が個人に求めるニーズと微妙に噛み合わないので、ギャップが生まれ、ストレスを抱えるのです。
では、どういう心構えで仕事に向きあえばいいか、ということについては、これまでかなり詳細に述べてきましたので、割愛します。「脳内ビジネス」の根幹です。
その一方で、先ほどの「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」という思想の裏には、「人に迷惑をかけることは最悪だ」という思想がセットでくっついています。
これは、私は、個人主義思想が生んだもっとも悪しき副産物であると思っています。
そういう思想から、例えば喫煙者や酔っぱらい、通勤電車での子連れ親子、周囲に気配りが出来ない高齢者などを徹底的にバッシングする運動が生まれてくるのです。
それは迷惑は迷惑なので、多少「イヤだよね」というくらいはいいと思いますが、「消えて無くなれ」くらいの強い批判は聞くに堪えません。
そもそも、人々が寄り添って、群れで生活しているのは、お互いにお互いを助け合おうというのが主旨ですから、迷惑はかけて当たり前だと思うのです。
「群れの中の誰かに迷惑をかける」→「助けてもらう」→「恩を覚えておく」→「群れの中の人から迷惑をかけられる」→「恩を返す」
これが人間の群れ社会の基本であって、単にビジネスではその「恩」を「カネ」という形で数量化しだけです。
そして、重要なことは、この数量化ができない「恩」というのがこの群れ社会の中にはたくさんあるということです。
恩は借りては誰かに返す、返してはまた回り回って誰かから返される、時には頼られ過ぎもあり、時には頼り過ぎもあり、、、こういった活動を繰り返すことにより、人と人との結びつきは深くなっていき、社会全体が高生産高消費の熱いスパイラルに入っていきます。
そして「迷惑」と「恩」のやりとりの中の何割かが、あるとき数量化スキームに乗り、リアルのビジネスとして成り立っていくのだと思います。
それが、どうも「カネ」で買える迷惑ならいくらかけても構わないが、そうでない迷惑は絶対にかけてはいけない、というような風潮がまかり通っていて、社会全体の熱を取り、お行儀良くまとまり、新たな発展を阻害している気がします。
マナーの良い社会というより、低活力社会とでも言いますか。
いや、発展云々よりも、数量化できない迷惑が、産業廃棄物のように処理しきれない状態になって、社会の中に放置されているのが問題でしょうか。
『七人の侍』の組織論 内田樹
http://blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.php
このブログ記事ではいろいろなことを考えさせられますが、特に「コレクティブ・ハウス」の高齢者夫婦に関する話は私の心を大きく揺さぶりました。
私が子供の頃から、言われてきて、あまり疑問に持ってこなかったこの「人に迷惑をかけなければ...」と「人に迷惑をかけるなんて...」の2つのテーマについて、最近考えることが多いです。