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本当は怖い起業の話(対策編)
»2011年6月18日
そろそろ脳内ビジネスの話をしようか
本当は怖い起業の話(対策編)
株式会社プラムザ 代表取締役社長。システムコンサルタント。1998年に28歳で起業し、現在も現役のシステムエンジニア、コンサルトとして、ものづくりの第一線で活躍しつつ、開発現場のチームとそのリーダーのあり方を研究し続けている。
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▼帰還不能点までは危険は避けられる
前回のエントリーで、「本当は怖い起業の話(傾向編)」 と題しまして、会社を興すとおこりがちな危険な話を10点ほど挙げてみました。
これだけで終わると、「こわっ。起業なんてしても、いいことは何もないじゃん。」と思われるかもしれませんが、そんなことはないです。たぶん。
先に挙げたような危険は、私の経験的に、「point of no return(帰還不能点)」を超えるまでは、それを避ける手立てはいくらでもあると思います。
そして、たとえ事業が失敗しても、その帰還不能点を超える前にうまく会社を畳めば、別会社で復活することすら可能でしょう。
私は3回も4回も会社を潰しては興している社長を知っています。まあ、社員や取引先にとっては迷惑千万なのですが、要は最悪そういう生き方もできる、自殺なんてとんでもない、というお話です。
これは起業に限りませんが、どんな危険があるかも知らずに突き進むことが一番恐ろしいことです。知ってさえいれば、あるいは覚悟があればなんということでもないことも多いのです。
以下は、私が会社を興して数年の間にいろいろ悩んで、だんだんわかってきて、「なんだよ、誰か最初に教えてくれよっ」と強く思ったことです。
もしみなさんが起業するということを少しでも考えているようであれば、一つの参考になるかも知れません。
[1]社長なんて不自由な仕事だと覚悟せよ
「社長になりたい!」という欲求のありがちな動機としては、上司や会社の束縛から逃れて自由に自分の判断でやってみたい、ということだと思います。確かに社長は、自由に経営判断できるのは間違いないのですが、実は束縛が見えなくなっただけで、サラリーマンよりもより厳しい束縛が待っていると言えます。
たとえば、「何を売っても自由だよ」と言われつつ、判断を誤れば市場から「収入ゼロ」という鉄槌が下ります。それどころか仕入れや製造したコスト分だけマイナス収入にさえなります。
「社員の給与や待遇も自由だよ」と言うので、自分が「こんな職場だったらいいな」的な発想で就業規則を作ると、社員がやりたい放題で言うことを聞かなくなり、挙句ストライキを起こされたりします。
・自分の思い描く理想の商品・サービスを提供していると、自然にお客さまが寄ってきて口コミで次から次へ売れる。
・業績が上がってくるに従って社員もだんだん優秀な人間が集まってくる。
・ベンチャーキャピタルが寄ってきて1億くらいポンと出資してくれる。
、、、のようなグッドスパイラル。このようなことはまあ100%あり得ません。
基本的にはよいスパイラルと悪いスパイラルが常に絡み合って存在し、その中で縛られ不自由に動かされているのが社長だと思います。
ただ、これは社会にコミットしていればどんな立場でも「当たり前」のことであり、ポイントは、そういうものだと自覚しつつもあまり過敏にならずに、ふてぶてしく鈍感にいることでしょう。
[2]社長なんて孤独な職業だと覚悟せよ
会社を興す前は、自分が社長になったら、老若男女問わず、広く社員から意見を集めて民主的に物事を決めていきたいと思いがちですが、ちょっとやってみれば、それでは何も決まらないし、却ってチームが険悪になることがわかるでしょう。
意見を聞くことは大事ですが、決めるのは一人です。その方がみなまとまりますし、チームとして高いパフォーマンスが発揮できます。
そんな中で、トップというのは孤独なものです。すべての責任を抱え込み、敢えて嫌われ者を買って出ているようなところがあります。
社員同士の飲み会に誘われなかったり、自分が居ない会議の方が和気藹々で楽しそう、とかありますが、まあそういう職業ですので、孤独なのは仕方ないことです。逆にあまり社員と仲良くなりすぎると、「決定権者」である立ち位置がおかしくなります。
[3]採用試験は入学試験とは違うと認識せよ
サラリーマン時代に部下を持つと、大抵、「なんで人事はこんなヤツ採ったんだよ。見る目ねーな!」と思いがちです。「自分が採用面接官ならもっと使える人間を採れるのに」とか思うのですが、実際採用をやってみると、なかなかどうして、うまくいかないものです。
それはたぶん、理想の部下像を想像しつつ募集要項を練り、その条件に合った応募者を合格させようとするからだと思います。
採用試験は入学試験とは違います。募集要項に書いた条件は、言ってみれば「理想の結婚相手」として結婚相談所に提出した条件程度のものです。
