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いっぺん死ね
»2013年7月 2日
そろそろ脳内ビジネスの話をしようか
いっぺん死ね
株式会社プラムザ 代表取締役社長。システムコンサルタント。1998年に28歳で起業し、現在も現役のシステムエンジニア、コンサルトとして、ものづくりの第一線で活躍しつつ、開発現場のチームとそのリーダーのあり方を研究し続けている。
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「いっぺん死ね」という言葉を多用していたのは、「がきデカ」の西城君だったでしょうか?「らんぽう」なんかでもよく使われていた気がします。
原典がどこにあるのか、当時小学生だった私には知るよしもありませんが、とにかくこの言葉が1970年代のわれわれのツッコミの言葉としては、非常に流行っていました。
「いっぺん死ね」
いい言葉ですね。
「死ね」と言うと単純に物騒ですが、それに「いっぺん」が付くことによって、「これは冗談だよ」という意味が付加されます。
それでいて「死ね」です。相手に対して究極の強要を行うわけです。インパクト的に絶大なものがあります。
メンコやビー玉で10連勝とかしてウハウハな友人に対して「ざけんな!いっぺん死ね!」
給食中、くだらないギャグをかまして牛乳を噴き出させようとする友人に「ゲホッ!おいっ...!いっぺん死ねよ!」
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で、この「いっぺん死ね」という言葉をなぜ突然思いだしたかというと、先日小さな開発会社を経営している社長さんと飲んでいて、彼の苦労話を聞くにつれ
(あ、この人はいっぺん死んだんだな。)
と思ったからです。
いっぺん死んだ人は言うことがちょっと違います。
ハイボールのグラスを静かに横にずらし、テーブルについた水の輪っかを、丁寧に折り畳んだお手ふきでそっと拭く。そういう所作の一つ一つに人生が表れます。
実は世の中には、すごく技術センスがよくて、なんでもひょいひょいこなして、特別大きなトラブルも抱えず、それでいてとても知識が豊富、バランス感覚にも長けている人がいます。
とても仕事ができそうな人です。
しかし、そういう人ってどこか肝の据わった部分を感じません。なんとも頼りないのです。
常に落ち着いていて、トラブルがあっても頼りになりそうだな、という人はたいてい、というかほぼ100%、いっぺん以上死んだ経験を持っています。
いや仕事とは限らず、難しい病気だったり、ギャンブル依存だったりすることもありますが、いずれにしても「はあー、それは大変でしたね」という経験をしています。
みんな一度しっかり死ぬべきだと思います。
成功経験より、失敗経験です。失敗経験よりも、死んだ経験です。
...はい、でました。
過去に苦労したおっさん特有の
「俺も昔は苦労したんだよ」
「だから今の俺があるんだよ」
「おまえら若いモンももっと苦労した方がいいよ」
です。
まあ、当たらずしも遠からずなのですが、ちょびっと違いますので、しばしお付き合いを。
まず、ここで勘違いして欲しくないのは、死んだ経験があれば、いい仕事ができるようになるかというと、そういうわけではないです。
つまり「いわゆるブラックな会社に勤めて死ぬほどこき使われれば、必ず成長できるのか」というと、全然そんなことはないので、そういうのはお勧めしません。
私の言う「死んだ経験」というのは、まず調子に乗ってヒャッハーという感じで浮き足立ってる期間というのが必要です。
そこに「ふざけんな!いっぺん死ねよ!」というツッコミが入って、突如冷や水を浴びせられる。それが死んだ期間です。
そして、その期間が抜けて、そのことについてじっくり考える反芻時期の3つが必要です。
この3点セットがないと「いっぺん死ぬ」ことが効果的ではなく、かつ定着しないのです。
「ずっと死ぬ」んじゃなくて、ちゃんと「いっぺん死ぬ」ことが大事です。
積極的に苦労を買って出ても、成長のための死は得られません。不意に襲ってくる死によって人は痛めつけられ、心が強くなります。だから、私は「若いもんも苦労すべきだよ」などとは言いません。
みな、突如、襲われたらいいと思います。
強いて言えば、「いっぺん死ぬ」状態に襲われない安全な環境に身を置くことなく、つねにドキドキワクワクしていればいいと思います。
あぶないわー、そこ、あぶないわー的なところで常に調子に乗っていればいいと思います。
で、突如、いっぺん死ぬわけです。
もちろん、若い時はキャパが小さいので、大して死んでもないのに死んだ気になってしまうことがありますが、要は心のリミッターを超えることが大事ですので、それも死んだ、とカウントしていいでしょう。
死んだかどうかの判断は、胃カメラを飲んだことがあれば、あの気分になっているかどうかです。苦しいところにきて、どうやっても逃れることができない。ただ涙とよだれだけが流れて、「もう勘弁してくれー」と叫びたいけど何も言えない状況が永遠とも思える期間続く。
吐き気を催して、飯が食えず、10Kgくらい痩せる。
こういうのです。楽しいですね。絶対嫌ですが。
101回死んだエンジニア、というハンドルネームでコラムを書いている方がいらっしゃいますが、彼もきっと散々死んだんでしょう。ちょっと101回は死にすぎな気がしますけど。
100万回生きたねこは、100万回も死んではじめて、感情というものを取り戻すことができたのかも知れません。泣ける話です。
以上、思いつきで「いっぺん死ね」という言葉と絡めたために、よく分からなくなってしまった今回のお話でした。
おやすみなさい。