つまりそこにかかれている条件ぴったりの人が来たからと言って採用する必要はありませんし、安易に採用するとお互いに不幸なことになります。
人は一人一人全然違う素養を持っているので、採用面接の中で、その素養の中で自社内ではまりそうな部分はないか、ということに注目して採るというのが正しいと思います。
募集要項の条件などは、実は小さい会社ほどどうでもよく、条件を多少満たしていなくても、今のチームに足りない部分を補え、お互いにシナジーが出るかどうかで判断すべきだと思います。
[4]借金については、その本質に目を向けよ
借金については、起業時、誰もが、「そんな自滅的な行為は絶対にしない」と誓うのですが、経営上の借入金とサラリーマンの借金は似て非なるものでして、必ずしもその誓いは適切ではありません。
単純に言えば、たとえば、1000万の現金を会社運営に注ぎ込み1年後に1100万円にできる確信があるなら、年利10%以下の借入は大いにすべき、ということです。会社経営には定常的にコストがかかりますが、売上は通常季節変動があったり、入金までのタイムラグがあったりしますので、その波を平坦化する必要があります。それが金融というものの本質です。
なので、この枠の中での借入は、胸を張ってしてよいのです。寧ろ、それができない経営者は片足縛られて戦っているようなもので、圧倒的に不利な戦いを強いられます。
ただ、この枠を超えてしまった借入は、よくありません。先の例で1000万を1050万円にしかできないのに年利10%で借り入れてしまうのは、会社を潰す一歩を踏み出してしまっています。
その場合は、事業のリストラ(解雇に限りません)を行って、収益構造を健全化し、利益率を10%以上にする必要があり、もしどう考えてもそれが出来ないようであれば、早めに会社を畳むべきだと思います。多くの場合、ここがpoint of no return(帰還不能点)です。ここで踏ん張りすぎると、怖い世界の人たちが登場したり、倒産後の再起が見込めなくなったりします。
[5]人を信じられなければ社長向きではない
何事も鵜呑みにするのではなく、一歩引いて疑問を持つことは重要です。しかし、本当に重要なのはその先です。疑わしい情報の中で、信じることができることを見極めることが経営者としての重要な素養だと思います。
たとえば、何十年も立派に会社を回している社長さんが、私と次期社内システムの構想などを話をしているうちに、だんだん盛り上がってきてろくなエビデンスも取らず、何百万と言う金額の仕事を口頭で発注していただけたりすることがあります。「契約は法務とやっておいて」みたいな感じで。
これは、「ピン」ときたらそれ以上疑わない、ということだと思います。それは私もやっています。
もし仮に騙されていればこんな被害が予想される。その程度ならここは信じた方がいい。そう判断すれば、手放しで信じておく。ここが重要です。
なんでも疑って否定するのは、要するに「何もしない」ということで、それは簡単なことです。なんとなく頭がよいようにも見えます。
しかし、何もしなければ利益は絶対にやっては来ませんし、その一方で何もしなくても損害はやってきます。しかも損害の方は容赦ないです。だから、シニカルに引いて構えるというのは100%負けパターンなのです。
自分の直観力を磨いて、人や物事を信じられなければ経営はうまくいかないと思います。これはまあある意味サラリーマンでもそうなのですが。
情報の氾濫する現在は、どちらかと言うとみなさん賢く、「騙されないために、うまい話を否定するタイプ」の人が多い気がします。
しかし私は究極的には騙されてもいいと思うわけです。
それは「騙すよりも騙される方がいい」などと青っちょろいことを言うのではありません。騙されることもあると見越しつつ、初めから損害を計算して飛び乗っておけばいいわけです。
そこからはギャンブルですから、負けることもありますが、勝つこともあります。勝つ可能性が高いギャンブルを探して張り続けていけばいいのです。また途中で賭けたコインを「やっぱり引っ込める」ということもできるのがビジネスの面白いところです。勝手に自分で潔いルールを作らないことです。
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私は、これからの時代のサラリーマンは、常に「このままこの会社にいる」「転職する」「起業する(フリーランスになる)」の3択を意識するべきだと思います。その3つは常に拮抗したメリットデメリットを持ち、その中で必死に考え、足掻くことが自らの成長になり、ひいては人生の安定につながっていくものだと思うのです。
逆に能力がある人間なのに、「この会社に一生居る。他の選択肢は考えられない。」という人間は、単に考えることを放棄しているだけです。それでは社会に対する貢献も限定的だと思います。
などという話を、ツイッターの方で日々つぶやいています。もしご興味があれば。